萎縮する光
「ダメだった」
と、エドワードはわざわざ東方司令部から様子を見に来たハボックにそう報告せざるを得なかった。いつもの如く、酷くぶっきらぼうに。
夏の終わりにしてはまだまだ熱気を孕んだ風も緩やかな、と言うより、どんよりと澱んで茹だったような夕方だった。真っ赤な血の色に染まった西の空をバックに、エドワードは憤然と肩を落とした。目的を達せられなかったという落胆は腹立たしくも苛立たしい。何が面白いのか、咥え煙草のハボックはにやにや笑っていた。
「ダメだった、とはどういう意味だ」
聞きたいのはそういうことじゃない、という不満や嘲りも露わに、ハボックはわざとらしく紫煙を吐いた。
飾りのように家々の入り口に取り付けられた洒落たデザインのランプにはもう火が灯っており、それが夕闇の中で道標のように点々と輝いていたが、その反面、嫌が上にも夜の訪れと日没という陰気な世界の到来を実感させる。肩透かしに終わった一日を象徴しているようでもあった。
「まぁいい、話はゆっくり聞かせてもらうぜ」
と、ハボックはエルリック兄弟の投宿先である宿屋を背後に、わざとらしくため息をついた。ゆっくりというのは、この中で、ということだろうか。エドワードは怪訝に首を傾げると、自分達が投宿している宿屋を見遣った。
ここは、一般人が己れの家屋の空き室を旅行客に提供するというB&B(ベッド・アンド・ブレックファースト)である。チェックインもチェックアウトもあってなきが如し、風呂もトイレも共同、食事は経営者の家族と同じダイニングで取るというものだった。家族経営の常でホストファミリーは気さくで多少の融通は利くし、室の中も結構広くて居心地のいいものが多いが、他人と住居をともにしているも同然なのである。
当然、ビジネスホテルのように防音などのプライバシー保護は全くないと言っていい。軍関係の、聞かれて困るような話をしてもいいのか、とエドワードは疑問に思った。
「そんな妙な顔をするな。詳しいことは報告書で上げてもらうことになるが……。あの村にはまだ住人がいたはずだぜ。お前はその残留組から話を聞いて、村の実態を調査するんじゃなかったのか。ガキの使いみたいに簡単な任務だ。一両日中に片が付くって豪語してたのはどこの誰だったけな」
何をとろとろしているんだ、という呆れたような言い方にむっとしながらも、エドワードは反駁した。
「もちろん、そのつもりだったぜ。だけど、村まで辿り着けなかったんだ。言っておくが、サボってたわけじゃねーからな」
「近くまでは行けたのか」
「ああ」
「すみません、少尉。行けるところまでは行ってみようとしたんですが……」
エドワードの横にいたアルフォンスが釈明しようと口を挟む。が、ハボックはそれを遮るように一言で断じた。
「駄目だったんだな」
「何度も言うなよ」
憮然としながら、それでもエドワードはハボックがどういう意図を持ってここへ乗り込んできたのか、不審と警戒の色を隠しもしなかった。が、ハボックはそれを鼻先で笑うように煙草の火を消すと、地面に落として軍靴で踏み付けた。
「それじゃ、ちょっとドライブとしゃれ込もうぜ」
「ドライブ?」
「ここから五qほど離れたエスタリカって街に第一七師団麾下の連隊本部が置かれてる。そこでマスタング大佐がお待ちかねだ。お前から直接進捗情況を聞きたいんだとよ。せいぜい上手く言い訳してみるんだな」
「大佐が?」
エドワードは驚いた。今回の一件は、司令部付きの「大佐」がわざわざ足を運ぶような事件ではない。ただの村人の失踪と現状の調査である。
が、逆に言えば、ロイが出て来ざるを得ないような不測の事態が発生したということでもある。もっとも、大幅な変更――大抵は即時撤退――を要するような緊急事態がイーストシティで発生したとは聞いていない。いったい、何が起こったというのか、エドワードはアルフォンスと顔を見合わせた。
「別に取って食おうってんじゃない。お前の顔をちょっと拝みたいだけだろ」
「本当かよ」
全く警戒を解いていない表情でエドワードが問いかける。ろくなことではない、とこれまでの経験から極めて明確に断じられる。エドワードは尻込みしたが、ハボックは無視した。
「クルマは裏に停めてある。すぐ来いとのお達しだ」
ぐずぐずするなと言わんばかりにハボックはエドワードを急かした。
「しかし、アルフォンスはここに残ってくれ。用事がすんだら兄貴はちゃんと返してやるからな」
その一言で、己れがお呼びでないことを悟ったのだろう、アルフォンスは無理に引き留めようとはしなかった。これまでにもロイがエドワードだけを呼びつけてあれこれと任務を押し付けたり、単独で報告をさせたりすることがあり、そのたびにアルフォンスは蚊帳の外に置かれてしまっていたのだが、軍規上は仕方のないことだった。そういう時は、大抵軍の一定ランク以上の者にしか聞かせられない仕事を持ちかけられているのである。軍属ではないアルフォンスには耳にすることすら許されない情報があり、常にそれは厳密に管理されていた。仲間外れにされるのは癪に障るが、必要なことはエドワードの口から説明される。それで首肯するしかなかった。
「ホストファミリーには僕の方から言っておくよ。遅くなるようだったら、連絡してよ」
そう言うと、アルフォンスはエドワードから荷物を取り上げ、さっさと行けと追いやるように手を振った。
「悪い」
アルフォンスの物分りの良さに拍子抜けのような物足りなさを感じながらもエドワードは、くるりと背を向けたハボックの後を追った。悔しいが、ハボックの歩幅は広い。いつもエドワードは小走りになった。
「大佐の用ってのは何だよ」
「本人に聞いてくれ。俺からは何も言えない。ほら、ぐずってないで乗れ。嫌な用事なら早いとこすませちまおうぜ」
どこかいい加減な手付きで後部座席のドアが開けられる。大人しくエドワードは乗り込むしかなかった。
「連隊本部ってことは、そっちで何かあったのか」
「いいや。何も起こっていないし、何もまずい事態にはなっていない。毎日が平穏無事で、みんな退屈してタマいじりしてるくらいだ」
ハンドルを握ったハボックは酷く無愛想だった。胸ポケットから取り出した新たな煙草に火をつけ、クルマを発進させると、その後は一言も口をきかない。エドワードも黙るしかなかった。
仕方なくサイドウィンドウから外を見ていると、一応街路と称される幹線道路にクルマは乗り入れて行った。
この地域一帯は元々農村地区で、ひと昔前は田畑と果樹園しかない長閑で静かな暮らしを人々は謳歌していたのであるが、この近年、俄かに市街化を始め、人口の増加とともに、急激に姿を変えようとしていた。
原因は、鉱山の開発だった。この地域は、山一つ越えた向こうはもう北部に属するという境界線ぎりぎりの土地なのだが、その山間に存在する鉱脈がいきなり宝の山と化したのである。貴重な資源を大量に産出するとのボーリング調査が公表されたとたん鉱山の買い上げに軍産関係の企業がいち早く声を上げ、その開発に大掛かりな梃入れがなされたという。
これまで手掘りで細々と掘り出され、重労働の象徴のように語られていた鉱石の採掘が機械化や新たな技術の導入を受けて一気に生産量を上げ、しかも、周辺地域を富裕化させるという副産物をもたらしたのである。それは様々な人員を引き寄せることとなり、瞬く間に人口増加を加速させた。鉱山労働者だけでなく、その相手をする娼婦、または家庭に入る妻子、それらを収容する家屋、当然のように必要となる娯楽施設、教育施設で職を得る者が次々と流入し、村は町となって賑わいを見せるようになっていった。
エドワード達が滞在していたB&Bも元は大規模な農場主の邸宅だったのだが、使わなくなった広い家屋を有効利用するために短期滞在の客に解放することにしたのだという。
が、山一つ向こうという超え難い地理的条件のため、必ずしも繁栄は大々的なものとはならず、鉱山のある地元が富裕化したため、その恩恵に預かったという制限的なものではあった。それなりの好景気到来は、しかし、じんわりとした変化をもたらし、新しい街を築こうと活気付いていた。
ハボックが言った通り、連隊本部へはすぐに到着した。ここも家屋は真新しい。建て直した庁舎に引っ越したばかりという感じだった。
連隊とは、戦略レベルの戦闘を行い得る師団司令部の管轄下にある、戦術レベルの実働部隊、または機動部隊である。その規模は歩兵三個大隊で三〇〇〇〜四〇〇〇人程度。連隊長は大佐で、危急の場合の出動以外に、士官学校生を預かって隊付き勤務の実務を体験させたり、着任したばかりの新品少尉を一人前の将校として教育・訓練したりする役割を担っていた。
無論、配置された地元との結び付きも強く、現地で召集された兵が出入りすることもあって、時には当地の治安部隊としての任を担う場合もあった。
「ついて来い」
クルマから降りたハボックは横柄に顎をしゃくり、エドワードを促した。
To be continued 