境目の城



 
 背後で、いきなり扉が閉じた時は、謀られた、と思った。が、もう後戻りはできなかった。
 「出てきやがれ、松永久秀っ」
 政宗が吼えるように呼びかけると、その声は不気味なほど静まり返った広い堂内に殷々と響き渡った。この東大寺の大仏殿こと金堂の荘厳な伽藍が世界最大の木造建築であり、八宗兼学の学問所であり、あらゆる信仰のよりどころであるということなど、全く頭になかった。
 目の前には無言で手印を組む盧舎那仏が鎮座し、奈良時代の昔から超然と下界を睥睨していた。その穏やかな半眼の双眸は人の世の儚さを哀れんでいるのか、ただ無関心なのか、政宗には判らなかったが、今はどうでもいいことだった。
 南大門を潜る前から休みなく走り続け、途切れることなく湧き出て来る雑兵を片っ端から切り伏せたせいでかなり息が上がっていたが、疲労も諦念も感じなかった。
 「政宗様、ご油断召されるな」
 「判ってる」
 苛立たしげに、しかし、小十郎の忠告に頷くと、政宗は顎から滴る汗を拭い、周囲に視線を遣った。大仏殿に入ってしまえばどんな仕掛けがあるか判らないと警戒してはいたが、ここで二の足を踏むわけにはいかなかった。人取橋で受けた屈辱は筆舌に尽くし難い。その恥辱を雪がねば、伊達の名は地に堕ちる。
 すでに人質は取り返した。しかし、喧嘩を吹っかけた当の本人を血祭りに上げなければ、家臣達への示しがつかない。否、この怒りが収まらない。そういう意味では、政宗は我れを忘れていた。小十郎がもう一度注意を促そうとした時だった。
 不意を衝くように、まるで近所を散歩でもしているかのような緩慢さで何かの気配が動いた。反射的に、大仏の足元に視線をやると、見覚えのある男が悠然と姿を現した。
 「ようこそ、双竜。待っていたよ」
 憎悪を掻き立てる落ち着き払った冷淡な声に、政宗と小十郎はさっと身構えた。ここへ辿り着くまでにかなりの伏兵を斬った太刀は血と脂に汚れ、なまくらになりかけていたが、この男を切り刻んでやるだけの余裕はまだある。
 「松永……っ、やっとお出ましか」
 「覚悟しやがれ」
 恫喝じみた二人のそれは、しかし、松永には全く通じていないようだった。最初に会った時に見せた、相手を小馬鹿にする笑みをうっすらと浮かべたまま盧舎那仏の前に進み出ると、この事態を面白がっている素振りを隠しもせずに言った。
 「卿の期待に沿いたいのは山々だが、今回私は遠慮しよう。悪いね」
 「何だと……っ」
 また逃げるのか、と憤る政宗を、やはり松永は嘲笑するように続けた。
 「心配しなくても、君達の相手を務める者はちゃんと用意してある。気に入ってくれると思う。存分に楽しんでくれ」
 松永の右手が上がり、ぱちんと指が鳴らされる。
 とたん、両脇の隠し扉がいっせいに開き、槍兵や弓兵がどっと押し出されるように出て来た。一気に堂内が殺気と熱気で満たされ、威嚇するような喧騒が広がった。
 「く……っ」
 咄嗟に政宗と小十郎は背中合わせで刀を持ち直した。が、この数では身動きが取れない。
 「こんな雑魚ばかりで俺達が仕留められるとでも思ってんのか。おめでたい野郎だな」
 「それにしてはなかなかいい格好だ。まだ切り抜けられると思っているのだろう。だが、これならどうかな」
 再度、松永が指を鳴らす。
 どん! と壁の一部が吹っ飛ぶ。もっとも、堂内の者を打ち散らすほどの勢いはなく、虚仮威しの花火か、と政宗は思った。が、しかし、その濛々と立ち昇った黒煙の後ろから現れた人物を目にして息を呑んだ。
 「幸村……っ」
 何故貴様がそこにいる、という疑問は、すっと幸村が松永の傍らに立ったことにより消え去った。
 「てめぇ……」
 ふつふつと怒りに混じった激情が込み上げてくる。ただでさえ良くなかった機嫌が更に凶悪化していくのが判ったが、政宗はそれを抑えようとは思わなかった。
 「こんなところで何してやがる」
 歯軋りするような問いに、しかし、幸村は戦場で何度も見せられた、毅然とした態度で政宗へ視線を当てた。
 「松永殿には指一本触れさせぬ。覚悟されよ」
 「覚悟だとぉ……? あんたの主は武田のおっさんだろ。大事な『お屋形様』をほっぽり出して、こんなところで何やってんだ。あんたにしちゃ趣味の悪い冗談じゃねぇか」
 思わぬ人物の登場に驚くよりも、堪え切れない憤りが突き上げて来る。幸村が甲斐からも信濃からも姿を消したのは、数ヶ月前のことだった。足跡を辿ることもできず、行方不明になっていたのであるが、こんなところで再会するとは思いもしなかった。
 「いざ」
 いつもの如く決然として二槍を構える仕種が、この時ほど腹立たしかったことはない。
 怒りの余り、笑みが浮かぶ。凄絶なそれは、しかし、戦慣れした幸村を動揺させることはできなかった。いったん標的を見定めれば、相手が誰であろうが打ち倒す敵としてしか認識されないのだろう。潔い割り切り方は相変わらずだった。
 「松永の手駒なんかに落ちぶれちまったとはな。お笑い種だぜ。それとも、『お屋形様』に売られちまったのか」
 わざと政宗は挑発的に憎まれ口を叩いた。いくら家臣の裏切りや離反が日常茶飯事の戦国の世とはいえ、あの幸村が信玄の側を離れるなど信じられない。増してや、戦国の梟雄の一人として挙げられ、剰え、あの信長を二度も裏切って手玉に取った男に仕えるなどあり得ない。
 何らかの事情があるのだろう、とは思う。幸村の言動は全て武田信玄を中心に組み立てられており、付け入る隙を一切与えず、完結していた。幸村の武田信玄に対する忠誠心は、まるで親子の情のように絶対的で、強固に他者の介入を許さない。それは唯一無二の好敵手と認めた政宗に対しても例外ではなかった。
 が、そんなことに思いを馳せる前に政宗は鼻を鳴らさずにはいられなかった。当然のことながら、かっとなった幸村が怒鳴る。
 「口を閉じられよ。貴殿に無駄口を叩く余裕があるのか」
 「そりゃこっちの台詞だ。やるってんならどっからでもかかって来な。あんたに会って素通りしようとは思ってねぇぜ」
 仕える主がいれば、盲目的とも言える態度でぴったり付き従う幸村の素直な性情が鬱陶しくも憎らしい。が、政宗の予想通り、直情的な幸村はこちらを睨みつけた。
 「ならば、参る」
 言いざま幸村が走り出し、跳躍するや、政宗の待つ石畳に降り立った。
 それが戦闘開始の合図となった。遠巻きに見ていた兵達がいっせいに政宗と小十郎に襲い掛かり、瞬時にして、堂内は怒号と悲鳴と、鍔迫り合いの坩堝と化した。
 きぃん、と甲高い金属音を立てて、政宗の影秀と幸村の朱羅が交差し、弾かれる。その手応えに、政宗は身震いするような歓喜に満たされた。
 これまでと変わりなく、幸村は真正面から正々堂々闘志をぶつけて来る。それは類稀な力を持った武将としての、勝敗に対する純粋な執着であり、好敵手に対する礼儀であり、嘘偽りのない情熱だった。それが単純に嬉しい。
 一対一で打ち合っている時だけは、その場にお互いしか存在しないとばかり、幸村は全力でぶつかって来る。己れの命より大事な「お屋形様」まで霞んで消えてしまうほどに、強烈に。それが政宗には一種快感だった。
 信玄に勝ったという実に子供じみた優越感に過ぎなかったが、二人だけで雌雄を決しようと対峙する一瞬一瞬は、まさに至福の時だった。
 「あんた、何を誑かされてんだ、あのジジイに」
 「ジジイ呼ばわりとは無礼なっ。弾正殿は――」
 「とんでもない卑怯者だぜ」
 言いざま、幸村の二槍を打ち払う。さすがによろけることもなく、幸村は次の一手を繰り出してきた。それを右の刀で受け止め、瞬時に躱すように脇へ流すと、政宗はガラ空きになった二の腕から下を刀で薙ぎ払おうとした。もっとも、それは読まれていたらしく、幸村は膝を折って姿勢を低く構えると、片方の槍で刀を弾き返した。
 「チッ」
 さっと政宗は幸村と距離を取った。休む間も与えず、幸村が二槍を突き出す。連続しての攻撃を巧みに避けながら、どこか冷静に政宗は周囲を窺った。




2009,7,16 つづきはこちら↓
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 久しぶりのオフセ本です。夏コミではスペースの位置が悪かったためか、全然売れなかったんですが、その後、ダテサナスペースに置いたら、あっという間に残り数冊。