名月は清風を払う 1


 鉄鐸が甲高い音を立てて鳴った。ひどく耳障りな濁った音だった。が、それは決して狭くはない室内にあまねく響き渡り、その場に端座した者全ての耳を劈いた。
 ――今こそ盟約を果たす時。
 男達は頷き合うこともなく静かに立ち上がると、一人、また一人と立ち去り、最後に残った男は畳の上に広げられた連判状を掴み上げるや懐にねじ込み、瞑目した。
 蓮池のお堂で鉄鐸が打ち鳴らされた。
 その報は一刻もたたないうちに郷内の早鐘を矢継ぎ早に叩き出すこととなるだろう。そして、それを聞いた近隣に次々と伝播し、瞬く間に庄から庄へと急を告げて行く。
 それが、どれだけの非常事態を意味するのか、未だ戦塵の垢も落としきれていない甲斐国府の新しい主には判らないだろう。しかし、ただごとでないと俄かに悟らざるを得なくなるのに時間はかからないはずである。
 その目論見通り、物々しい足音とともに血相を変えたお取次衆が駆け込み、躑躅ヶ崎のお屋形を取り囲む壕から慌しく水鳥が飛び立ったのは、明け方もまだ遠い時刻のことだった。
 が、すでに不穏な気配は近付いており、血腥い風が吹き始めていた。
 そして、その後に起こった惨事は、怒号と悲鳴を背後にすぐさま伝馬にて奥羽へと伝えられ、奥州筆頭をもって任ずる伊達政宗の耳に達した。
 「……追放された、だと?」
 一瞬、信じられない、とばかり第一報を聞いた政宗は眉を寄せた。
 「間違いねぇのか。誤報だったりしたら、ただじゃおかねぇぞ」
 「間違いございませぬ」
 庭に跪く伝令使の男の声は揺るぎもない。夜に昼を次いで駆け戻って来たのだろう、酷く疲弊してはいたが、正気を失っているようには見えない。政宗は小さく舌打ちすると、吸いかけの煙管を置いた。否、叩きつけるように荒々しい所作だった。
 「本当なんだな、河尻の野郎が甲斐から追ん出されたってのは。奴は今どこにいる」
 「こちらに向かっておりまする。明日中には我が領内に入るとのこと。到着次第、御前にお目見えするものと思われまする」
 「判った。下がっていい」
 Shit! と小さく呟くなり、政宗は身を翻した。背後で伝令使がほっとしたように肩から力を抜くのが気配で判る。本来ならば、甲斐から疾駆してきた者に対し、労いの言葉くらいかけてやってもよかったのであるが、この時はそんな余裕もないほど頭に血が昇っていた。自然、廊下を跨ぐ足音も荒くなる。
 こんなにも早く事態が動くとは思ってもいなかった。きっちりと遺領に対する安堵も宣撫策も講じておいたはずだった。いったい何がいけなかったのか。
 「小十郎! 小十郎はどこにいる」
 「これに」
 別棟にいたのだろう、主の不機嫌な呼びかけに駆けつけた小十郎が膝を折るのも待たず、政宗は口を開いた。
 「武田の跡地に置いておいた守護が追っ払われた」
 「なんと」
 いったい誰がそのようなことを……、と言いかけて、小十郎はすぐに事態を察した。どこぞの武将に攻め込まれて甲斐を奪取されたのではない。もし、そんなことが起こったのならば、政宗はもっと声を荒げて即座に軍評定を開けと命令していただろう。しかし、そんな様子ではない。全く面白くないと言った風情で苦虫を噛み潰している。
 ということは、予想外の方面で不都合が起こったということである。
 「国人一揆ですか」
 ごく冷静に、小十郎は指摘した。間違っていなかったのだろう、政宗は、来い、とばかり顎をしゃくった。
 守護や守護代などの領主が追放されたり殺されたりするのは、何も武将同士の抗争に端を発するものばかりではない。中世の頃より、国人(※ 豪族や土豪など地元の有力者のこと)や村同士の諍いによって起った争論に武将達が巻き込まれて戦になることも多く、特に戦国時代はその手のごたごたが絶えなかった。
 「厄介ですな」
 「ああ」
 苛立たしげに、しかし、一過性の怒りと衝撃は収まったのか、政宗は身を翻して元の室に入ると、上座にどっかと腰を降ろした。後から入った小十郎は襖をきっちり閉めてから政宗の前に端座し、主の言葉を待った。
 国人一揆というのは、「一揆」とは言っても、一向一揆や土一揆のように武力抗争を意味するものではなく、国人達の盟約のことを指す。本来、「一揆」とは、「心を一つにする」という意味であり、寧ろ武力行使は副次的なものだった。
 この盟約の内容はケースバイケースであるが、大抵は自分達の居住する郷に危急存亡の危機が訪れた際は一致団結して対処することを連署とともに誓約したものが多い。
 先祖から受け継いだ自分達の土地を守るため、自立自存を明白にするため、或いは愚鈍な領主からの搾取を拒絶するためのサボタージュやボイコット、エスケープ、果ては村そのものを有力寺社の領地として売り飛ばすなどといった離れ業もあり、しばしば戦国大名を泣かせてくれた。非暴力の自衛策は時に武力蜂起よりも効果的で過激だった。
 ちなみに、毛利氏などはこの国人一揆の盟主から戦国大名に脱皮した武将の一人である。身分的に低いからと言って、決して侮れない隠然とした政治力を持っていたのである。
 「要するに、穴山は甲斐の百姓(※ 農民のことではなく、一般民衆全て)に受け入れられなかったということですな。せっかく武田氏の親族を守護に持って来たというのに」
 「そんなはっきり言うな」
 「申し訳ありませぬ」
 一応殊勝に小十郎は頭を下げたが、実のところ、これでもやんわりした表現にしたつもりだった。簡単明瞭に言うなら、こうである。
 「あんた、領民に無能扱いされたんですね」
 身も蓋もないが、実際、戦国時代は領民が領主を恣意的に選択することが珍しくなかった。山城の国一揆など、当地の守護大名富樫氏が百姓達の手で追放されているのである。追放された後は縁を頼って近隣の武将に拾ってもらうか浪人となるか、下手すれば野垂れ死にである。武士の間にはあった「忠節」や「忠義」などという言葉は民衆には寸毫もなく、自分達の生活を保護してくるならば領主は誰でもいい、それができないなら容赦なく切り捨ててしまえ、という時代だった。
 そうしなければとても生きていけない、厳しいご時世だったのである。食うためなら人は何だってやる。
 いったい何が国人達のご機嫌を損ねたのだろうと思いながら、小十郎は問うた。
 「その国人一揆というのは、甲斐ですか。それとも信濃――」
 「両方だ」
 小十郎が皆まで言う前に政宗がぴしゃりと遮る。余程癪に障るのだろう、いきなり南下して来た伊達の支配を蛇蝎の如く拒絶されて。奥州筆頭としてこんな仕打ちは面白かろうはずもないが、放置してもおけない。
 「これは信玄公が意図したものですかな」
 「さあな。しかし、事前にそういう契約を取り交わしてたって驚かねぇぜ、俺は」
 もしそうであったら、さすがに用意周到な武田信玄だ、と感心するほかない。否、信玄ならやりかねない。甲斐の守護職として二四〇年に渡る歴史を持つ武田氏に対する尊崇の念もさることながら、領民のために大規模な治水工事を行い、金山を開発し、富国強兵に努めた国主に、国人達は相応の敬意を払ったのだろう。被官となっている者も少なからずいたに違いないが、まるで時限式の地雷である。
 もっとも、これが善政を敷くということの極意でもある。領主が領民を慈しむのは単なる慈愛精神の発露ではなく、もしもの時協力してくれることを期待しての、極めて護身的な政策なのである。領民に一方的な負担を強いるような失政を犯したりすれば、近隣の武将から侵略を受けた時、雪崩を打って利敵行為に走るばかりか、結果的に領主の首を差し出すことも潔しとしなくなる。
 「上手くいかないものですな。戦に勝つだけでは」
 「うるさい」
 拗ねたように政宗はそっぽを向いた。この政宗率いる奥州勢が川中島の合戦に乱入し、武田と上杉の二大勢力を蹴散らし、剰え大きく後退させるのに飽き足らず、武田領内へと侵攻したのは約一ヶ月前。重傷を負ったという信玄の行方は未だ不明であるものの、国主不在の甲斐はあっさりと政宗の軍門に降った。
 否、余りにも上手く行き過ぎたと言うべきだろう。本拠地である甲斐だけでなく、信濃、東海、関東の一部までを支配下に置いた、まさに一二〇万石余りの領地の大半が政宗の懐に転がり込んだのである。どこかに隠し玉があるに違いないと警戒はしていたつもりだったが、いきなり地面から足を掬われるとは思いもよらなかった。
 これでも遺領の処置には気を配ったのである。信玄の従兄弟に当たる穴山氏を甲斐の新しい国主とし、奥州側からはお目付け役として河尻という武将を置くだけにしておき、一方の信濃には伊達の方から適当な武将を選んで守護にしよう――元々一国を支配するような有力な大名がいなかったため――と考えていた矢先だった。
 「しかし、甲斐と信濃同時に、ということは、合力(助っ人)の約束があったとみてよろしいでしょう」
 「そうだろうな。だが、詳しいことは河尻が戻ってからだ。すぐに黒脛巾を使って情報を集めろ」
 「承知致しました」
 ではこれにて、と一礼し、小十郎は立ち上がろうとした。が、ふと思いついて政宗に問いかけた。
 「真田がこれに関係しているのでは?」
 「いいや」
 即座に政宗は否定した。片方の眉が神経質にぴくりと跳ね上がったものの、声は落ち着いていた。
 「そんな話は聞いてねぇ」
 「そうですか。失礼仕りました」
 政宗の声に隠すつもりもない不機嫌さと苛立たしさを感じ取った小十郎はそれ以上何も言わず、主の前を辞した。
 身を潜めている信玄の行方も気になるが、真田幸村の行方はもっと気になっている。余りにもあからさまな政宗の不興は、川中島の合戦の折りからずっと途切れることなく続いていた。
 どういうわけか、信玄の金魚のフンだった真田幸村の姿が合戦場のどこにも見当たらなかったのである。武田軍に別働隊がいると知ってそちらも探らせたのであるが、やはりそこにも幸村はおらず、親戚筋の武将に率いられた真田隊が元気に駆け回っているだけだった。
 その後の調べで幸村は川中島の合戦の数ヶ月前に上田を離れていることが判ったが、行き先や目的は全く不明のまま、殆ど雲隠れに近い状態で今日まで来ている。それというのも、目晦ましの風聞がまことしやかに何通も流され、もっともらしい噂と化していくつも手許に届けられては、その真偽を巡ってさんざん振り回され、惑わされた挙げ句、空振り、肩透かしを食わされたためである。複数の忍が暗躍していることは間違いなく、その対敵情報工作とでも言うべき撹乱戦法の妙技に政宗達は翻弄されるばかりで、なすすべもなかった。
 無論のこと、上田城の者も幸村の所在については一切知らされておらず、誰もが甲府の躑躅ヶ崎館にいるものと思い込んでいた。というのも、信玄に呼び出されて上田を発った後、戻っていないため、戦準備のために足止めされている――当時の戦の準備には数ヶ月から一年くらいかかっていた――のだと家中の者は信じて疑いもしていなかった。
 これほどまで行動を秘匿するには余程重要な任務を帯びて身を隠しているのだと政宗も小十郎も察したが、しかし、何故なのか、という疑問に関しては皆目見当もつかなかった。政宗でなくとも歯痒く、まどろっこしく、気になる一件だった。
 「いったい何やってんだ、あいつは。やっぱり国人一揆と関係あるのか」
 その回答は、しかし、翌日帰還した先触れの報告によってさえ明確にはならなかった。もっとも、すでに河尻は政宗と話をすることはできなかった。
 「申し訳ありませぬ。此度のこと、万死に値しまする」
 主殿の脇に設えられた応接の間で、取るものも取り敢えず駆け戻って来たという出で立ちの河尻の近習は、ただひたすら平伏した。
 「災難だったな。まぁ無事で何よりだ。それより、何があったのか報告しろ。できるだけ詳しく」
 「はっ」
 「いや、その前に、河尻と穴山はどうなった」
 その問いかけに、しかし、近習は唇を噛んだ。
 「河尻殿は殺されました。穴山殿は国境にある寺で保護していただいておりまする。とても動かせる状態ではありませぬ」
 そうか、とだけ政宗は言った。恐らく、穴山も殺されるところだったのだろう。辛くも逃げ切れた、ということろか。しかし、河尻は逃げ遅れてしまったらしい。後で判ったことであるが、国人達の手によって殺害された後、河尻は逆さまにして埋められたという。
 「発端は、国人達お決まりの指出し(※ 住民票のようなもの)を出し渋るという行為でした。国主のいるお館に上がらない、新たな法度の制定に従わない、という軽度の抵抗から、『欠落ち』、『逃散』(※ 無断で土地を離れること。時には村ごと逃亡することも)と次第にエスカレートしまして、ついには諏訪大社縁りの神社に国人達が集まり、鉄鐸が打ち鳴らされたとのよしにございます」
 「鉄鐸?」
 聞き慣れない単語に政宗が首を傾げる。銅鐸ならばいくらでも古代の遺跡から掘り出されているが、鉄鐸というのは聞いたことがなかった。単に銅鐸を鉄で作ったものなのか、全くの別物なのか、それすらも判然としない。それへ、自分も実物を見たことはないのだが、と前置きした上で近習は説明した。
 「諏訪大社の上社に保管されていた神宝の一つで、大きさは五寸ほど、形は蝶の蛹に似ているとか。薄い鉄板を漏斗状に丸めたもので、中に舌が吊るされてまして、下から紐で引っ張ると鈴のような音がするそうです。これが鳴らされるのは、ごく限られた神事の時だけと聞いておりまする」
 「今回、国人一揆の合図に使われたってことか」
 「左様で」
 「成る程」
 相槌を打つ政宗は、しかし、鉄鐸が打ち鳴らされた意味がまだよく判っていなかった。たかが古色蒼然とした鈴の一個や二個ではないか、とスルーしようとした。
 「恐れながら」
 と、小十郎が横から口を挟む。
 「その鉄鐸は、諏訪大社から譲り受けたものと思われます。元は三組六個あったと言われておりますから、そのうちの一つでしょう。となると、厄介ですぞ」
 「何故だ」
 「この国人一揆、諏訪大社のご祭神、建御名方神の御前で誓約したと見做されるからです。つまり、盟約の立会人を神様にしてもらったということですから、世俗の者の言うことなど聞きますまい」
 「一揆の連中全員が神さんの眷属にでもなっちまったてことか。そりゃ厄介だな。何せ、諏訪大社といや、お伊勢さんより古い神社だ。信州の連中の信仰も深い。善光寺さんと張るな」
 「そういうことではありませぬ」
 「じゃ、はっきり言え」
 ゆっくりと、政宗の声音が気色ばむ。聞きたくないことを聞かされるのだ、と察しているのだろう。が、ここで怯むようでは政宗の守役など務まらない。小十郎はいつもと変わりない口調で言い切った。
 「一向一揆と同じ、ということです」
 はっと息を呑むような緊張感がその場に走る。一向宗門徒の勇猛果敢さ、しぶとさは今更思い浮かべるまでもない。あの魔王と呼ばれた信長を敵に回して一一年も互角に戦った宗教集団である。その勢力は大阪の本願寺顕如を中心に全国に広がっており、無視できない存在として今や戦国大名と肩を並べるほどの強大な権力を有していた。
 己れの支配力を無力化するものとして戦国武将達は一向宗を禁じたり、門徒を追放したりしていたが、撲滅には至っていない。宗教教団であるだけに、「死」という概念に恐怖を覚える感覚が薄く、その手の脅しが効かない上に、信者に無宿者が多かったため、通常の弾圧が効果を発しなかったのである。
 政宗としては、今の不安定極まりない情況の甲斐や信濃で一向一揆に類する叛乱を惹起されては非常に困る。手に負えない第三勢力が発生したに等しく、下手をすれば領地を横から奪取されかねない。
 また、この争論によって東国から西や南へ出る陸路が封鎖されてしまいかねず、ことによっては幾久しく奥州に閉じ込められてしまうかもしれない。せっかく開いた中山道を塞がれ、後退を余儀なくされれば、何のために甲斐と信濃を手に入れたのか判らない。
 「成る程。お前の言いたいことはよく判った。確かに、由々しき事態だな」
 「しかも、武田信玄は一向宗を保護して融和策をとっておりましたから、こちらの動きも注意することが肝要かと。何せ、信玄公と顕如は義兄弟の間柄ですから。ただし、一向宗そのものと今回の国人一揆は関係ありますまい」
 「どっちにしろ、連中は俺の言うことなんざ馬耳東風ってわけだ。軽く見られたもんだぜ」
 自嘲混じりの口調に反して、小十郎には政宗の歯軋りが聞こえてくるような気がした。気炎を吐く寺社勢力の前に、奥州筆頭も形無しである。織田信長が残虐非道と罵られ、謗られながらも寺社勢力を弾圧し、剰え、虐殺、焼き打ち、騙まし討ちを繰り返してまで一掃したくなるのもよく判る。それでなくとも、領主として一揆を起こされることくらい屈辱的なものはない。己れの器量や才覚、プライド、地位、全てが侮蔑され、否定されたも同然である。
 「俺は信玄公に劣るってわけだ」
 が、それへ、小十郎は宥めるように言った。
 「そういうことではありませぬ。領国の運営は一朝一夕でできるものではないと言っているのです。信玄とて信濃の攻略には父親の信虎の代から数えて何十年もかかっているのですから。諏訪大社の大祝(おおはうり)、諏訪頼重に信虎公は娘(信玄の妹)を嫁がせて和睦を結び、信玄公は頼重の娘(諏訪御寮人)を側室に入れて男子を産ませ、断絶しかかっていた諏訪氏の跡取りに指名しました。家臣団には反対派もおりましたが、結果的に諏訪勢は刃向かうことを吉としなかった」
 宣撫策はそれほどまで万全にしなくてはならない。上も下も中間も納得するような形が必要だった。
 「急ぎすぎたってのか」
 呟くように政宗が漏らす。反省の弁のようにも聞こえるが、その政宗の台詞の裏を、小十郎はきっちり読んだ。
 ――百姓にとって領主の交代なんざ頭の挿げ替えにすぎないもんだろうが。がたがた文句言って駄々捏ねるんじゃねぇ。
 「それで? どうして穴山は殺されそうになったんだ。よそ者の河尻が襲われるのは判るが」
 「裏切り者扱いされたようです。お屋形様の災難に乗じて武田家を乗っ取った、と。こうなることは予期すべきでした」
 「そうかよ」
 「現地の様子はどうなんだ」
 むすっと口をへの字に結んだ政宗に代わり、小十郎が河尻の近習に問い質す。
 「各地で国人一揆が誘発されておりまする。恐らく、しばらくは同時多発的に火の手が上がるものと思われます。今は静観した方がよろしいかと」
 「そうだな」
 無理に火を消そうと弾圧を加えれば、一向宗と同じく国人一揆を煽るだけだろう。武将と違って地元の有力者はどこへでも逃げられるし、どこにでも隠れられる。それでなくとも山国の甲斐と信濃は山野を駆け巡る透波が多く、武器や食料の調達も容易で、殆ど神出鬼没のゲリラと化して跳梁跋扈する。正攻法が通じない相手くらい手を焼くものはなかった。
 「しかし、信濃は押さえておくべきでしょう。甲斐と違って信濃は小国分立状態です。睨みを利かせていた真田も不在となれば、今や烏合の衆と言っていい。いや、これはチャンスかもしれませんな」
 「何言ってやがる」
 先程、様子伺いに賛成したばかりではないか、と政宗は思った。が、小十郎は意に介さなかった。
 「問題は、北方からの侵攻です。川中島で疲弊した上杉はともかく、越前の方の動向には気を付けねばなりますまい。あちらには、前田がおります」
 国人一揆に青筋立てている場合ではない。どうせそのうち甲斐では生き残った信玄の息子の誰かか、兄弟の中で毛並みの良さそうな者が擁立されて復興を果たすだろう。が、その間、信濃はがら空きになる。
 「要するに、ご機嫌伺いしてやるのは甲斐じゃないってか」
 どこか不満そうに政宗は返した。それで俺の気を逸らせたつもりか、と怒鳴りたいに違いない。もっとも、小十郎はしれっとして答えた。
 「その通りです」(どちらか一つに絞るのがよろしいでしょう。いくら何でも両方一遍に相手するのは無理ですよ。二正面戦争したいんですか)
 「確かにそれは一理あるな」(上杉にダメ出しするってのも悪くねぇがな)
 「織田への牽制にもなりましょう。前田の動きを封じることができましたなら、ですが」(あんた、上杉に「国人風情が」ってバカにされたの、まだ根に持ってんですか。御祖父様の代のことじゃないですか)
 「そこまではまだ考えなくてもいいだろう」(やかましい! 兎にも角にも反撃に出るぜ。後のことは後で考える)
 「では、信濃へ」
 「おう」
 政宗の承諾を得て立ち上がろうとした小十郎は、しかし、廊下を駆けるように近付いて来る足音に顔を上げた。
 「申し上げます」
 明らかに息を切らせた取次ぎの声が切羽詰っていた。今度は何だ、と小十郎は障子に向かって声をかけた。
 「どうした。騒がしいぜ」
 「すみませぬ。先程、上方へ出しておりました者が戻りましてございます」
 何か新しい情報でも入ったのか、と思った小十郎は障子を開け、取次ぎの者の差し出す書状を受け取って政宗に手渡した。
 きっちり折り畳まれたそれを広げた政宗は、文面を目にしたとたん、顔色を変えた。
 「これを持って来た奴をここへ呼べ」
 「はっ」
 取次ぎが下がると同時に、政宗は書状を小十郎に投げつけるように渡した。
 「読んでみろ。腰抜かすんじゃねぇぞ」
 良くない知らせらしい。が、そこに書かれていた申し状は、良くないどころか、とんでもない情報を伝えていた。
 送り主の署名を目にして、小十郎は口元を引き攣らせた。
 「松永弾正久秀」
 先年、第一三代将軍足利義輝を弑逆した男だった。






2009,4.10 Continued

 やっとこさUPです。ところどころ曖昧な部分もありますが、どうかご勘弁を。
 文中に出て来た河尻秀隆ですが、こいつは信長の家臣です。武田征伐の後、遺領の分け前として甲斐の国主に指名されたんですが、圧政に怒った国人達に一揆を起こされ、あっさり殺されております。余程恨みをかっていたのか、逆さに埋められたそうで、躑躅ヶ崎館の近くには、河尻塚というのが現在も残されております。しかし、僅か一ヶ月の国主……。何だか、惨め……。(-_-;)
 それと、鉄鐸は現在も謎の神宝だそうで、使い方はよく判っていないのだとか。一揆の際の合図に鳴らされた、というのも確証がありません。その辺はスルーして下さいませ。(^^ゞ