煙幕を張りに








 エドワードがロイに呼び出された先は、中央の軍司令部でなければ、もちろん、東方司令部の執務室でもなかった。
 「南東部のディアリー?」
 聞き覚えのある地名ではあった。賢者の石を追って東部だけでなく他の地域も虱潰しに回ろうと言い出した頃、立ち寄った町の一つである。南方交易の恩恵を受ける地域に含まれており、アエルゴとの国境も近いため、国内外の物品だけでなく人も情報もかなり出入りしているはずだと踏んで手掛かりを求めたのであるが、結果はスカ。四、五日滞在して、隣町に移ったのだった。
 「何でそんなところに来いっていうんだろうね、大佐は」
 「知るもんか。しかし、大佐直々の要請だからな、無下に断るわけにもいかねーし……。気は進まないけど、行ってやるか」
 たった一人で。アルフォンスは置いて来いとわざわざロイの字で但し書きされている書面に渋面を作りながら、エドワードは内心気が重くなるのを感じた。アルフォンスを連れて来るな、という時は、大抵、軍の機密に関わるような厄介な事件が起こっているのである。軍属でないアルフォンスの目には晒せないようなこととなれば、相場は決まっている。
 「また面倒なトラブルを押し付けるつもりだな」
 うんざりしながら、それでもエドワードはスーツケースに荷物を詰め込んだ。ロイとはしばらく会っていない。さして会いたいと思う人物ではないが、いざ会わなくてはならないとなると、別の男の顔が脳裏に浮かんだ。とたん、心が騒いだ。
 「ま、いい。とにかく行って来るぜ。そんな長期の仕事でもなさそうだ。さっさとすませてさっさと戻って来るから大人しく待ってろよ」
 そう言い残すと、エドワードはアルフォンスに見送られて南部へ向かう列車へと乗り込んだ。旅程は、約一昼夜。事故も事件もなく、快適な行程だった。
 が、
 「暑い……」
 ロイの滞在する駐屯地に到着したとたん、エドワードは倒れそうになった。時刻は夜半にさしかかっていたが、昼間の蒸し暑さが全く抜けてくれず、ムシムシした湿気がじっとりと服の中まで入り込んで来る。駅舎から歩いて来ただけで全身に汗が流れ、べっとりとインナーが肌に張り付いて酷く鬱陶しかった。
 南部と違い、南東部は湿気を含んだモンスーンが吹き込む影響で、高温多湿、決して快適な気候風土ではなかった。ひと昔前はちょっとした亜熱帯の森林が起伏に富んだ国境線に向かって広がっていたというが、近年の大量伐採により草原化し、一部は砂漠化して東部のゴビと繋がっていた。当然、最高気温は人の体温といい勝負となる。
 「よくこんなところで仕事ができるな……」
 「仕方あるまい」
 そう応えたロイは、軍服の上衣の前を大きく開き、シャツのボタンも二つ三つ外して胸間を晒している状態だった。身だしなみには人一倍気を使っているこの男には珍しく、流れる汗を拭うのにも飽きたのか、シャツや下衣には汗じみがいくつも浮いていた。
 「いいザマだな。クーラーぐらいつけろよ」
 「昨日スイッチを入れたとたん、壊れてしまった。修理は明日から取り掛かるそうだ。ついでに言うと、今日は不快指数八〇」
 「余計なことまで言わなくていーよ」
 ただでさえぐらぐらしている頭が沸騰しそうになる。一応、南部全域は雨季の真っ只中のはずだった。ほぼ毎日か一日置きに雨が降って肌寒い日もあったりするのだが、ここ二日ほどは嘘のように晴れ渡り、うだるような暑さが続いていた。このまま雨季が明けて本格的な夏に突入するのかもしれないという観測も流れていたが、これ以上の熱気の到来はご免被りたい気分である。
 「仕事の説明は明日にして、今日はもう休みたまえ。宿舎を用意しておいたから、案内させよう」
 そう言って、ロイはハボックを呼んだ。
 が、ドアを開けて入って来た男の姿に、エドワードは絶句した。
 「よう、大将」
 と、いつもの咥え煙草で現われたハボックは、凄まじい姿になっていた。軍服の上衣も肌着代わりの黒シャツも取っ払った、上半身裸。肩にまだらに汚れたタオルをかけ、ズボンは泥だか垢だか判別のできないモノで殆ど真っ黒。しかも、膝下辺りに何ヶ所も破れ目があった。かなりしっかりしたつくりの編み上げブーツですら紐がほどけて、今にも脱げ落ちてしまいそうだった。
 「ど、どーしたんだよ、その格好は……っ」
 とても由緒正しき我が国の軍人とは思えない。まるで肉体労働に励んだ直後の労務者である。が、全く気にした風もなく、ハボックはにやにや笑っていた。
 「これくらいで驚くなよ。もっとびっくりすることがあるぞ」
 「何だよ」
 「実は、ノーパンだ」
 「いっ」
 思わず後ずさるエドワードへ、ロイがため息混じりに説明した。
 「昨日、郊外の偵察にやったら、こうなってしまった。クルマごと沼に突っ込んだとか言っていたな」
 「ちゃんと引き上げて持って帰ったんだからいいでしょう。苦労したんスよ、あれ。大佐は大事な官給品だから回収しとけなんて殺生なこと言うし」
 誰のせいでこうなったのだ、とハボックは訴えたかったらしいが、ロイは平然と受け流してくれた。
 「沼の存在に気付かず、突っ込んでしまった貴様のミスだ」
 たっぷり水を浴びてしまったエンジンはもう使い物にならないだろう。せめて部品を拾ってリサイクルに回すことができれば、少しは落ち度も軽減されるかもしれない。その親心が判らんのか、とロイは大仰に肩を竦めた。
 「あれだけ枯葉やら小枝やらが積もってりゃ、沼のありかなんて判りゃしませんって。それより、用は何スか」
 「鋼のを宿舎に連れて行ってやってくれ。明日から早速現地に出てもらうからな。余り夜更かしさせるな」
 「了解。……行こうぜ、エド」
 ハボックのぞんざいさは相変わらずのようだった。否、粗雑な態度は以前より酷くなっているような気がした。この暑さと湿気に何日も晒されていては気分がささくれても当然か、と半ば諦め気分でエドワードは顎をしゃくられるまま、ロイの前を辞して室を後にした。
 「何だか、凄いところに来ちまったみたいだな」
 「前にも来たことがあるんじゃなかったのか」
 「奥地にまでは入ってねーよ。人がちゃんと住んでるとこにしか行ってない。いくら各地を歩き回ったって言っても、前人未到の僻地に分け入って冒険してたわけじゃないんだからな」
 つまるところ、街中からは出ていないということである。昔は城郭だったという町の境界線を一歩出れば、その先は一面のステップ地帯で、家族連れのプレーリードッグが走り回っていた。殺風景なことに、数十q四方に人家はなく、かつての森林の面影らしき木々がコロニーのように点在しているのみだった。北部のブリッグズ山ほどではないにしても、それなりの山地があり、ロイ達の詰めている駐屯地は峡谷から平地に出たところで左右に大きく広がる扇状地の付け根にあったが、窓から見える光景は、荒地と化した赤土があちこち露出している無残なものだった。もっと南下すれば、大規模な雨林が広がっているが、そこまで行くとアエルゴとの国境を越えてしまう。
 どうやらハボックは、そんな境界ぎりぎりまで足を伸ばしたらしく、踏み込んだ森の一つが有する落とし穴に嵌ってしまったようだった。
 「そうか。だが、まぁ安心しろ。お前にそんな危ないところまで行けとは言わねぇよ。大佐と同じできれいな仕事だ」
 「嫌味な言い方だな」
 「佐官は普通、現場には出ないからな。司令部に居座って通信兵からの連絡聞いて、あれこれ指示を出したり命令を下したりする。それ以外は自分のタマでも弄ってるしかやることねぇよ。直接手を汚すことはないんだから、きれいな仕事だろ」
 「じゃ、あんたはずーっと汚れ仕事やってんのかよ」
 「尉官は現場の指揮官だからな。ま、執務室でオナニーばっかさせておくわけにもいかねぇから、上司に適度に仕事を与えてやるのが俺達の役目ってわけだ」
 それがいいとも悪いとも言わず、ハボックはズボンのポケットに手を突っ込むと、さっさと大股で歩き出した。
 「宿舎に行く前にちょっと寄るところがある。悪いが、顔を出してやってくれ」
 「どこへ行くんだ」
 「民家を一件借りて兵舎にあててる。俺に預けられた一個小隊がそこに詰めてんだ」
 顔見せのようなものだろうか、とエドワードは漠然と思った。新入りに対する儀礼のようなものである。
 一個小隊といえば、普通は一〇〜二〇人程度。二〜三個の分隊からなり、分隊長は軍曹か曹長。場合によっては曹長が士官待遇の士官候補生だったりもする。この士官候補生は、原隊となる連隊に預けられて士官としての根性と信念を叩き込まれ、とことん鍛え上げられる。所定の期間が過ぎれば、正式に任官することになるのである。
 「あそこだ」
 ハボックが言うところの兵舎は、歩いて一〇分くらいの場所にぽつんと建っていた。民家を借りたと言っても、家屋というより、まるで納屋か倉庫として使っていたらしい掘っ立て小屋のような小さくて狭い、おまけに粗末な造りの佇まいだった。冬だったら隙間風が吹き込んで、いたく寒い思いをすることだろう。
 こんな廃屋の一歩手前のような小屋しか借りられなかったということは、どうもこの地域の住民は軍に余りいい感情を持っていないらしい。もっとも、交易など経済活動が盛んな地域は自由や自立の気風が強く、中央からの締め付けを嫌う傾向がある。冷遇されても仕方がないと割り切っているのか、このくらいは気にするほどのことではないと思っているのか、ハボックは何もコメントを挟まなかった。
 ただ、小屋から漏れ出る、夜半にあらざる赤々とした灯りと、けたたましい笑い声や賑やかな叫び声にエドワードとハボックは同時に眉を潜めた。
 「何だか、ヤな予感」
 「俺もだ」
 予感というのもおこがましい。二人はため息をつくと小屋のドアに手をかけ、大きく開け放った。とたん、むっとする酒の匂いが襲い掛かってきた。
 「うわ……」
 「やっぱりな」
 中は、大部屋一間があるだけだった。そこに、二〇人近くの兵と下士官がべろんべろんに酔っ払ってごろごろと地べたに寝そべっていた。しかも、大半の者がハボックと同じ半裸の状態だった。
 後で知ったのだが、皆で町まで行って浴びるほど酒を飲んで来た後だったらしい。
 「すげ……」
 酒くさ、と言いながら、エドワードは吐きそうな顔で鼻を押さえた。きついアルコール臭にはまだまだ馴染みがない年頃である。腐臭さえ覚えて、気分が悪くなった。
 「何だかイキのいい殺戮現場みたいだ」
 「ああ、そうだな」
 どこか呆然とした口調なのは、ハボックもこの光景は予想外だったかららしい。困惑したようにがりがりと頭を掻くと、大きく嘆息した。
 が、戸惑った素振りはそこまでだった。すぐに顔を上げると、咥えていた煙草を口から離し、指に挟んで大きく息を吸った。そして、エドワードがぎょっとするような声を張り上げた。
 「おい、野郎ども、こっちに注目しろ」
 決して甲高くはないが、よく通る男の声がびりびりと屋内に響き渡る。
 殆ど反射的に男達がいっせいにこちらを向いた。ぎょっとはしていたが、一瞬の沈黙の後、すぐにハボックと認めて兵達がほっとざわついた。
 その中から、軍曹の階級章をつけた男がハボックに話しかけて来た。
 「小隊長殿、もう戻ったんですか。お勤めご苦労様です。マスタング大佐のご機嫌はいかがでした」
 「クーラーが切れてひいひい言ってたな。しかし、こりゃいったい、どういうこった」
 「いやぁ、酒を飲んだら体温が上がって、少しは涼しくなるんじゃないかと思いましてね」
 軍曹が陽気に応える。屁理屈だ、とエドワードは思った。アルコールを摂取すると体温は上がるが、利尿作用がある上に汗をかくため水分が失われて血液の濃度が高くなり、心臓に負担がかかってしまう。この状態で下手に運動したりすると命に関わってくる。暑いどころの騒ぎではない。
 「それより、エドを紹介するぜ」
 「エド?」
 言われて軍曹がエドワードへ視線をやる。ただのガキだと思ったらしく、首を傾げていた。
 「エドワード・エルリックだ。国家錬金術師の。名前ぐらいは聞いたことあるだろ。今回の件でこっちに派遣されて来たんだ、司令部からな」
 「……ってことは」
 その瞬間、軍曹の顔ににぃぃっと喜色が広がった。口が耳まで裂けるような笑みというのはこういうのを言うのだろうか、とエドワードは思った。
 「お前の期待通りだ。中尉はこっちにゃ来ねぇよ。俺の言ったことは嘘じゃなかっただろ。こっちに後から来るって士官はこいつのことだったんだよ。もっとも、正規の軍人じゃなくて、士官待遇の軍属だが」
 良かったな、とハボックがぽんぽんと腕を叩く。それに応えて、くすくす笑いながら軍曹が何度も頷く。いったい何なんだ、この反応は、とエドワードが不思議に思う間もなく、くるりと背を向けるや否や、軍曹は皆に言い放った。
 「喜べ、野郎ども! あのメス犬は尻尾巻いて逃げちまったぞ。ざまぁみろってんだ」
 やったー! と怒濤の如く男達の歓声が上がる。それと同時に兵達が肩を抱き合い、背中を叩き合っていっせいに騒ぎ出した。
 「どういうことだ、これ」
 事態の推移について行けず、エドワードがきょとんとハボックを振り返る。それへ、少尉は大仰に肩を竦めた。
 「ホークアイ中尉が乗り込んで来なくておめでとうって話だ。さ、行こうぜ」
 もういいのか、ハボックがエドワードを外に出るよう促す。
 「中尉ってそんなに嫌われてたっけ」
 エドワードが知っている限り、東方司令部でそのような噂は耳にしたことがなかった。否、きちんと業務管理をする優秀な女性士官として誰もがそれ相応の対応をしていたはずである。
 「嫌われてるというより、疎まれてるって言った方がいいな」
 「何で?」
 「優秀だからだ」
 「……?」
 余計にわけが判らない。首を捻るエドワードに、ハボックは付け足した。
 「大佐にいつもぴったりくっ付いてるだろ。腰巾着だってやっかまれちまってんだよ。気の毒といや気の毒なんだがな、さっきの連中には女狐呼ばわりされてる」
 「女狐? 性悪ってことか」
 「いや、虎の威を借る狐って意味だ。中尉が今の地位にいられるのも、偉そうに俺達に命令を下せるのも、優秀そうに見えるのも、ぜーんぶ大佐の贔屓の引き倒しのお陰だってことだ。どうせ大佐と寝たんだろ、てな。要するに、女の分際で出すぎた真似をするんじゃねぇよ、とっとと奥にすっこんでろ、副官なら副官らしく書類整理だけやってろ、バカヤローってわけだ」
 「ムチャクチャな言いようだな」
 それでメス犬か、と納得したが、男の本音を隠しもしない言い分に、エドワードは苦笑した。
 軍や警察などの、マッチョさを求められる組織にあり勝ちな男性優位に満ち満ちたそれは、どれだけ時代が移り変わろうと、女が有能さを発揮しようと変わらないものらしい。寧ろ、優位性を見せ付けられれば見せ付けられるほど、余計にその反感は高まり、尊敬や敬意を勝ち取ることはますます難しくなる。所詮、男はプライド――根拠のない――だけで生きている。己れと同じステージに女が立つことを許さない。もし、そのタブーを犯す者がいれば、全身全霊をかけて蹴落とし、排除する。己れより未熟で劣っていると思っている限り、男は女を可愛がり、庇護もするが、そうでないと判った時の拒絶は下世話で凄まじい。
 かように、軍で女が出世するのは難しい。進級一つとっても、あれこれ陰口を叩かれ、足を引っ張られる。特に、ホークアイのように可愛げのない女はそうだった。
 「それで、今回は俺がこっちへ来ることになったんだ。今回の小隊は、東方司令部の所属じゃなくて、南方司令部から借りて来たモンだからな。下手に女が指揮するなんてことになったら、いっせいにボイコットかサボタージュされちまってたかもしれなかった。大佐はそれを見越して俺を副将に指名したってわけだ」
 賢明な判断である。先程のような兵舎に女性を入れたらとんでもないことになっていただろう。ホークアイをよく知る者ならまだしも、反感を持っている連中が相手では、どのような問題行動が決行されるか判ったものではない。男が男らしさを見せ付ける手段や方法は下半身方向の暴力沙汰と相場が決まっているのである。事実、そのような不祥事が過去に何件か起こっており、前途有望な女性士官が何人も軍を去って行った。
 「それじゃ、中尉は悔しかっただろうな」
 「ああ。大佐がわざわざ東方司令部から出っ張って来るってのに、何で私がついて行ってはいけないんですか、どうして私じゃダメなんですか、余計な配慮は無用ですって、さんざん大佐に噛み付いてたっけ」
 その場に居合わせていたのか、ハボックが煙草を吸いながら、口元に皮肉っぽい笑みを浮かべる。恐らくは、そんな荒くれ男どもでもちゃんと指揮してみせるだけの自信がホークアイにはあったのだろう。が、ロイの態度は素っ気なかった。
 「今回の件は戦闘の可能性がある。白兵戦のな」
 と、別の方向からホークアイの抗議を一蹴しようとした。が、お互い、イシュヴァールの内乱で前線に出ていた身である。それが言い訳であるのは、どちらも承知していた。
 「戦闘ならば、いくらでも経験しています」
 狙撃が専門だからと言って、接近戦のキャリアも勝算もないと思われるのは心外だ、とホークアイは迫ったが、元よりロイに承諾する気はさらさらなかった。
 君の出る幕ではない、と納得させるのはかなり難しそうだ、とハボックは横で見ていて思ったが、ロイは顎に手を当ててしばらく考えると、一つ質問した。
 「では、仮定の話をしよう。いざ戦闘となったら、ターゲットが何者であれ、上官に撃てと言われたら、君は引き金を引かなくてはならない。殺せと言われた人間が武器を持たない民間人でも、君は撃つことができるか」
 それへ、ホークアイははっきりと頷いた。実際、ゲリラ戦や市街戦となれば、民間人でも利敵行為をなす者として殺されることがある。何も知らなさそうな一家族をいきなり路上に引きずり出し、逃走した敵兵の情報を聞こうとして、殴る蹴るの暴行の後、一人づつ順番に射殺して行ったという逸話もざらだった。
 それを残酷だと断じるのは簡単だが、ゲリラやテロリズムなどの低強度戦争が主流となりつつある現在、民間人とテロリストの見分けがつかないことが多い。無害だと思われていた住人がいきなり銃を取って発砲することもあるのである。町で客引きをしていた娼婦が情報屋だったり、時には殺し屋だったりする。背中を刺されたくなかったら、疑わしきは始末しておく、という強固なマインドセットは心しておくべきだった。
 言われるまでもない、とホークアイは思ったのだろう。が、ロイは続けた。
 「では、そのターゲットが一〇歳くらいの女の子だったら?」
 「……っ」
 はっとしたようにホークアイが息を呑むのが判った。さっと血の気が引くような豹変ぶりに、ハボックの方が意外の念に打たれた。
 たっぷり一分は沈黙していたホークアイは、やがて首を振った。
 「すみません。余計な手間を取らせました。今回は……」
 口篭るホークアイへ、ロイはやっと満足そうに椅子の背凭れに体を預けた。それで話は終わりだった。手を振ってホークアイを執務室から追い出すと、ハボックを側に呼んだ。
 「それってズルくないか。悪徳弁護士の法廷テクニックみたいだ」
 そうだな、と当然のようにハボックから同意の返事が来るものだとエドワードは思っていた。が、しかし、ハボックは予想に反する台詞を吐いた。
 「中尉には殺れないってのか」
 「は?」
 「違うな」
 と、ハボックはにやりと笑った。
 「中尉は殺れる、と思ったんだよ。一〇歳くらいの女の子でもな。だから、そういう自分に気付いて青褪めたってわけだ」
 「……」
 「極限状態に置かれた時、自分がどういう行動をとるのか、誰よりも正確にシミュレーションできる。そういう場所に身を置いたことがあるからな。しかも、その後、どういう感情に苛まれるかということまでちゃんと把握してる」
 エドワードが口を挟む前に、ハボックは先に結論を下した。
 「だから、自分は行けないと判断したんだ」









To be continued