Adolescence



 暦の上ではすでに春になっているにも拘わらず、真冬と殆ど変わらない寒さが続いていたせいか、世間ではインフルエンザが流行していた。
 「雪でも降りそうだな」
 と、思っていたら、午後になったとたん、降り出した。
 エルリック兄弟が一ヶ月ぶりに東方司令部に顔を出したのは、そんな悪天候の中、皆がロイの執務室でストーブを囲んで寛いでいた時だった。
 が、エドワードの第一声を聞いて、誰もが戸惑った。
 「よう、久しぶり」
 と、片手を上げる仕種も人懐っこい笑顔もいつも通りだった。が、声が酷く掠れて、囁き声に近かったのである。
 「どうしたんだ、風邪か」
 折りしも、そういう季節である。ごく単純に、屯っていた面々は当然の如くの心配をしてくれたのだが、エドワードは首を傾げた。
 「いや、それが変なんだ。喉が痛いわけじゃないのに、声が上手く出せなくて……。それに、別に熱はないし、頭痛も関節の痛みもないし……」
 「インフルエンザでないことは確かですね。あれはいきなり高熱が出て体中が痛くなる」
 いくらエドワードが体力に自信があると言っても、そうそう外を歩き回る元気などなくなっているはずである。
 寝込んでいるのが普通、というファイマン准尉の言葉に、誰もが頷いた。時に、重傷の者は死んでしまうという流行病である。実際、抵抗力のない老人・子供に死者が出ていた。
 その中で、ふと思い出したようにロイの執務机の横にいたハボック少尉が質問した。
 「いつからだ、その声は」
 「二、三日前から」
 がらがらとは言いがたい、やはり掠れた声でエドワードが答える。
 「風邪なら、医者には行ったのか」
 「いや、まだ……」
 「本当に、喉は痛くないんだな」
 「ああ」
 頷くエドワードに、ハボックはくすりと笑った。そして、やはり何かに気付いたように書類から目を上げたロイと、意味ありげにアイコンタクトで頷き合った。
 「そういや、そろそろいくつになるんだ、エド」
 「12。もうすぐ13」
 それがどうかしたのか、と怪訝な顔のエドワードに、ハボックは、決まりだな、と呟いた。
 「結構、遅いな。私は11になってすぐだったぞ」
 「俺は早かったですね、10の時でした。その割には殆ど変わらなかったようで」
 「私はがらっと変わってしまって、周囲に驚かれてしまった。まるで別人のようだとか何とか言われて恥ずかしい思いをした」
 「個人差、大きいすからね」
 「……いったい、何の話をしてんだよ」
 勝手に会話を始めてしまった二人に、エドワードにはわけが判らない。が、ブレダ達外野には飲み込めているらしく、納得したようなくすくす笑いが漏れていた。
 「何だよ、気持ち悪ぃーな。はっきりしろよ」
 怒鳴ろうとしたエドワードを、慌ててファイマン准尉が押し留める。
 「無理に声を出しちゃいけない。ここで喉を痛めたら、一生涯、明石屋さんまのようながらがら声になりますよ、今の時期は大人しくしているのが一番です」
 「だから、何?」
 「別に病気じゃない。安心したまえ」
 と、やっとロイが椅子から立ち上がり、エドワードに近付いた。
 「まぁ、君もやっとお年頃になったということかな」
 「……?」
 「君は今、声変わりをしているんだよ。声変わり……、聞いたことくらいはあるだろう?」
 が、その問いかけに、エドワードは首を振った。
 「知らないのか。生理現象の一つなんだが、そうやって子供の声が消えて、大人の男の声になっていくんだ。要するに、思春期に入ったということだ。男の場合、一気に一オクターブくらい低くなることもあるから、周囲がぎょっとするな。ちなみに、女性は半オクターブくらい高くなるが、男に比べてそんなに劇的じゃないから、自覚もないまま変わってしまうらしい」
 「この喋りにくいの、いつまで続くんだよ」
 「安心したまえ、一週間くらいだ。それでまた元の声に戻って、しばらくして再び声が掠れるようになって、一週間くらいでまた元に戻る。それを二〜三ヶ月繰り返して、最終的に固定されるわけだ。それが自分の一生の声になる」
 と、ロイは当然の知識として説明したが、今いちエドワードにもアルフォンスにも飲み込めていないようだった。二人の周囲に疑問符がいくつも飛び交っているのが見えるようだ、とロイは思った。
 「本当に知らなかったのか。普通は、親か学校の先生が教えてくれるものだが」
 そう言って、言ってしまってからロイは後悔した。どちらもエルリック兄弟には無縁のものである。母親はとうに亡くなっているし、学校などまともに通ってなかったはずだった。知り及ぶ限り、教師の授業など馬耳東風の状態だったらしい。
 「仕方ない。こういう方面の知識伝達は年長者の務めだ。いきなり『お客さん』が来て慌てるよりいいだろう。……ハボック」
 「何すか」
 「応接室が空いていたな。色々説明してあげたまえ」
 「俺、この後、憲兵司令部へ届け物しなきゃいけないんすけど……」
 「ブレダに代わってもらえ」
 すげなく言い捨てると、ロイはエドワードに言った。
 「君の報告書は受け取っておく。目を通すから、それまでハボックに付き合いたまえ」
 えー! と声を上げるエドワードに、しかし、ロイは取り合わなかった。
 「知っておかなければならないんだよ、君達のこれからの人生について、大事なことだ」



 時間の無駄だとか何だとかぶつぶつ文句を言っていたエドワードだったが、結局、ハボックと一緒に応接室に篭ったまま一時間ほど出てこなかった。
 この時期の下半身事情をどう説明されたのか知らないが、再びロイの執務室に戻って来たエドワードは、やはり掠れた囁き声で礼を言った。
 「面白かったよ」
 知的好奇心がそそられたということなのか、それともエキサイティングだったのか、判別はつかなかったが、いい勉強になったのならそれでいい。この時期に知っておくべきことを知らないと、妙に歪曲された情報に振り回されることになり、とんでもない失敗をやらかすことにもなる。
 「殊勝なことだな」
 気味が悪い、と思わなかったわけではなかったが、ロイはエドワードを迎え入れると、読み下したばかりの報告書を手に取った。
 「で、これだが……」
 と、ロイが仕事の話をしようとした時だった。
 それを遮るようにエドワードが口を開いた。
 「ところで、ハボック少尉が言ってたことで、判らない言葉があったんだけど」
 「何だね」
 言ってみたまえ、とロイは促しながら、机の上のコーヒーカップを取り上げた。
 この時、誓ってロイは疚しいことは考えていなかった。単純に、ハボックが判りにくい単語を使ったのかと思ったのである。
 が、さらりとエドワードは言った。
 「潮吹きって何?」
 「……っ」
 ロイが飲みかけのコーヒーを噴き出したのは、言うまでもない。








2004,4,1 END