叫び出すのを止められない 後編
  It is not stopped to begin to shout








 ハボックの運転するクルマの中で、ロイは酷く不機嫌だった。仏頂面を晒したまま腕を組み、難しく眉を寄せては何度も足を組み変え、苛立たしげなため息をつく。久しぶりに会った恋人と情を交わした直後とはとても思えない、ぴりぴりした険悪な雰囲気を隠しもしない風情に、ハボックは人知れず肩を竦めた。
 「どうしたんスか。全然楽しめなかったみたいですね。自宅に連れ込んだ時はあんなに上機嫌だったのに」
 良くも悪くも、ハボックはずばりそのものを言い当ててしまう。ロイはその鋭いのか鋭くないのか、よく判らない性癖を、時と場合によって快くも不快にも思っていたが、今回は後者の比重の方が高かった。
 「楽しむも何も、そんな気分にはなれなかった」
 「時間が切迫してましたからね」
 「そういう意味ではない」
 明らかにむっとして、ロイはハボックの台詞を遮った。愚痴でしかないということを充分承知の上で、しかし、ロイははっきりと断言した。
 「エドが嘘をついている。いや、正確には言葉を誤魔化して本当のことを言わなかった。裏切られた気分というのは、こういうのを指しているのだろうな」
 エル・シドにロイを呼び出したのは、単純にピアスの挙動を密告するためだけではなかった。と、ロイは見ていた。もっと別の、言っておかなければならないことがあったはずである。でなければ、苛々と三時間も待っていたりしないし、その後で直接司令部に連絡を入れたりはしない。
 「浮気でもされちまいましたか。もっとも、ピアスの陣営に乗り換えたってんなら、それも浮気の一種ですがね」
 ハボックとしては軽口を叩いたつもりだった。馬鹿を言うな、ちゃんと前を向いて運転しろ、と素っ気ない返事が返って来るものとハボックは思っていた。いつも交わしている他愛のない会話である。が、しかし、返って来た台詞は、ぎょっとするものだった。
 「それだけならまだいい」
 「へ?」
 否定しなかった。ということは……。
 「まさか、エドの奴、大佐以外の誰かと寝たってんですか。冗談きついスよ」
 ハボックが知っている限り、エドワードはちょっと情に絆されたくらいで犬のように尻尾を振って寄って来るような腰の軽い奴ではない。それ以上に、ロイが口説き落とした者が、一ヶ月とはいえ、目を離した隙に浮気するなどというただならぬ事態を、ハボックは今まで目の当たりにしたことがなかった。
 「それは勘違いってヤツじゃないんスか。大将からはっきり言われたわけじゃないんでしょ」
 「証拠物件が挙がったわけではないが、判るものだ、こういうのは」
 明確に、ロイはエドワードの不貞を断じた。
 「マジっスか」
 「こんなことが冗談や酔狂で言えるか。時間があったらじっくり締め上げて全部白状させてやる」
 だが……、とロイは言葉尻を濁した。本当のところはどうしたいのか、まだ整理がついていない。しばらく沈黙が降りた後、ロイはぽつりと言った。
 「しかし、どうしても知りたいというわけではない」
 つまり、聞き出したいが、聞きたくないというジレンマに陥っている。誰かに体を触らせた、しかし、何も釈明してくれなかった、これからも隠し通すつもりつもりらしい。それらの事実は悔しくも腹立たしいが、何故そのような事態に至ってしまったのか、ちゃんとした理由や経緯があるはずである。
 それが知りたい。弁明することがあるのなら、ちゃんと聞いてやる。ベットをともにした相手が離れていくにはそれなりの原因と経緯があるはずで、ある日突然、何の前触れもなく心変わりしたなどというのは全くもって不条理で不可解、納得がいかない。
 しかも、エドワードの一連の行動を思い起こせば、ロイに敵対するに至った理由も少なからず絡んでいるのではないか、と推測することもできる。
 となれば、ロイがエドワードと離れてから再会するまでの間に何があったのか、探る必要があった。上手くいけば、ピアス側の内情に踏み込めるだろう。
 「大佐、証拠物件なんて言い方、ヒューズ准将みたいスよ」
 「その名前を口にするな」
 「へいへい。それより、エドの奴から中尉の居所をちゃんと聞いたんでしょうね」
 「……」
 ぎくりとしたようにロイが口を噤む。どうやら忘れていたようだった。
 「何やってんスか、あんた。まさかエドの色香に惑わされちまったなんて言わないスよね」
 「……」
 ロイは口をへの字に結んだまま聞き流した。が、ルームミラーを通して、窓の外へ視線をやっているロイの頬に微かに紅が差しているのが見て取れた。
 おいおいやっちまったよ、こいつ。マジかよ、とハボックは内心ため息をついた。
 「不測の事態だ」
 そうぽつりとロイが漏らしたのは、クルマがメインストリートに入って数q進んだ後のことだった。
 「それなりに距離を置いて、適当に遊んでやるつもりだったんじゃなかったんスか」
 「そのはずだった」
 他の一夜の相手のように。が、しかし、己れの知らないところで別の男のベットに引きずり込まれたという事実に直面して、柄にもなくうろたえている。否、腹を立てていた。
 エドワードには自覚がないようだったが、これから本番という段になって咄嗟に歯を食い縛る仕種は、ある行為の強要を示唆していた。
 考えたくはないが、あれは挿入の前に行われる性戯、フェラチオを警戒する反射的な拒否のポーズだった。これまでの付き合いで、ロイはそのようなプレイをエドワードに教えたことも仄めかしたことも、ましてや要求したこともなかった。
 ボディランゲージと言うべきか、それとも抱き癖がついていると言うべきか。しかも、その男と寝たのは一度ではなく、二度三度と複数回だったのだろう。抱き癖がつくまで何度も何度も逢瀬を重ねたのだ、と思うと、腹の中が冷え込むような、それでいて、焼け付くような怒りを覚える。
 察しのいいことに、否、まずいことに、ロイはその間男が誰なのか見当がついてしまった。
 「よりにもよって、あいつか……」
 「あ? なんか言いました?」
 「いや、何でもない」
 「そうスか」
 と、ハボックが肩を竦めた時だった。フロントパネルの無線機が応答を要請して甲高い信号音を立てた。
 「こちらハボック少尉」
 「クロスホテルから連絡があった。大佐に伝言だとよ」
 ブレダの声だった。外線は繋げないので、先方がメッセージを残して行ったのだろう。
 「お望みのものが手に入った。ご用の際は当クロスホテル、コンシエルジュまでどうぞ。だ、そうだ」
 「了解」
 「連絡があったのはいつ頃だ」
 ロイがリアシートから口を挟む。もしかしたら、緊急の用件かもしれない。
 「ついさっきだ。まだ五分も経ってねぇよ」
 ブレダは潜入中のロッシュ中佐のことを知らないはずだったが、クロスホテルにロイがこのところよく出入りしていたのは知っていた。何かの符牒かと思い、ロイが戻って来るのを待たずに一報を入れてくれたようだった。
 「気がきくな」
 そう満足げに呟くと、ロイは無線機を切ったハボックに命じた。
 「クロスホテルで降ろしてくれ。お前はこのまま軍司令部に戻り、人事部に行って昨日閲覧申請をしたファイルを見て来い。一時間後にゴールドリバーで落ち合おう」
 「了解」
 即座にハボックはUターンすべくクルマを中央分離帯に寄せ、車列の途切れたところで反対車線へ入った。昼前の道路は比較的空いている。程なく、クルマはクロスホテルの玄関へと横付けされ、後部ドアを開いた。
 「ゴールドリバーに行く前に、ファイルの内容を頭に叩き込んでおけ」
 「判ってますよ」
 敬礼してクルマを出したハボックは、アクセルを踏み込みながら、しかし、ロイの命令に首を傾げていた。











To be continued