「結果が悪いのは決定が悪かったからだ」という誤解




 その日の夜、東方司令部のスタッフルームに参集していたのは、一〇人程度だった。士官の休憩所兼談話室という出入り自由空間であるためか、特に目的もなく暇潰し目的で勝手にのさばる輩が跋扈するようになって久しく、規定の就業時間が過ぎると、帰宅してもすることがない連中の溜まり場と化していた。
 そういう者の常として、それなりの数が揃うとついつい安易にトランプや花札などの賭け事が始まってしまったりする。
 「何だ、こんなところにいたのか」
 と、ハボックがドアを開けると、車座になった男達から少々外れたところに、エドワードとヒューズが床に敷かれたマットの上に、胡座をかいて座っているのが見えた。向かい合ってトランプの札を何枚か持っているところを見ると、どうやら勝負の最中らしい。
 「少尉こそまだ残っていたのかよ」
 と、どこか呆れたような顔でこちらを振り返るエドワードの姿を見て、ハボックはつい失笑した。エドワードがこんなところにいるのは意外だったが、事情が推測できないでもない。
 例によって資料室か書庫に篭っていたところを、付き合えとばかり不逞の輩に無理矢理引きずり出されてしまったのだろう。ここにいるのは全くの不本意であるという不満を、エドワードは隠しもしない。反抗期らしい小生意気な態度を崩しもしないのも相変わらずだった。
 それはそうだろう。せっかくきちんと配置されていたソファや椅子、テーブルが無造作に隅に寄せられ、むさ苦しい男どもが円陣を組んで、煙草も酒も飲み放題状態では、ここが軍施設の中ではなく、どこかの博徒が開くやばい賭場であるかのような錯覚すら覚えさせる。
 不健全極まりない。男所帯のだらしなさを絵に描いたような場所に、エドワードのような思春期の少年には全く相応しくないばかりか、嫌悪感すら抱いていることだろう。
 「さっさと帰れよ。もう九時になるぞ」
 そうハボックは声をかけたが、エドワードはむすっと不貞腐れて口答えした。
 「帰れるもんなら、さっさと帰ってる」
 「ほう?」
 どうやら負けが込んでいるらしい。トランプを手に、明らかに焦った様相は、かなり分の悪いカードが回って来ていると訴えているようなものだった。
 次に取り替えた札がどれもバラバラだったりしたら、悲惨だな、と他人事のように思いながら、ハボックは二人の脇を回りこみ、室の奥にあるシェルビング――簡易収納棚へと向かった。
 「何だ、煙草の補充か」
 と、揶揄するように、ブレダがハボックに声をかける。
 「まぁな、そろそろ切れる頃だと思ってな」
 軽くいなし、ハボックはコーヒーメーカーの横にある引き出しを開けると、そこに置いてある煙草の箱の数を数え始めた。その周りにいくらかの硬貨が投げ銭のように転がっている。
 「ハボック少尉は煙草屋さんなんだよ」
 と、ひそひそとエドワードに話しかけるヒューズの声が聞こえる。
 「チェーンスモーカーの悲しさで、自分の机の中にいつも予備の煙草を置いていたんだが、時々それを勝手に失敬して行く奴がいてな、困った少尉が、『一箱二〇〇円』というメモを貼り付けておいたら、次の日からちゃんとお金が置かれて行くようになったんだそうだ。それ以来、ハボックは私設の煙草屋さんになっちまった。しかし、さすがに仕事場でそういう金銭授受はまずいだろうってことになって、少尉の机の中からこっちに移動して来たってわけだ」
 しかも、なくなった煙草の数と硬貨の帳尻が毎回ちゃんと合っているという。妙なところで司令部の軍人は律儀だった。
 「へぇ、コーヒーは飲み放題だし、煙草はあるし、至れり尽くせりだな」
 どこか皮肉っぽく、エドワードが応える。では、別のシェルビングの中には寝袋やシェラフが何枚も押し込まれており、更に別の引き出しの中には非常食代わりのカップラーメンやスナック菓子がぎっしり詰まっているという事実を知ったら、どう思うだろう。ついでながら、室の片隅に置かれた冷蔵庫の中には、ミネラルウォーターに混じって缶ビールが常備されていたりする。
 数えた硬貨を無造作にポケットに捻じ込み、ハボックは買って来たばかりの煙草を一カートン入れておくと、満足げに引き出しを閉めた。
 「未成年者に余計なことを吹き込んでくれるのは、遠慮して下さいよ」
 取り敢えずの用事を済ませ、ハボックはヒューズの横に片膝つくと、さりげなくエドワードの持ち札を見遣った。が、すぐに後悔した。カードはマークも数字もばらばらで、言うならば完全にツキに見放された状態だったのである。これではいくら期待してもいい札など来てくれそうになかった。さっさと下りた方が利口だろう。が、引けない理由でもあるのか、エドワードはそう言い出さなかった。
 しかし、案の定、交換したカードを表に返したとたん、エドワードはさぁっと青褪めた。
 ――ブ、ブタだ、どうしよう……っ。
 ワンペアすらない。無言のうちにそう喚く声が聞こえてくるような判りやすい反応だった。
 しかも、もうタイムリミットである。そうっと向かい合うヒューズの方を見遣ると、やたらと上機嫌でカードを入れ替え、何やら手の内で並べていた。どうやらいい手が来たらしい。
 このままでは非常にまずいことになってしまう。エドワードは酷く動揺した。
 「コール。どうする?」
 「う……」
 促され、エドワードは俯いた。俯くと、空になった箱が見えた。ここには、先程まで何本かのマッチ棒が並べられていたのであるが、もう一本もない。金銭のやり取りが禁じられている司令部内ではこれが掛け金の代わりとなっており、マッチ棒の数を数えて精算し、最終的な勝ち負けを判断するのである。なくなってしまえば、その時点で終わりである。
 「き、今日はもうやめないか。日も悪いみたいだし、また今度ということで……」
 「エド、もったいぶってないでカードを見せなって。止めるかどうかはそれから決めようぜ。嫌だってんだったら、罰ゲームやってもらうがな」
 ヒューズの言う罰ゲーム。内容はその時のお楽しみと言われているが、絶対にろくなことではないと、エドワードは確信していた。
 「どっちに転がっても同じじゃねーか……」
 がっくりとエドワードは肩を落とし、コールに応じた。
 「よーしよし、そういうことだな。こっちはツーペア。いやー、一人勝ちってのは嬉しいね。快感快感」
 自分のカードを山の上に投げ出し、ヒューズは喚声を上げた。
 「くそっ、これで三連敗だ」
 手慰みにマッチ棒を弄っているヒューズの手元を横目に、ついつい悔し紛れの台詞が出てくる。ハボックは呆れたように肩を竦めた。
 「そんなに負け続けだったのか。いや、そこまでカモにされていたのか」
 思わず憐憫の情が湧く。決して頭が悪いわけでも、運が悪いわけでもないのだが、ちょっとした心理的な駆け引きの空気が読めないらしい。
 「し、仕方ないだろ。次は勝てるかもしれないなんて挑発するんだ、中佐は。しかも、掛け金を残金と同額にするんだぞ」
 不貞腐れたように弁解するエドワードを、しかし、ハボックは嗜めた。
 「それがこういう手合いの手管なんだ。百戦錬磨の奴に勝てるとでも思ってたのか」
 「……っ」
 言葉に詰まるエドワードを、しかし、ハボックは放してやった。
 「で、こいつに何をさせるつもりだったんスか」
 「カードを引いてもらう。四枚あるから好きなヤツを選べ。それに書かれたことをやってもらう。それだけだ。おまけで一枚だけ『釈放』ってのがあるから、それを引けば、無罪放免にしてやるよ」
 簡単だろ? と言いながら、ヒューズはにやにやしている。内容に関して多大な不安があるのだろう。エドワードの表情は暗い。悪ふざけの過ぎる輩が、平々凡々な要求などしないと判っているのだろう。憶測するまでもなく、とんでもない要求が書かれているに違いない。
 「チクショー、やりたきゃ好きにしろよっ」
 「まぁまぁ、自棄になりなさんな。何も取って食おうってんじゃないんだからな」
 「取って食ったりしたら、大佐が黙ってませんって」
 付け足しのように、ハボックが口を挟む。
 「それに、こんな賭場まがいのことが上に知れたら大変なことになりますよ」
 さっさと片付けた方が身のためだ、とハボックは警告したつもりだった。誰だって、査定や出世に響くようなヘマはしたくない。が、ヒューズは飄々としたものだった。
 「ロイのことなら心配するな」
 お前が気を回すことではない、と暗に窘められ、ハボックはむっとした。元より、士官学校時代から付き合いのある同期生に対抗する気はないが、緊密な仲を見せ付けられるような態度をとられると、やはり面白くなかった。
 「これも社会勉強だ。奴も判ってくれるさ」
 なぁ? と同意を求めるようにエドワードに顎をしゃくってやり、ヒューズは人懐っこく笑って見せた。この笑顔が曲者だった。いきなり素っ頓狂なことを言いそうで怖い。興に乗ると、あることないこと構わず言ってくれ、それで慌てたことが何度あったことか。
 「で、どうする? エドとしては。この際、ハボック少尉のご忠告を受けて、尻尾巻いて退散するか。俺は別に構わないが」
 「バカ言うな。俺は負け犬じゃない」
 「じゃ、罰ゲームだ」
 と、ヒューズがそそのかす。うんざりとエドワードはにやけた顔を睨みつけ、ヒューズに言い放った。
 「脅迫みたいなこと、軍法会議所の奴がやっていいのかよ」
 「これはあくまでお遊びだ。お遊びは法律に触れない。お前だってそう承知した上での参加じゃなかったのか」
 またもやヒューズがエドワードの躊躇いを揺さぶる。エドワードは嫌そうな顔をしたが、ハボックの手を借りようとは、毛頭思っていないようだった。
 「判った。やってやろうじゃねーか」
 そう言うと、腹を括ったかのように、エドワードは足を投げ出して嘆息した。
 「途中から降りるのはなしだぜ」
 と、ヒューズが付け足し、その脇から、どうぞとばかり四枚のカードを突き出した。このうちの三枚は当たりも外れもない。同じレベルの条件が記されており、究極の選択になる。とハボックは気の毒に思った。
 エドワードはかなり逡巡したものの、ここで逃げてもどこまでも追われると観念してか、やがて真ん中のカードを引いた。
 「……っ」
 書かれた条件を黙読したエドワードがぎょっとした顔をする。否、それどころか、余りの暴虐無道な指示に絶句し、蒼白になった。
 「どうした?」
 見せてみろ、とカードを取り上げると、そこにはハボックも銜え煙草を吹き飛ばすような一文が書かれてあった。もっとも、エドワードが引かなかった後の二枚もそれに劣らず、ムゴイ内容であったことは、後日知ることになる。
 「おいおい、これって本気かよ」
 一瞬にして不幸のどん底気分に陥ったらしいエドワードは、よくもこんな悪趣味なことを考え付いたもんだとぶつぶつ毒づき、やがて黙り込み、落ち着かなく視線をさ迷わせている。それを揶揄するようにヒューズがカードを覗き込んだ。
 「どれどれ、何を引いたんだ」
 が、すぐに、爆笑する。
 「結構、運のいいのを引いたじゃねぇか」
 「冗談。あんた正気かよ」
 「じゃ、こっちの『牛乳一リットル一気飲み』の方が良かったか」
 牛乳の一言に、エドワードが心底嫌そうな顔をする。
 「どっちもヤダ。ふざけるにも程がある。俺は降りるぜ」
 怒ってその場から逃げ出そうとするエドワードの腕を、しかし、ヒューズはがっしりと掴み上げて引き寄せようとした。
 「逃げるのか」
 「そんなこと言ってない」
 「じゃ、やろうぜ」
 押し問答になりそうな雰囲気に、ハボックが肩を竦める。
 「中佐、もういいでしょう、こいつを解放してやって下さいよ。いい加減にしないと、マジやばいっすよ」
 「まぁ、それもそうだな。これでチャラにしてやる約束だから、さっさとすませちまおう。エドの決心が鈍らないうちにな」
 狼狽や躊躇がマックスになる前に、とヒューズは軍服の隠しからラベルのない小瓶を取り出した。
 「ロイは、執務室の隣の控え室で仮眠を取ってるはずだからな」
 そこへ行け、と指示され、エドワードは全く気が進まないながらも、無色透明の液体が入った小瓶を受け取った。
 「最低最悪……」







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