揺るぎない経緯








 何なんだ、これは? とエドワードが身の危険を感じた時は、もう遅かった。
 どこから持ち出したのか、両手は頭の上でしっかりとロープで拘束され、固定されていた。下手に動かせばぎりぎりと縄目が手首の関節に食い込み、引き千切られるような痛みが走る。
 しかも、己れの体の上には黒髪の男が圧し掛かっていた。己れがよく見知っている、また東方司令部では親密な関係と公言してもいいくらいの男が。
 「くそ……っ、どけよ、大佐」
 頭の中には靄のような、霞のような、はっきりしないものがまだかかっている。ほんの二時間ほど前、進められるままに飲んでしまったワインやブランデーのせいだというのはすぐに思い出せたが、この仕打ちには腹が立った。何故、こんな無様に押し倒された状態になっているのか、皆目見当がつかない。理由の如何によっては、顔の形が判らなくなるほどぶん殴ってやってもいい、と物騒な衝動に駆られながら、エドワードは声を荒げた。
 「どけって言ってんだろっ。聞こえねーふりするなっ」
 が、怒鳴ると、頭の芯がぐらぐらした。天井がぶれるように揺れて目が回った。まだアルコールが体内を駆け巡って四肢ばかりか思考回路まで掻き回しているらしい。目の奥にちかちかするような光が点滅し、エドワードは思わず唸った。
 「チクショー……」
 吐き捨てたつもりが、語尾が掠れてしまう。喉がからからに渇いてひりついていた。そんなに飲んだ覚えはなかったが、この体たらくには歯軋りせざるを得ない。
 「こんな恰好で何しようってんだよ、大佐」
 己れを押さえつける男に向かって問い質すと、相手はふてぶてしくもにこりと笑いながら、軍服の襟元を緩めた。
 「色気のない台詞だな。こうなることくらい判っていたのだろう」
 「こういう…こと……?」
 「男の部屋に来て、何もなしですむと思っていたのか」
 「休んで行けって言ったのは、あんたじゃねーか」
 唸るように、できるだけ苛立たしく怒鳴ってやると、ロイは軍服の上衣の前を片手で開きながら、いつもと変わりない、人を食ったような口調で答えた。
 「何もしないで大人しく帰すなんて、私はそこまで腰抜けじゃないし、善人でもない。チャンスは逃がさない主義でね」
 その下心に気付かなかった君が悪い、とでも言いかねないロイは、エドワードの体を押さえつけたまま、口付けようと顔を近づけて来た。
 「よせ……っ」
 咄嗟にエドワードは顔を背けた。
 「あんた、女専門だって言ってたじゃねーか。今頃、何言ってんだ。こんな茶番に付き合うのはもうご免だ」
 こんなことをされる覚えはない、とエドワードは抗議した。つい先程、自分はこの男との一ヶ月に渡る関係を清算したはずだった。深みに嵌る前にさっさと逃れることができてよかったとすら思った。それがいったい、何をトチ狂ったのか。
 吐き捨てるような台詞に、しかし、ロイは動じなかった。
 「だから、ちゃんと結末のつけ方を教えてあげようと言っている。実地でね」
 言いざま、ロイはエドワードの顎を掴み上げ、無理矢理口付けた。初めてだったのか、エドワードが驚いたように目を見開き、咄嗟に口を閉じようとする。が、それを巧みにこじ開け、ロイの舌がぬるりと入り込んだ。
 「う……」
 エドワードは身を捩り、何とか逃れようとしたが、所詮はキャリアの差、踏んだ場数の差がものを言った。いとも簡単にロイはエドワードの舌を探り出し、あっと言う間に絡め取ってしまった。
 軽く吸い上げられ、エドワードはその暖かな生々しさにぞくりと身を震わせた。と、同時に、くらりと眩暈がするのを感じた。余りの事態に、頭がついていかなくなったらしい。否、アルコールのせいばかりではない熱がじわりと肌を上気させる。
 行為に関する知識だけならストックがあったものの、実際に施されるものとは余りにもギャップがありすぎた。到底埋めることのできない溝の深さに、今更ながら己れの不明を悟る。
 「こんなこと、嘘だ……」
 あるはずがない、とエドワードは己れに言い聞かせ、必死の思いで自由にならない手を握り締めると、痛みが走るのも構わずに力を込めた。左手の擦れた皮膚が破れ、右手の機械鎧がぎしりと軋んだが、これで少しは気が紛れる。
 エドワードは乱暴に首を振ると、ロイの口付けから逃れ、唾でも吐きかけそうな目で睨んだ。
 「あんたのお相手は他にいるだろっ」
 「それは誰のことを言っているのかな。今のところ、私が付き合っているのは、君だけだ」
 ぐいっと体を押し付けられ、その圧迫感にエドワードは苦しげに顔を背けた。が、すぐに視線を戻すと、憎らしげに言い放った。
 「過去形だ。さっさとどこへでも行っちまいやがれっ」
 「ここは、私の自宅なんだが……。出て行くのなら、君の方だよ」
 「だったら、今すぐにでも出てってやる。手をほどけよっ。俺を放り出すなり締め出すなり、好きにすればいい」
 「裸でか」
 くすり、と口元だけでロイが微笑う。その応えに、エドワードはかっと頬を紅潮させた。いつの間に剥ぎ取られてしまったのか、身に着けているのはジャケットの下に着ていた黒のタンクトップのみだった。履いていた革パンツや下着は取っ払われ、恥部も足の機械鎧も剥き出しにされている。
 「君が望むなら、そうしてあげてもいいんだよ」
 「こ、この野郎……っ」
 しれっとした言い方に怒りが掻き立てられる。エドワードは腕の激痛も構わず、ロープを引き千切らんばかりの勢いで起き上がろうとした。がたがたとヘッドボードが揺れ、寝台の台座すら動かしかねない力に、さすがにロイが眉を潜めた。
 「やめたまえ。ベットを解体する気か。……もっとも、ヘッドボードが外れても、手の戒めは解けないが」
 どこかせせら笑うような雰囲気を感じ取り、咄嗟にエドワードは片足を振り上げようとした。が、察しよく、ロイは腹を蹴り上げられる前に脛を掴み上げ、ぎりりと力を込めた。握力と指先だけの圧力で関節と関節の間に指がめり込み、その痛みにエドワードは呻いた。
 「無駄だ。君だって知っているだろう。これでも軍隊格闘技を仕込まれているんだよ、私は」
 それは取りも直さず、戦場に出る者の倣いで、精神修養を含む武術としての格闘技ではなく、純粋に殺人技としてのテクニックしか知らない、ということである。物騒な脅しを、ロイはやんわりとエドワードに知らしめた。
 「離せよ……っ」
 「大人しくしてくれるのならね」
 「ド畜生めが」
 エドワードの剣呑な瞳の色は変わらない。が、ロイはそれに陶然とさせられた。こうでなくては、鋼の錬金術師ではない。ここで諦めて、媚びるように身を委ねて来たりしたら、その時点で冷めてしまっただろう。婀娜めくような魅惑を感じながら、ロイは口を開いた。
 「まだ、恋人契約は有効だろう?」
 「……」
 その勝手な言い分に、エドワードはそっぽを向いた。
 「そんなもの、とっくの昔に……っ、いや、無効ってヤツだ。最初から何もなかったんだ」
 「恨みつらみを言っているように聞こえるよ」
 言いながら、ロイはエドワードの体を弄り始めた。徐ろに身を倒すと項に口付け、軽く吸い上げる。ぴくりとエドワードの肌が波打ち、しかし、それを叱咤するように舌打ちした。
 あくまでも、絶対に思い通りにはなってやらない。そう宣言しているようだった。
 そんな強がりがいつまで続くか。ロイは北叟笑む気分で頑なに身を強張らせるエドワードの幼いとも言える四肢に愛撫を加え始めた。
 いったい、何がどうなってしまったのか、混乱する頭の中で、エドワードは情況を把握しようと必死に記憶を辿った。









To be continued