積極的方策 1








 何故か、ハボックが見慣れない軍帽を被っていた。軍帽自体は別に珍しくも何ともないのであるが、いつも被っていない者がきちんと頭に乗っけていたりすると、妙な違和感が漂ってしまい、ついついクェスチョンマークを浮かべてしまう。
 これから出かけるところだったらしいが、外はすでに秋。気紛れのように暑い日はあるものの、耐えられないほどの強い日差しはなく、日射病患者も熱中症患者もゼロになって久しいこの頃だった。
 「何だよ、大将。そんなにこれが変か」
 と、ハボックはいつになくぶすくれた表情で、約一ヶ月ぶりに東方司令部を訪れたエドワードに報いた。
 「それ、どうしたんだ」
 不思議そうに聞くエドワードに他意はない。ハボックはため息をつくと、実はな、と躊躇いがちに軍帽を取って見せてくれた。
 「え……? うわ……っ」
 側頭部に削り取られたような百円ハゲがあった。が、よく見るとまだ真新しい縫合跡がくっきりと刻み込まれており、処置後の腫れも引いていない痛々しい状態だった。
 そういえば、と今気付いたように見てみれば、ハボックの頬の辺りや鼻先には擦り傷の痕や治りきっていない痣がいくつも残っており、何らかの不幸な事件に遭遇したことを物語っていた。
 「付き合ってた女と喧嘩でもしたのか。それとも、階段のてっぺんから転げ落ちたのか」
 「どっちも違う。実は、交通事故に遭ったんだ。全治一週間。事故に遭ったのは三日前」
 公務で外出し、クルマで往復したのであるが、不運なことに復路において、暴走車に遭遇してしまったのだという。
 場所は見晴らしのいい一本道。問題のクルマは反対車線をかなりのスピードで疾走しており、ドライバーはすこぶる緊張状態だったらしい。ハボックの乗った軍用車の何に驚いたのか、いきなりハンドルを右に切ると、そのままUターンして逃げようとしたのであるが、操作を誤ったらしく、殆ど九〇度カーブをする形で突っ込んで来たのである。
 衝突されそうになったハボックは、当然のことながら回避しようと急ブレーキをかけ、反対方向にハンドルを切ったのであるが、それがまずかった。路上に何があったのか判らないが、タイヤがスリップして横滑りし、路肩を踏み外すや一〇mはあろうかという崖下へ転落してしまったのである。
 がくんという衝撃を受けて、まずい、と思ったまでは覚えているのであるが、その後は何がどうなったのか全く記憶にない。
 気がつくと、天井から伸びているシフトレバーをぼーっと眺めていたという。
 つうっと頬から顎に血が伝い落ちてくるのを感じてやっと我に返った。痛む頭と肩を宥めながら捻れた体を元に戻し、四苦八苦して何とか割れた窓から這い出ようとすると、ありがたいことに、腕が外に出た時点で、事故のけたたましい騒音を聞いて駆けつけてきた付近の住民がハボックを外に引きずり出してくれた。
 後で知ったのであるが、エンジン部分からガソリンが漏れ出ており、プラグから引火したら、焼夷手榴弾よりも派手に爆発炎上するところだった。
 ハボックの傷や痣はこの時に負ったもので、他にも体のあちこちに軽い打撲傷があるという。が、動けないほどの重傷ではなく、骨折も裂傷もなく、診察してくれた軍医には、
 「よくこれだけの怪我ですんだねぇ」
 と、感心された。普通、クルマが一回転すると、ドライバーの半数以上は即死している。ハボックの乗ったクルマは気前よく一回転半していた。救助してくれた住民達も、ドライバーは死んでしまったものと思っていたらしい。が、自力で出て来ようとしたハボックを見て、手を貸してくれたのだという。
 「地獄で仏だな」
 「ああ。これからお礼方々事情聴取に行くんだが、お前はこれから大佐のところか」
 「そのつもりだったんだけど、さっきファルマン准尉に聞いたら今日は一日外出して戻って来ないから、用があるなら明日にした方がいいって」
 だから、このまま宿の方に戻るつもりなのだ、とエドワードはつまらなそうに肩を竦めた。これで丸一日が無駄になる、と苛立たしく思っているのだろう。
 「暇なら付き合うか。宿まで送ってやるぞ」
 「そうだな」
 それは嬉しい。エドワードは一も二もなく、ハボックの後について行った。
 「どこで事故ったんだ」
 「サンロードの脇の教会の近くだ」
 「教会って、赤い屋根に白い十字架のあるあそこか」
 「よく知ってんな、今にも壊れそうなあばら屋なのに……」
 実際、来月取り壊されることになっていた、と後になって二人は知ることになる。
 この教会は四世紀近く前に建立された年代もので、長らく住民達の拠り所ともなっていた社交の場だったのであるが、過疎とともに布教活動は衰退し、数一〇年前に教区が隣町と統合されたのをきっかけに、管理責任者として常駐していた神父だか牧師だかが任を解かれて退去したため無人となってしまったという。現在では訪れる者もいない、廃墟と成り果てている。取り壊すにも金がかかるという理由でその後の処置が有耶無耶になってしまい、教会自体が放置されてしまったらしい。お陰で古びた建材があちこち腐食したり、壁の漆喰が剥がれ落ちたりしてかなり風化と崩壊が進んでいる状態だった。前庭も雑草が茫々と生い茂り、足場も頭上も危険なことから、近隣住民の判断で立入禁止にしているのだとか。
 などとハボックに教えてもらいながら、エドワードは駐車場に止めてあった軍用車に乗り込み、リアシートに座った。
 「で、あんたにぶつかって来た奴はどうなったんだ」
 「逃げた」
 「クルマは?」
 「乗り捨てられてたぜ。しかし、盗難車だったらしくてな、警察に被害届けが出されてた。中から身元を証明するようなものは全く見つからなかったし、貴重品に手をつけた痕跡もなかった。もしかしたら、逃亡のまっ最中だったのかもな。売り飛ばす気だったのか、単にドライビングを楽しみたかっただけなのかは、そいつを捕まえて聞いてみないことには判らねぇが」
 「それで、少尉を見て慌てたのか」
 「多分な。何らかの犯罪に関わってたんだろうと思ってそれらしきファイルをめくってみたりしたんだが、肝心の俺の頭がはっきりしなくてな。頭を打ったせいか、事故の前後一時間くらいの記憶が曖昧になっちまってて、ドライバーの顔を全然覚えてないんだ」
 悔しいことに、とハボックは嘆いて見せた。頭部に強い衝撃を受けるとよくこのような症状が現れるのだ、と軍医は慰めてくれたが、歯痒いことだった。もし、明確にその男の顔を思い出せたら、とっとと憲兵の尻を叩いて捜査に協力していただろう。
 「しょうがないから、地道に目撃者探しだ。事故の様子を見に集まって来た住人の中に一人か二人くらいは奴さんの顔を覚えてる者がいるかもしれねぇだろ」
 「誰かが匿ってたりして」
 「あの辺りは、軍に対する感情は悪くない。教会の方に逃げて行ったって証言があるから、そっちも当たってみるつもりだ」
 「でも、閉鎖されてんだろ」
 「そうなんだよな。門扉には鎖。教会の出入り口にはでかい閂が下ろされてて錠がかけられてるって話だ。敷地には入れても、建物の中には入れない。隠れるような場所もない。多分、見間違いだろう」
 取り敢えず見に行ってみるか、という程度の軽い気分で二人は事故現場へと向かった。
 そこは市内から多少離れているせいか、なだらかな起伏のある、典型的な郊外の平地帯だった。民家はまばらで一軒一軒が孤立しており、イーストシティから延びる道路はハボックの言った通り、見晴らしのいい場所に一本すっきりと通っていた。二車線で交通量も大したものではなく、本来ならば事故など起こるはずもない場所である。
 「こんなところで事故るなんて、誰も考えねーよな」
 路面に残る急ブレーキのタイヤ痕を見ながら、エドワードは皮肉っぽく言った。
 「言っておくが、居眠り運転なんかしてなかったからな」
 「でも、結構スピード出してただろ」
 タイヤ痕の跡を指差すと、エドワードは前にも忠告した指摘を繰り返した。特に急ぐ用でもないというのに、ハボックはスピードを出したがる悪癖があった。が、危険運転をしているという自覚は薄いようで、誰が忠告してもやめる気配を見せない。
 一説によると、吹っ飛んで行くような爽快感が性的な興奮や満足感に繋がる、または同等の快感を催すらしく、酒や煙草と同じで、病み付きになるとなかなかやめられなくなるのだとか。オーバースピードは一種の麻薬とも言われている。調子に乗ってスピードを出していれば、いつどかんとやってもおかしくない情況にドライバーを追い込んで行くのであるが、しかし、
 「三〇qしかオーバーしてない」
 と、ハボックは胸を張る。ちゃんと四点留めのライフベルトをしていたのだからいいだろう、それに軍用車はとことん頑丈にできているのだ、と。生半可な銃で撃っても貫通しない、分厚い装甲を誇っているのだから、この程度の怪我ですんだのだ。
 「そういう問題か」
 思わずエドワードは軍医の意見に同調したくなった。確かに、よく生きてたもんだ、と褒めてやりたい。いや、怒鳴りつけてやりたい。
 「黒焦げ死体になっても知らねーぞ」
 「覚えとくぜ」
 小憎らしくもハボックはエドワードの頭を撫で、サイドブレーキを引いたクルマから降りた。
 付近の住民といっても、その場にいたのは四、五人だった。しかもこの日、ハボックが話を聞けたのはそのうちの二人だけで、後は仕事や用事で出かけていて留守だった。
 「乗っていた子は、若かったわね。派手な模様のついたパーカーを着ていたのは覚えてるけど、顔ははっきりと見たわけじゃないから、似顔絵を描けって言われてもちょっと、ねぇ……」
 と、最初に会った中年の女性は頬に指を当てて困惑していた。逃げて行くクルマの中の男よりも、目の前でアクロバット着地したクルマの方に気を引かれてしまい、ろくに見ていなかったのだという。
 「しょうがねーよな。怪我人の救出の方を急ごうって、普通の神経の持ち主なら思うもんな。モラリストばかりの場所で事故って助かったな」
 「まぁな」
 次に会えた目撃者からも同じような情報しか得られなかった。曰く、クルマを運転していたのは若い男で、まだ少年と言ってもいい年頃だった。パーカーにジーンズというカジュアルな服装で、髪は中途半端な長髪、胸元に刺青らしい黒い文字が垣間見えたが、見間違いかもしれない。等々。
 「刺青ってのは特徴的だよな。パーカーの模様もどういうのか判ると手がかりになると思うんだけど……」
 「まぁ、最初はこんなもんだ。ある程度時間が経って、そのうちひょんなことから思い出したりするもんなんだ、見落としていたことや忘れてたことをな」
 「じゃ、教会の方にも行って見るか、念のために」
 「足跡でも残ってたらもうけもんなんだが……」
 全然期待はしていないのだろう、ふざけたように肩を竦めて見せたハボックはクルマを路肩に置いたまま、道を外れて小路へ入ると、その突き当たりにある教会へと向かった。
 敷地へ入るには門を潜らなくてはならなかったが、錆だらけの門扉はどこかの強制収容所の鉄条網かと見紛うほど厳重にバリケードされており、見るからに立ち入り禁止区域の入り口と化していた。それを軽々と飛び越え、躊躇いもなく二人は中へと入って行った。
 が、敷地内に入り、教会の塔に近寄ると、筋金入りの廃屋だというのがよく判る。壁は退色してあちこちレンガが剥き出しになっており、ひび割れた木材部分は水を含んだように黒ずんでカビが生えて入る部分もあった。目張りしてある窓ガラスの殆どは砕かれ、元は明るい色調だった屋根は変色して歪に凹んで不規則な曲線を描いており、シンボルであるはずの十字架すら片腕が取れそうなほど錆による腐食が進んでいた。内部の荒廃ぶりは推して図るべしである。
 「幽霊でも出そうだ」
 「出るらしいぞ」
 「マジ?」
 「無人のはずの教会から人の話し声が聞こえたり、人影が見えたりすることがあるそうだ」
 「誰かが勝手に入り込んでんじゃねーの」
 「いや、ここへはさっき通った小路が一本あるだけだ。奥は行き止まりになってる。誰もそこを通った気配がないのに、教会の中がざわついてたりするそうだ。もちろん、敷地から出て来る奴もいないってよ」
 「抜け道があったりして」
 「残念ながら、そんな話は聞いたことがねぇな」
 「でも、教会みたいな宗教関係の土地はひと昔前まで、治外法権みたいなもんで、官吏も簡単には入れない場所だったじゃねーか。それに、内乱みたいな騒動が起こったら、住民達の避難場所にもなってたはずだ。抜け道があっても驚かねーよ、俺は」
 「それは一理あるな」
 ふむ、とハボックは顎を撫でる。
 治安が悪化し、司法の目が届きにくくなると、地元の住民は官警に助けを求めたり役所に訴えたりするよりも、自力で身を守る方策を考えるものである。合法性や正当性を問うていたら手遅れになる場合が多いため、さっさと逃亡するか、騒動の原因を内々で始末してしまうか、とにかく公権力の手を借りずに解決を図る。その時、知恵を貸してくれたり指導的な役割を果たしたりしたのが、土豪や教会など一定の教育を受けた人々だった。
 また時には、それは為政者に対する反抗にも及んだ。厳しい税金の取立てに業を煮やした住民全員が一晩のうちに一斉に土地を捨てて逃げ出し、ほとぼりが冷めるまで隠れていたという洞穴や山城の跡が今も次々見つかっているし、罪には問わないからいい加減戻って来てくれ、という懇願するような領主の書状もしっかり残っている。
 ある意味、圧政に対しては武装蜂起よりもエスケープやハンガーストライキ、サボタージュのような非暴力的な抵抗の方がよっぽど効果的だったりするのである。何せ、生産能力のある者がいなくなれば、その収取で生きながらえている支配層は干上がってしまう。しかも、逃げ出した農民達は別の領地へ行ってそこで耕作することになるため、生産力を奪われる事態にもなりかねず、かつてはそれが原因で領主同士が流血沙汰の諍いを起こすことも珍しくなかった。
 「中に入ってみるか」
 「勝手に入ってもいいのか」
 当然のことながら、教会の玄関ドアにはハボックが指摘した通り、見るからに頑丈そうな鋼鉄の閂が下ろされ、時代のかかった錠がかけられている。錆び付いていはいたが、ちょっとやそっとでは外れそうになかった。
 「壊せるんだろう」
 と、ハボックがエドワードに問う。
 「後で器物損壊とか不法侵入とか文句言って来ねーなら、いくらでもやってやるよ」
 「俺は何も見なかった」
 そう言うと、ハボックは新しい煙草を取り出し、くるりとエドワードに背を向けて火をつけた。
 「よーし」
 ぱん、といつもの通り、両手を打ち鳴らす。そのままペンキも剥げた廃材色の壁に手を突くと、数瞬、見慣れた錬成光が瞬いた。それが収まると、目の前には速成のドアができていた。
 「行こうぜ」
 「おう」
 が、しかし、一歩内部に足を踏み入れて、エドワードは無遠慮に唸った。つんと鼻をつく異臭。長い間放置されていたことを物語る廃屋特有のかび臭さと湿気て腐敗した木材の臭い、ネズミや昆虫などの害獣が所狭しと走り回り、その後に残した糞尿の臭い、数pはあるかと思われる埃の山の臭い。また、それを空中に撒き散らした刺々しい空気。
 予想以上の崩壊、腐敗具合だった。天井のアーチ型の梁が今にも落下しそうなほど折れ曲がってかなり不安定な状態になっており、信者が座っていただろう会衆席の上には幾重にも張り巡らされた蜘蛛の糸がかかっていた。祭壇だった場所には台座くらいしか残されていなかったが、そこも埃で真っ白だった。
 「蒸すな、ここ……」
 どういうわけか、屋内はやたらと湿度が高かった。纏いつくような湿気がじっとりと肌に張り付き、汗と相俟って服までべっとりと濡れて酷く不快で気持ち悪い。
 「肝試しには最高の場所だろうけど、吐きそうだ……」
 「さすがに床はパッチストーン造りで頑丈そうだがな……」
 踏み抜く心配はないが、しかし、とハボックは靴跡を消したような泥と埃がまだらになっている石の表面を見て呟いた。
 「誰か出入りしてたようだな」
 手を伸ばし、床に捨ててあったマッチ棒を拾い上げる。すでに発火した後の燃え殻だったが、柄の部分がまだ新しく、腐食している様子はなかった。
 「最近のものか」
 「そうらしいな。……ああ、ここにもある。焚き火してたわけじゃないようだから、ちょっと一服してたのかもしれねぇな。いや、待ち合わせか」
 「こんな居心地の悪いところでか」
 「ホームレスだろ。連中には雨露が凌げるだけでも天国だ。屋根のあるところならどこにでも潜り込むだろうよ」
 「ホームレスならもっと大々的に生活感のあるもんを残して行くぜ。缶詰なんかの食糧とか、酒ビン、雑誌、寝るための毛布とか、ダンボール、新聞紙……」
 「やけに詳しいな」
 「ほっとけ」
 「まぁいい。幽霊の正体見たり枯れ尾花だ。どこの誰かは判らねぇが、ここに出入りして溜まり場にしてる連中がいるのは確かだな」
 「抜け道がどこかにあるってのか」
 まさか探すのか、とエドワードが問いかけて来る。この幽霊屋敷のような廃屋の中を、と考えただけでもうんざりする。が、ハボックは当然の如く言ってのけた。
 「埃の積もってない、きれいな場所か、足跡が残ってる場所を探してくれ。絶対に、抜け道へ続く痕跡があるはずだ。って、おい、何だその顔は」
 「だって、こんなところ捜索したって何にもねーよ。事故と関係ないなら、さっさと行こうぜ」
 あるかどうかも判らない、しかも、無駄骨になることの可能性の高い作業にエドワードは酷く消極的だった。廃墟マニアでもない限り、こんな非衛生的なところに長居したいとは思わないだろう。
 「まぁ、そう言うなよ。乗りかかった船ってことで、協力しろって」
 「でも、あんまりどかどか歩き回ったら、危なそうだぜ。床はともかく、天井が」
 今にも梁が落ちて来そうだった。下手に壁や床を叩いたり揺らしたりしたら、その振動で天井自体が崩落する危険性もあった。基礎部分やレンガ造りの壁だけ残って、きれいに屋根が落ちてしまっている廃屋を、エドワードは何度となく目撃しているだけに、頭上注意の警報が鳴っていた。もしものことがあったら、無事ではすまないだろう。
 「ちょっと調べてみるだけだって。手間は取らせない」
 ハボックは気楽にそう言ってくれたが、エドワードはやはり乗り気にはなれなかった。
 どうも嫌な感じがする。物理的な危険性だけでなく、窓の中から外から誰かに見られているような、今にも床から何かが飛び出して来そうな、妙に不安を煽るような、何とも御し難い不気味さが漂っているのである。
 「ここでうろうろするのは一五分が限度だ。それ以上かかるなら、俺は降りる」
 「判った判った。そう尖るなよ」
 渋々エドワードは手を貸してやることにしたが、しかし、この時点で、何かが見つかるとは全く期待していなかった。自分で指摘しておきながら、抜け道なんか本当にあるのか、とエドワードは半信半疑だった。
 が、捜索開始から約一〇分という短い時間で、二人はしっかりと見つけてしまった。
 「ここの床の石、ずれてないか」
 「ちゃんと嵌めておくはずのものを、ちょっとドジってズレてしまったって感じだな。どけてみよう」
 パッチストーンの一つである正方形に切り揃えられた砂岩が僅かに斜めに嵌っており、よく見なければ判らなかったが、動かして元に戻した後のように思えた。しかし、見るからに重そうな石だった。否、実際、重かった。小規模とはいえ、一軒の家屋を載せる基礎部分である。何よりしっかりと地面に打ち込まれていることは間違いない。
 しかも、手をかけて力を入れて動かしたとたん、みしっ、と嫌な音がした。
 「少尉……っ」
 エドワードが叫ぶと同時に、ハボックを突き飛ばす。次の瞬間、側の壁が大きく揺れ、ぱらぱらと埃だか木屑だかよく判らないものを落としながらこちらに倒れ掛かって来た。しかも、連動したように折れかけていた梁が軋むや、それを支えていた支柱が外れ、けたたましい音を立てて落ちて来た。
 太さは直径一〇pくらい、長さは数mほどだったが、災厄はそれだけではなかった。支えの一部がなくなったことで、かろうじてバランスを取っていた天井の梁の片側が豪快に落ち、その勢いで壁を繋いでいた柱の数本がべきべきと不気味な音を立てて湾曲するように折れ曲がるのが見えたのである。
 「やべ……っ」
 捜索どころではない。立ち上がったハボックはエドワードの腕を掴み上げるや、入って来た扉に体当たりするように押し開き、脱兎の如く逃げ出した。
 外に出たとたん、二人はぼこっと屋根の一部が凹むのを見た。天井の大部分が崩落したらしく、何かが床に転がる音や破片に当たって壊れる音、床に散らばる音が次々聞こえて来た。
 どうやら、内部崩壊を数年分早めてしまったらしい。二人は雑草だらけの敷地の片隅で、それを実感した。恐らく、中は濛々たる塵芥が舞い上がり、視界〇の状態になっていることだろう。
 「やっちまったな……」
 「どうしよう」
 「決まってんだろ」
 二人は頷き合うと、そのまま踵を返し、すたすたと歩き出した。一度も振り返らなかったのは、言うまでもない。











2006,9,3 To be continued

  
 このところ、ハボエドやヒューエドなど、横道にそれたものを書いておりました。それはそれで楽しかったんですが、そろそろロイエドも書いてくれと友人に言われ、これを書いております。
 今頃なんですが、この話、ロイとエドがまだ恋人関係ではありません。要するに、お初のお話となります。