名月は清風を払う 3
| 人取橋は会津のほぼ中央に位置する盆地の中にあり、周囲を高地で占められているという、実に行軍しにくく、また襲撃されやすい地形だった。 「よりによって、こんなところに連れ出されるとはな……」 苦虫を噛み潰した顔で、政宗は突破したばかりの門扉の向こうを睨みつけた。 どこに繋がっているのか、洞窟のような通路が手前から奥へと伸びていた。かなりの奥行きと広さがあるようだったが、その先は暗くてよく見えない。ただでさえ不案内な土地であるというのに、細くて長い通路――隘路との遭遇は、生半可に飛び込むことを躊躇わせる。隘路は大軍の寄せ手を拒み、戦力の逐次導入という戦術上の禁忌を犯しやすい。使える手が限られているため、攻め手としてはできるだけ避けたい場所だった。しかも、通路からは凍りつくような冷気が感じられた。 嫌な感じだった。松永の悪意がそこここに満ち満ちているような気すらする。 チッ、と舌打ちする政宗の背中を見ながら、小十郎は油断なく周囲に警戒の目を光らせた。戦というものは、始まる前に勝負が決していると言われる。敵の戦略・戦術に嵌ったら、負けなのである。長篠の合戦など、鉄砲隊が騎馬を撃退したという派手な場面ばかりが誇張されて後世に伝わっているが、実際は長篠のような塹壕戦に適した地形に誘い込まれた時点で騎馬の敗北が決まったも同然だったのである。 侵攻する側にとって、長く伸びきった隊列の側背を襲撃され、戦力を分断されるくらい怖いものはない。友崩れが起これば、お仕舞いである。 もっとも、危険を承知で政宗はここへ来たのである。今更引き返せない。 「俺に一人で来いってか、松永の野郎」 「さすがにそれはないと思いますが、全軍で押し寄せるというわけには参りますまい」 物理的に無理だ、と小十郎は言う。 「だったら、手打っとけ」 まさか、何もやってないなんて言わねぇよな、と言外に問いかける政宗に、小十郎は平然と頷いた。 「承知しております」 その受け答えに、すでに何らかの策が講じられているのを政宗は察した。背後の心配がないのであれば、先に進むだけである。どういう罠が仕掛けられていようとも、怖気づいていると思われるのは癪に障る。 「行くぜ。この氷穴じゃ寒さで鉄砲は使えねぇ。簡単に突破してやる」 と、気炎を上げると、政宗は抜刀して走り出した。その後を小十郎が追う。 一気に入り口を駆け抜けると、伊達軍はドーム状の洞窟内へ踏み込んで行った。中は予想以上の寒さだったが、待ち構えていた伏兵を見るや、鎧の下の肌が熱気を帯びた。数を頼みに襲い掛かってくる有象無象の連中など伊達主従の敵ではない。 各個撃破でもするつもりだったのか、岩場など死角になりそうな場所には弓兵が配置されており、何度も行く手を遮られたが、政宗達の侵攻を阻むことはできなかった。片っ端から撫で斬りにして始末すると、二人は勢いのまま氷穴の奥へと向かった。 かつては何らかの宗教的な儀式でも行われていたのか、あちこちにお社の残骸のようなものが転がっていたが、そんなものには目もくれず、伊達軍はひたすら敵兵と切り結んだ。 途中、方向が判らなくなって迷った者もいたようだったが、断崖にかかった吊り橋を渡り切る頃には、敵方の敗色が見え始めていた。 が、それに伴って、不気味な地鳴りも聞こえてきた。 「何だ?」 「誰かが悪足掻きをしているようです」 やたらめったな爆破や切り結びのせいで何ヶ所が落盤が起こったらしい。が、幸いにも氷穴そのものが潰れてしまうほど大規模なものはなく、政宗達一隊は最奥部へと進むことができた。 「ちぃと明るくなってきやがったな」 「どこからか光が入っているのでしょう」 「そこに出口があるってのか」 「恐らく」 息が白い。冷気のせいで肌が冷えてきた。しかも、汗が乾くことなくべっとりと衣服を張り付かせ、それがまた体温を奪う。鎧に飛び散った鮮血が凍るのを見て、政宗はぞっとした。早くここから出なくてはならない。凍死などご免である。 「あそこか……っ」 やがて、封印するように閉じられている巨大な扉が見えた。そこを守るのは三好家の重臣クラスの武将達だった。元々、松永は三好家の祐筆という地位から身を起こし、家督争いに介入して勢力拡大、主家を乗っ取る形で京の都に入り、三好氏の主筋に当たる細川氏すら圧倒する権勢を見せ付けた人物である。主従の逆転を、この武将達はどう見ていたのだろう。 否、決まっている。祐筆に乗っ取られるような主などさっさと見限っているに違いない。まさに弱肉強食である。久秀はあの信長すら掌の上で弄んだ。 そんな感傷を追いやり、打ちかかってくる将兵を薙ぎ払い、政宗は扉へと突進して行った。 「どいてろっ」 扉の前で小競り合いをしている連中を怒鳴りつけると、政宗は刀を持ち直し、闘気をぶつけるように言い放った。 「PHANTOM DIVE!」 掛け声とともに、その場を切り裂くような疾風が一閃した。みしっと何かが軋むような音がした後、爆発するように扉が吹っ飛んだ。刹那、眩いばかりの陽光が目を眩ませる。 「首を洗って待ってろ、松永ぁ……っ」 「政宗様!」 勢いのまま外に駆け出して行く主の後を、慌てて小十郎は追った。出口にどんな仕掛けがあるか判らないのである。 が、その心配は杞憂に終わった。氷穴の中ではよく判らなかったが、どうやらループ方式で上り坂を上っていたらしく、扉の向こうは山道の途中の踊り場のような場所になっていた。面積としてはかなり狭い。しかも、その背後は断崖絶壁で、伏兵を置くような余裕はなかった。 その、申し訳程度の広場に、目指す相手はいた。そして、囚われた兵も。 「てめぇが松永か」 鬼気迫る勢いで詰め寄る政宗に対し、あくまで泰然自若として振り返った男は冷静極まりない口吻で報いた。 「そう、私が松永弾正久秀だ。初めてお目にかかる。が、酷い格好だな。まるで野伏だ」 小馬鹿にしたような、明々白々の態度に政宗はかっとなった。相手がかなりの年長者で、一時的にとは言え、京の都の支配者であったことなど頭の隅にもなかった。 「この俺をチンピラ呼ばわりするとはいい度胸だ。こんな下らねぇ喧嘩を売ったオトシマエはつけてくれるんだろうな」 いや、チンピラそのものじゃないか、と政宗の背後で小十郎は突っ込みを入れた。野伏とは、「のぶし」とも「のぶせり」とも読む。村落や郷内の自警団の構成員となったり、足軽として出征したりするが、その大半は手のつけられないならず者だったという。伊達軍を構成する珍妙な装いの面々のどこを取ってチンピラでないと言い切れるのか。チンピラと決め付けられたくないのならば、それなりの外見を整えろと申し上げねばなるまい、と小十郎は生真面目に思った。 「覚悟しやがれ」 政宗が刀を構える。それを松永はどこまでも冷ややかに見ていた。 「そんなにこの者達が大切かね。間諜となった瞬間から、命はないものと納得していたのではなかったのか」 松永が顎をしゃくった先には、柱に縛り付けられた兵が何人ももがいていた。諜者として捕縛された者達だったが、じたばたしているところを見ると拷問を受けた形跡もなく、結構元気そうだった。どうやら、聞き出すことなど何もなく、ただ人質として政宗達を呼び出す道具とされたのだろう。 この諜者という者達は、いつ殺されてもいい、しかし、その際は残された家族の面倒を見るだけでなく、息子がいればそれなりの地位に取り立ててやる、という暗黙の了解の許に放たれるのである。ギブアンドテイクの関係なのであるから、わざわざ政宗が出て来る必要はなかった。 「それとも何か、この者達が死んでしまったら困る理由でもあるのかね。例えば、遺族の面倒を見るのが嫌だ、とか」 「うるせぇっ」 「おやおや顔色が変わった。図星か」 「黙れっ、そんなわけがあるか」 言いざま、政宗が松永に斬りかかる。小十郎が止める間もなかった。が、怒りに任せた一撃は、まるで蝿でも追い払うかのようにいとも簡単に弾かれてしまった。 「政宗様、ご油断召さるな」 感情に駆られての勝負など先が見えている。すぐさま小十郎は政宗のフォローに回った。思ったより松永の腕は使える。下手をすれば、傷を負うくらいではすまないだろう。 「貴様こそ、こんなことをして何になる。俺の顔に泥を塗ったつもりか」 「そうだ、と言ったらどうするね」 「何だとっ」 「卿がここへ来るかどうかは賭けのようなものだった。まさか本当に現れるとは……」 「俺を試したのか」 「おっと」 と、偶然のように、松永が捕虜の柱の綱に刃を当てる。決して太くはない綱が揺れ、捕虜が怯えた声を出した。 「やめろ」 政宗が駆け寄ろうとする。が、それを小十郎は止めた。 「いけません」 「離せっ」 が、二人が揉み合っているうちに、松永の刃は何の躊躇いもなく綱を断ち切った。刹那、悲鳴が聞こえた。はっとした二人に聞こえたのは崖の下へと落ちて行く断末魔の声だけだった。それは尾を引くように峡谷に吸い込まれ、すぐに聞こえなくなった。どれほどの高さがあるのか定かではないが、恐らく生きてはいないだろう。 ぞっと体が震えたが、小十郎は政宗を抱きかかえるように後ずさった。 松永の目的がよく判らない。侮辱を受ければその恥を雪ぐのが当時の武士の倣いだったが、こんな形で政宗本人を引きずり出したのはどういう事情によるものなのか。そうしなくてはならない理由があるはずであるが、どうやってもそれが見当たらないのである。 それは酷く苛つく事態だった。 最初から政宗を殺す気がないということは判る。明智のように何の見返りもなく、己れの欲望のままに名を馳せた武将を嬲ってみたいだけなのか、威力偵察を気取って伊達軍を突付けばどういう反応をするか見届けたいのか。どれもしっくりしない。ただ、どうしようもない悪意を感じる。それがどこから生じているのか判然としないのが歯痒い。 「いったい、何が目的だ」 「それは最初に言っておいたはずだが……」 小十郎の問いかけに、こともなげに松永は応える。が、小十郎は首を振った。 「違うだろ、貴様の目的は六爪なんかじゃねぇはずだ」 「ほう?」 面白そうに松永が続きを促す。小十郎は政宗を抑えながら言った。 「伊達軍の移動だ」 「何だと?」 驚いたように振り返る政宗に、小十郎は囁くように告げた。 「我々をこちらへ引き付けておいて……、いや、我々が動いたという情報を広めて、各方面の動揺を誘うつもりなのでしょう、南下策を本格的に進めている、という印象を持たせて」 「……っ」 実際に軍が動けば、憶測は憶測を呼ぶ。真っ先に反応するのは武蔵野から相模一帯を領有する北条だろう。確認は取れていないか、関東管領を名乗る上杉謙信と何らかの接触があったという情報が入ったばかりである。両者が手を結べば、厄介な敵を作ってしまうことになる。 動揺するのは東国だけではない。連鎖反応的に畿内も、ことによっては西国も対処を要して動くだろう。東国に厳然たる重きを置いていた甲斐武田氏がほぼ消滅して以来、誰が次の盟主になるか、まだ決まっていないのである。予断を許さない不安定な情況が続く中では、何が起こってもおかしくない。 東国と奥州の勢力図が崩れて以来、どの方面の武将も伊達の動きには敏感になっており、次は俺の番かもしれない、と思っただけでも、または思わせただけでも事態は変動する。噂など尾ひれが付いて立派な魚になったかと思うと、そのまま海まで泳いで行ってしまう。 「何が狙いだ」 政宗は問いかけたが、答を期待しているわけではない。松永の背後にいったい誰がいるのか知りたいが、ここで口を割るとは思えなかった。案の定、松永が冷笑を浮かべる。 「愚問だな」 松永は声を上げて笑った。知ってどうなる。もう手遅れかもしれない。そんな不安を煽る声だった。 「先に言ったはずだ。竜の爪が欲しいと」 「いい答だ」 政宗の声が沈む。もう何も聞くことはない。そう判断し、刀を構える。六爪は抜かず、一本だけだった。が、その挑発をうっすらとした笑みで受け流すと、松永は満足そうに言った。 「これで終わりだ」 何? と思う間もなく、松永の右手の指が鳴らされた。その直後、爆発音が轟いた。またもや人質を縛りつけた柱がぐらりと傾ぐ。悲鳴とともに咄嗟に駆け出した政宗は、しかし、次の瞬間、ごく間近で火薬の臭いを嗅いで立ち止まった。 爆薬が仕掛けられているのは、一ヶ所や二ヶ所ではない。恐らくは何ヶ所も、ことによっては自分達の足元にも仕掛けられている。 遮蔽陣地のように上手く隠蔽され、松永の合図で指定された場所を爆破する旨指示されているのだろう。こちらから爆破地点を探し出し、攻撃することが叶わない以上、下手に動いては人質どころかここにいる全員が犠牲になる可能性が高い。氷穴の中には、まだ伊達の兵達がいるのである。 「くそ……っ」 やはり、上手く誘い込まれたのである。最早じたばたしても遅い。 政宗は、苛立たしげに刀を納めると、鞘ごと六爪を抜き取り、地面に投げ出した。 「持ってけ」 「政宗様!」 小十郎が、珍しく狼狽した声を出す。が、どう説教されようが、こんなところで全滅はご免だった。伊達軍の戦力が削がれたとの情報が各地に伝われば、息を潜めていた諸勢力が息を吹き返す。迎撃の準備に時間が必要だった。それと引き換えになるのなら、六爪など安い。 「卿が物分りのいい御仁でよかった」 そう言うと、松永は再び指を鳴らした。 そのぱちんという小気味よい音を効いた直後、政宗は飛び掛るように小十郎に突き飛ばされた。その勢いのまま、崖の淵を越える。 「何しやがるっ」 と、怒鳴った刹那、景色が反転した。そして、急激な落下感。 己れのすぐ側で爆発が起こり、咄嗟に小十郎が政宗を抱いて崖からダイビングしたのだ、と政宗が知ったのは、それから数時間後のことだった。 何が起こったのかよく判らないまま、政宗は水に潜った。 予め、氷穴に入る部隊と、中腹を迂回する部隊に分割して行動するよう指示していた小十郎のお陰で、崖下の峡谷を流れていた大隈川の支流に落ちた二人は、流されることもなく引き上げられ、九死に一生を得た。 人質の半数は回収できなかったが、これ以上松永に付き合ってぐずぐずするのは得策ではないとの判断の元、小十郎は全軍に撤退を命じた。 退路は、西上野を縦断する街道を突っ切って米沢へ戻るというものだったが、小豪族がひしめいているその周辺は、武田氏の圧迫から解放されて油断していたこともあり、案外すんなり通り抜けることができた。 落下の衝撃で気を失っていた政宗は激怒したが、小十郎の処置に文句は言わなかった。 2009,6.23 Continued
かなり間が空いてしまいました。実家に戻っていたため、更新ができなかったというのもありますが、ちょっと本文の進め方を変更したもので、あれこれ考えていたらいつの間にか1ヶ月、2ヶ月……。あい、すみません。<(_ _)> |