叫び出すのを止められない 前編
It is not stopped to begin to shout
珍しく、アルフォンスがたった一人で中央軍司令部を訪れ、ロイと面会したのは、セントラルで再会して間もなくのことだった。
「私は、エドワードを呼んだはずだが……」
と、エントランスから続く長い柱廊の脇で、挨拶もそこそこに、酷く不機嫌にロイは応対した。が、虫の居所が悪いという点では、アルフォンスも負けてはいなかった。寧ろ、ロイを凌駕していたと言える。
「兄さんなら二日前から出かけています。しばらく戻れないかもしれないと言われました。まだ連絡がありませんので、何かご用でしたら、僕が聞いておきます」
まるでとってつけたような応答に、しかし、ロイはやはり不快げに問いかけた。
「出かけている? どこへだ」
「知りません」
「知らない? 君がか」
「ええ、そうです」
「鋼のは、君に行き先を告げずに出かけたというのか」
少なからずロイは戸惑った。これまで、どこへ行くにも連れ立っていた、この世でたった二人っきりの兄弟である。情況によって別々に行動することはあっても、あくまでそれは一時的な事情によるもので、片が付けばすぐに落ち合い、合流していたのを知らないわけではない。何日も離れ離れというのは聞いたことがなかった。それだけにアルフォンスの台詞は意外な響きを持ってロイに肉薄した。
と、同時に、一気に不愉快の度合いが増した。まるで、当て付けでもされているような、不条理な感覚だった。
「どういうことだ」
ことの次第を説明しろ、とまるで恫喝するようにロイは促した。否、殆ど命令と言ってよかった。が、アルフォンスは憮然として言い返してきた。
「判りません」
「そんなはずはない。鋼のの行きそうなところぐらい君が把握しているだろう。でな――」
「それは大佐の方がよくご存知なんじゃないですか」
温厚で礼儀正しいアルフォンスが、怒気を含ませた口調で反駁する。さすがに、ロイが怪訝に顔を上げた。
「私が何かやったとでも言いたいのかね。君に非難される心当たりはないが」
それへ、アルフォンスは刺々しいとも言える口調で報いた。
「二日前、兄さんと会うはずじゃなかったんですか。兄さんはずっと待ってましたよ」
「何?」
「でも、大佐は来なかった。どうしてですか。ちゃんと連絡を入れておいたはずです」
そう糾され、ロイは首を捻った。エドワードと会う約束をした覚えはない。元より、ロス少尉逮捕の件からこっち、言葉を交わすことも顔を見ることもなかったのである。殆ど縁切り状態だったと言っていい。
「ちょっと待ってくれ。鋼のからは何も聞いていない。第一、連絡などなかった……」
と言いかけ、傍らに控えているハボックが困惑したような表情を浮かべているのに気付いた。
やれやれ、と言うように肩を竦め、わざと素知らぬふりをする仕種に、不意にロイは数日前のことを思い出した。とたん、苦々しい思いが込み上げて来る。それは、どす黒くロイの胸を焦がし、息苦しくさせた。
さすがに、自分が何をしたか、やり過ぎたと思わないわけではない。
それを読み取ったように、アルフォンスが中空の鎧の中を弄り、右手を突き出した。
「兄さんからこれを預かっています」
「何だ、これは」
目の前に差し出されたものを見て、ロイの不愉快さは更に悪化した。まるで朝から酷い頭痛に見舞われているかのような不機嫌さを隠しもしない。
「銀時計です。国家錬金術師の証の」
「それは判っている。私が言いたいのは、何故君にこれを鋼のが託したのかという理由だ」
「判りません」
「判らないわけはないだろう。鋼のが君に隠し事をするとは思えない」
私に言えないことでもあるのか、と言わんばかりにロイはアルフォンスに責め寄った。が、その応えは余りにも素っ気なく拒絶された。
「判りません、僕には」
「しかし――」
「何の連絡もないと言ったはずです。僕だって兄さんがどこへ行ってしまったのか、知りたいんです。本来ならば、どこへ行ったんだという質問は僕がするはずだった」
ロイの言葉を遮り、アルフォンスが声を荒げる。その激しさに、脇を通り抜けようとしていた士官が何人か振り返った。さすがにロイは詰問する口調を引っ込め、場を取り持つように片手を上げると、静かにするよう促した。どうやら、己れはアルフォンスの並々ならぬ怒りを買っているらしい。
二日前の夜遅く、投宿先のホテルに戻って来たエドワードは苦笑してこう言ったという。
「やっぱダメだった。ま、しゃーねぇや」
そして、さっさと荷物をまとめると、アルフォンスに銀時計を渡し、しばらくイズミのところへ行ってろ、と指示するや、そのまま室を出て行ってしまった。
それっきり、電話の一本もない。
ここにきて、やっとロイはただならぬ事態になっている気配を感じ取った。
「本当に鋼のは……、つまり、行方不明だということか。その原因は私にあると?」
「違うんですか」
殊更つっけんどんにアルフォンスが言い返す。真相がどうであれ、少なくとも、そう信じているようだった。はっきりと口には出さないものの、抗議の意思は明白に示されている。ロイには、それへ応えてやる義務があった。
が、口を衝いて出て来たのは、とても誠意を持っているとは言い難い台詞だった。
「悪いが、今日はこのまま引き取ってくれないか。鋼ののことについてはこちらで対処する。呼び立てしてすまなかった。君はまだ、こちらに留まっているのか」
「しばらく市内のホテルに滞在する予定ですが、南部に戻ろうかとも思っています。連れがいるので、相談してからどこへ行くか決めるつもりです。でも、まだそこまでは……」
エドワードは何らかの危険を感じ取って、その対応のために姿を消している。そんな感じがした。南部へ戻れというのは、アルフォンスを巻き込みたくないからだろう。となれば、軍令関係のいざこざに首を突っ込んでしまったか、そうならざるを得ない情況に陥ったか、どちらかである。
無意識に、ロイは眉を潜めた。嫌な予感というのはこれまで何度も感じたが、そのたびに不愉快でむかつく思いをしている。今回もそれそのものの予兆に舌打ちしたい気分だった。
「鋼のがそう言っているのなら、指示に従うべきだと思うが」
「そうですね」
やはりどこか憤然として、アルフォンスはロイに背を向けた。もし、生身の体だったなら、苛立たしげなため息をついていたことだろう。
「帰ります。お邪魔しました」
「後で連絡を入れる」
そう言うと、ロイはアルフォンスを柱廊の途切れるエントランスの端まで送り出してやった。本気で連絡を入れられるかどうか判らなかったが、アルフォンスがそれを全く期待していないというのがはっきり感じ取れる。まさか、エドワードとの間に起こった諍いを知っているわけではないだろうが、暗に指摘されてしまったようで決まりが悪かった。
憮然としながらも、何人もの軍人が入れ替わり立ち代わり歩き去るエントランスに背を向け、地階から二階に上がったロイは己れの執務室へまっすぐ向かった。オーク材の執務机の上に並べられた業務用トレイは三つ。そのうちの一つを手繰り寄せると、山と積まれた書類や封書の束をひっくり返す勢いで崩した。
「……これか」
程なく、その中から一通の封筒を見つけたロイは、レターオープナーで封を切るのももどかしく、中に入ったメモのような便箋を取り出した。
「一八日 午後八時 エル・シドにて」
ぶっきらぼうに、それだけが記された文面だった。筆跡から類推するまでもなくエドワードからのメッセージで、カレンダーに目を移せば、すでに今日は二一日だった。
「しまった……」
内心、ロイは唇を噛んだ。日々送り込まれて来る膨大な量の書類に紛れ、ついつい私信は後回しにされ勝ちで、仕事が終わったら目を通そうと未決トレイに放り込み、そのまま忘れてしまっていた。
というのは都合のいい言い訳で、実のところ、エドワードからの接触をロイは故意に避けていた。この封書も、目にした時は即座にゴミ箱に投げ込んでやりたくなるほどの煩わしさと鬱陶しさを感じた。つまり、わざと放置し、忘れ去っていたのである。
が、しかし、エドワードからの用件を無視し、何らかのタイミングを逸してしまったのは、常ならぬアルフォンスの剣幕を見るまでもなく明らかだった。
「痺れを切らしたようスね」
「言うな」
ハボックの台詞を制すると、ロイはエドワードからの手紙を破り捨てた。
実のところ、二度と顔も見たくない、と思っていたのである。それくらい酷い別れ方をしてしまった。一度感情的に縺れるとエドワードは厄介な性格の持ち主で、今回ばかりはさすがのロイも持て余してしまい、「勝手にしろ」と言わんばかりにその場を立ち去ったのである。それを蒸し返されるのかと思うと気が重い。
「やっぱ例の中将絡みスかね」
「余計な勘繰りをするな。取り敢えず、鋼のは姿を消したということだ、自分からな」
他の誰かの手引きがあったわけではない。エドワードは己れの意志で失踪し、何かをやろうとしているのである。この後、どのような形で再会しようとも、とんでもない事態を引き起こそうとも、またそれが原因で救いようのない帰結に至ったとしても、ロイには何の責任もないし、咎められる所以もない。無論、何の関わりもない。
そう割り切ってしまうのは簡単だったが、完全に傍観者の立場へ逃避するには二人とも泥沼に足を突っ込みすぎていた。この憂うべき事態にどう対処すべきか、悩ましいところだった。
「まぁ、お好きなように」
どうでもいい、と言うようにハボックは執務室を出て行こうとした。
「待て。どこへ行く」
「ちょっと息抜きしに」
「一歩間違えば殺されるところだったんだぞ、お前は。鋼のが手引きしたのは間違いないというのに、平気なのか」
今日はそのことを問い質そうとしたというのに姿も現さず、代わりにアルフォンスを寄越したのである。平静でいられるほどロイには余裕がなかった。
「判ってます。だから、ちょっと頭を冷やして来ますよ」
頭を冷やしたいのはロイの方だろうが、しかし、それを揶揄するように言い捨てると、ハボックはロイの制止にも拘らず、執務室のドアノブを回した。
To be continued 