大誤算
数十m先から、自宅を眺める。
赤々と電灯が灯っており、誰かが中にいる気配がしていた。これ以上誰にも渡すことはあるまい、と思っていた合鍵を差し出して、
「好きな時に来たまえ」
とエドワードに受け取らせたのは、一ヶ月ほど前。本当に、好きなように出入りしてくれるようになってしまった。
そう思えば苦笑が漏れるが、真っ暗で誰もいない、シーンとした家に一人寂しく戻って来るよりはいい。使うことなどないと思っていたキッチンから暖かな灯りが漏れている光景もいい。
と、ロイは心地よく思った。
が、しかし、玄関から居間に入ったロイは、そこで苦笑どころではない、複雑な気分に陥る光景を目にした。
居間では、ハボックとエドワードが、家主であるロイをほっぽって先に食事を始め、勝手に缶ビールやワインを開けてわいわいと楽しく騒いでいたのである。
「あ、お帰り、大佐」
「お先にやってまーす」
「大佐の分もちゃんとあるから、着替えて来いよ」
「これ、結構いけますよ」
と、ハボックが上機嫌で焼いたものらしい白身の何かを翳して見せた。一見、何なのか判らなかったが、すでに二人が口にしているところを見る限り、妙なものではないのだろう。単に、見慣れないだけ。
「お前ら……」
と、文句を言いかけたロイは、しかし、椅子から立ち上がったハボックがさっさと取り皿や箸を置き、席を空けているのを見て、口を噤んだ。
「判った。着替えて来よう」
ここで小姑みたいに愚痴愚痴言っても始まらない。ロイは諦めたように居間を出て行った。怒るのも大人気ない。というか二人とも決してロイを蔑ろにしているわけではないのである。寝室に入ると、ロイはクローゼットを開けて軍服を脱いだ。
「で、何の料理なんだ」
気を取り直し、改めて居間に戻ると、用意された椅子に座り、目の前の大皿の中身を聞いた。それへ、簡潔にエドワードが応える。
「アナゴ」
「アナゴか……」
一応、名前は聞いたことがある。詳しくは知らないが、季節によって深海から浅い海へと移り住むという海水魚の一種である。北部では広く食用にされたり観賞用にされたりしているが、東部や中央ではあまりお目にかかることはない。見てくれはウナギのような黒くて細長い体の持ち主だとか。元より、ウナギの仲間である。が、アナゴには鱗がない。ロイも、ウナギは見たことがあったが、アナゴを見るのは初めてだった。
もし、ここにファルマンがいれば、百科事典のように詳しく説明してくれただろう。
成魚の全長は三〇pほどのものから一mを超えるものまで様々。昼間は海底の泥の中に潜み、夜になると泳ぎだして獲物を探す。食性は肉食で、小魚、甲殻類、貝類、頭足類、ゴカイなどの小動物を捕食するが、プランクトンを捕食する種類もいる。アナゴの仲間は多く、一五〇以上の種類がいる。普通、食用にされるのは、マアナゴやクロアナゴなど。云々……。
「これは、焼いたのか」
「腹から切り開いてぺらぺらになったのを串に刺して炭火でじっくり焼くってのが本式なんだって」
「蒲焼っていうらしいスよ」
「炭火はなかったからガスコンロ使ったけど、なかなかいいできだろ。柔らかく焼くにはそれなりのコツがあるらしいんだけど……」
噛み締めたアナゴは、殊の外歯ごたえがあった。しっかりとした弾力性があり、どう贔屓めにしても、アナゴ特有の「舌にとろけるような」という食感からはほど遠かった。
「モツみたいだな」
「食えないわけじゃないんだから、いいだろ」
「まずいとは言っていない」
寧ろ、美味だった。どう調合したのか、うっすらとタレが付けられており、それが焼き物独特の香ばしさと相俟って、なかなか旨かった。臭みもなく、下味に粗塩でも振ったのか、噛めば噛むほど塩味が滲み出て、多少の硬さは気にならなかった。
「すみませんね、大佐。こいつは巷に出回ってのとは違う、別の種類のアナゴなんだそうスよ。何て名前なのかは忘れちまったんスけど」
「そうか、別の種類か」
ロイは納得すると、切り分けられたアナゴをしばらく見つめた。
同じキヌゲネズミでも、ゴールデンハムスターとジャンガリアンハムスターでは大きさも毛色も生活スタイルも気性も違う。顔つきは似ているし、頬袋を持っているし、尻尾は短いし、食性も同じであるのに。まぁ、そういうものなのだろう。
「春頃が旬なんだけど、今の時期、卵を抱えてる奴がいて、それもまたいいんだってよ」
「ワインより、こっちの方があいますぜ」
と、ハボックが缶ビールを差し出す。
「そのようだな」
上品な味わいというより、荒削りでがっついた方が旨く感じるような料理だった。恐らくは、漁師が浜辺で焚き火で炙って食う類の魚なのだろう。実際、その手の民宿に行くと、船頭が料理してくれるのだとか。
「で、このアナゴはどこで仕入れてきたんだ」
「北部の物産ばっか仕入れてる専門店が四丁目にできててさ、旨そうだったから買って来た。まだ二、三匹残ってるから、明日はぶつ切りにしたヤツを煮物にしてやるよ」
この暑いのに鍋物か、と思わなかったわけではないが、夏バテしやすいこの時期、ビタミンAの多いウナギの仲間はまたとない蛋白源だった。
To be continued 