Black Card 1
扉を押し開けると、真正面に執務机がある。昨日は誰も座っていなかったアームレスト付きの豪勢な革張りの椅子に、今日はその主であるロイ・マスタング大佐が悠々と腰を降ろしてこちらを睥睨していた。
「遅かったな」
「ああ」
殊更ぶっきらぼうにエドワードが言い放つ。が、非礼とも言える態度に、ロイはどこかシニカルな笑みを浮かべただけで、特に文句はつけなかった。
やれやれと、ちょうど居合わせてしまったハボックは肩を竦めた。室内ではコートくらい脱げ、ポケットから手を出せ、と普通ならば当然過ぎるほど当然のマナー違反を咎めてもいいというのに、この甘さは何なんだろう。否、嵐の前の静けさと言うべきか。
一応、片手を上げて挨拶してやったハボックに対し、エドワードは答礼もそこそこに、つかつかとロイの目の前に近付いた。
「で、何の用なんだ。ちゃんと報告書は上げただろ。昨日の今日でわざわざ大佐直々の呼び出しってのは穏やかじゃねーよな」
大した用でなければただではおかない、と言わんばかりの、常よりも刺々しい物言いを横目に、ハボックは密かに口笛でも吹きたくなった。
実際の年齢よりも見てくれは幼く見えるが、中身はすでに成人と大差ないほど早熟で醒めていた。最年少で国家錬金術師の資格を取っただけのことはあると言われればそれまでだが、いくらそれ相応の態度をとってやっても、すげなく払いのけられるのは、はっきりきっぱり面白くない。時に冴え冴えとした表情があからさまに反抗的で小生意気、小憎らしくて全然可愛くなかった。警戒心も強く、一人前にエサを要求して憚らないくせになかなか懐かない野良猫にそっくりである。
もっとも、いつにないこの不機嫌さの理由は大方察しがつく。昨日、エドワードが弟のアルフォンスとともに東方司令部を訪れた時、ちょうどロイは外出していて留守だった。大佐と顔を合わせなくてすんだ、と喜び勇んで執務室の「IN」と書かれたトレイに持参していた報告書を放り込み、これでもう用はないとばかりさっさと退出して行ったエドワードの姿は、はっきり覚えている。
例によって例の如く、どこかの図書館か資料室に嬉々として篭っていたのを無理矢理引きずり出されてムカついているのは容易に想像できた。が、その不満をモロに顔や態度に出すのはどういうものか。しかも、上官の前で。
苦手な手合いだから、できるだけ会いたくない、口も聞きたくないという個人的な感情は察せられるが、それでは軍属としての自覚がないと非難されても仕方がないだろう。もう少し、軍律というものを叩き込んでおく必要があるのではないか、と密かに思う。
よく大佐はこんなひねくれたガキを相手にして泰然自若とした態度でいられるものだ、と感心することしきりだったが、ちらりと上司の顔色を窺ったハボックは、いつも通りの声を聞いた。
「君の予定は聞いている。一応だが」
ロイの口調は殊の外静かだった。が、不必要に穏やかな喋り方をする時のロイは、大抵並々ならぬ感情の昂ぶりを抱えていることが多い。これは荒れる、とこれまでの経験から、ハボックは逃げる準備をすることにした。とばっちりはご免である。
「期間限定の用事はないはずだね」
「だけど、明日の朝にはここを発つ。ぐずぐずしてらんねーんだ。あんたの相手をする暇は――」
「私も、早急に確認しなければならない仕事があるんだよ、鋼の」
当のロイは、エドワードの傲慢不遜とも言える態度に気分を害した様子もなく、引き出しの中から一通の書類を取り出した。
「君の報告書なら読んだ。これだろう? 内容に問題はない。体裁はきちんとしているし、事件の因果関係も対処の方法も理由も矛盾はないし、ちゃんと説明の辻褄も合っている。私に直接渡さず、評価も聞かずにに帰ってしまったという点を除けば、文句の言いようもない」
「だったら、ケチつけるなよ」
このまま回れ右でもしそうな気配に、しかし、ロイはもう一通書類を取り出し、エドワードの前に差し出した。
「これを覚えているか」
「ん?」
そこには錬金術で使う構築式がずらずらと書き込まれていた。目を通すまでもなく、エドワードはそれが何なのか、すぐに思い出した。それは昨日ロイの机の上に放置されていたに等しい書類の一部で、報告書を置きに来た時見かけたものだった。ついつい好奇心から見入ってしまったが、その時は下書きか、またはそれをまとめている段階だったようで、机の上にはメモ書きらしい紙片が何枚も散らばっており、傍らには軍で使用している書式のフォーマットが一緒に置かれていた。
「これがどうかしたのか」
「その書類は昨日のうちに司令官の承認を経て裁可された。要するに予算が認められて経理の方へ回されたということなんだが、問題はそこじゃない」
「じゃ、何だよ」
「こことここの部分だ。それと、ここ。このモジュールの設計を書き換えたのは、誰だ」
書類上の何ヶ所かを指差し、ロイが冷静に問い質す。それへ、エドワードはのほほんとして応えた。
「認可されたんならいいじゃないか。起動するのに問題はなかったってことだろ。だいたい、原案のままだったら、迂回路がややこしくて余計な時間がかかっちまう。こうやった方がスマートだ」
「要するに、書き換えたのは自分だと認めるんだな」
「何か悪いのか」
全く悪いとは思っていないらしい。詰問されているにも拘わらず、エドワードの態度はおよそ神妙なものとは縁遠かった。
「あの書類が何なのか、君は知っているのか」
「いいや」
「あれは機密文書に指定されてもおかしくない設計書なんだ。関係者以外の者に見られるのは困る。しかも、君は解読して書き換えまでした」
「だから?」
「下手をすれば、機密漏洩のかどで捕縛の対象となる」
へぇ? とエドワードは反抗期の少年にありがちな横柄さでロイを見上げた。
「そんなに大事なもんなら、机の上に放りっぱなしにしておくなよ。先に署名なんかして。誰が見ちまってもおかしくねーだろ。無用心だぜ。それとも、一筆入れときゃよかったのか。協力者エドワード・エルリックって」
「馬鹿なことを。いくら君がここに出入り自由とは言え、好き勝手していいというわけではない。判っているだろうが、少しは自分の立場をわきまえたまえ。ことによっては、私が告発しなければならなくなる」
「できるのかよ」
「それだけの権限はある。もちろん、黙っていてやる権限もな」
「また脅しかよ」
が、どうやら、その台詞でエドワードは気付いたらしい。不意に、これまでのぶっきらぼうな表情が影を潜め、にやりと悪戯っぽい笑みが浮かんだ。
「もしかして、あの書類を見たお偉いさんが、よくできてると褒めてくれたのか。でも、それは自分が書いたものじゃない。つまり、恥をかいたってわけだな。じゃ、黙ってた方が利口だ」
「……」
ロイはしばらく応えなかったが、唐突に机の右端に置いてあったメモ用紙を取り上げると、そこにさらさらと何事かを書き付けた。
「君が書いた式はこうだっただろう? しかし、これでは不都合なんだ。今はよくても、将来、必ず更新しなくてはならなくなる。二度手間のシステムを作り上げるのは不本意だ。ほら、こことこことで循環した場合、包括できる数値が溢れて回避処理が間に合わない。君がやったようにモジュールをシンプルにしたら、この条件設定を挿入する余裕もなくなる。それとも、こっちに手を入れてみるか」
「な……っ」
何を指摘されたのか、紙面を見ていたエドワードの頬がかっと紅潮する。どうやら、ミスでも見つけ出されたらしい、とハボックは思った。執務机の斜め前という位置からでは何が書かれているのか見えないが、どうせ見えても錬金術の知識のない者には、構築式などチンプンカンプンである。ハナから覗き見しようとは思わなかった。
「そこをいじったら、後の式が全部ダメになっちまうだろ。そんな自滅行為するくらいなら、最初に定数を宣言しておけばいい。これでステートメント立てて条件設定できるじゃねーかよ。いちいち頭に記述する手間かけるのか」
言いながら、エドワードもスタンドから鉛筆を取り上げ、何事かを書き付けている。それに反論するように、ロイがもう一枚メモ用紙を取る。
「これはずっとこのままというわけじゃないんだ。今後、どういう変更があるか判らない。柔軟に対処できるよう、条件の宣言は敢えて避けたい。だから――」
「こことここをネストでリンクすればいい」
「こっちに自動計算がついているから、無限ループになってしまう。ここにバイパスを作ればいいが、別の参照とぶつかってしまう。バグになるぞ」
「循環させる回数を制限して経路を分ければ解決だ」
「片方は有効だが、もう片方は消滅するまで永遠回帰になる。それに、別のシステムに繋いだら、タイムアウトが強制的に適用されて、途中でエラーになってしまう。エラーが出たら、構築はストップだ」
「それなら、エラー処理すりゃいいだろ。デバックかけたらそういうのが出てくるように適当なアプリと連動するようにしておけばどうにでもなる」
「しかし、余計な時間を食ってしまう」
「あんたが変な選択肢を挿入するからだろ」
「私はシステムに最適だと思う式を代入しただけだ。全体を見てもいないのに、小手先の式を変えてもどこかでブッキングを起こしてしまう可能性が高い。それに、ここの記述は何だ」
「どれだよ」
ロイが指差す方を、エドワードがじっと見る。しばらく考えた後、今度はエドワードが何かを書きつける。
「これでいいだろ」
「冗談ではない。こうだ」
こつこつと、ロイが紙面の一部をペン先で突く。それを見て、エドワードがむっとした顔をした。
「違う。それじゃさっきと同じだ」
「同じにはならない」
年齢差一四というギャップを感じさせない勢いで、対等にロイとやり合っている姿はなかなか微笑ましい。さすがは、最年少国家錬金術師といったところか。
が、時にその尊大さが命取りになる。
ロイが指摘した先をじっと見つめていたエドワードは、やがてため息をつくようにして言い放った。
「この程度のことしか考えらんねーのかよ、まったく……。中尉が無能だって言ってたのがよーく判るぜ」
ぎょっとしてハボックがロイの方を見遣る。
「……」
かたん、とロイが無言でペンを置くのが判った。ハボックが見るまでもなく、その表情は強張ったように無表情だった。やべぇ、と思った刹那だった。
がたん、とわざと音を立て、ロイが椅子から立ち上がった。そのまま机を回り込み、エドワードの前に立つ。その片手がゆっくりと動き、腰にあてられた。憤然とした怒りのオーラが濃厚に立ち昇っているのが見えるようだ、とハボックは思った。激怒しているのがひしひしとこちらにまで伝わってくるのが判る。
無能とは、言ってはいけない一言だった。特に、自分を有能だと思っている者の前では。なまじ、激情型でないだけに、無表情だったり下手ににこやかだったりすると、ロイは怖い。否、それを平気で煽るエドワードはもっと怖い。
逃げる準備をしようとするハボックの耳に、上司の冷え切った声が聞こえてくる。
「どうやら、君とはゆっくり話をつけなければならないようだ」
冷静極まる低い声で、ロイがエドワードに告げる。そのままぶん殴ってしまっても不思議ではない、冷え冷えとした声音だった。
エドワードはあくまで強気な態度で腕を組み、そっぽを向いたが、逃げ出す気はないらしい。なかなか度胸はあるが、それは軍という組織の外にいるからこそできる態度だった。鉄の規律に服従している者には怖くてできない。
冷や汗をかきかけたハボックに、ロイが視線を動かさないまま口を開く。
「聞いての通りだ、ハボック。私がいいと言うまで、ここには誰も入れるな」
判ったな、と念を押され、少尉はすぐさま回れ右をした。上官の命令である。否、それ以前に、これ以上、こんな諍いの場にいたくなかった。
「では、失礼します」
そう言い置くと、ハボックは一礼し、扉の向こうに姿を消した。
故に、この後、執務室でどういうやりとりがあり、どういう話がつけられたのか、知る由もなかった。ただ、二人の問答はかなりかかったらしい。一時間経っても二時間経っても、音沙汰なし。
ちゃんと話はついたのだろうか、と思わなかったわけではなかったが、しかし、ちょっとでも執務室の中を覗く機会があったら、恐らくハボックは自分の耳を疑ったことだろう。
二人っきりになった静かな室内では、職務とは全く関係のない事態が進行していた。
「さて、君の希望通り、第三者は立ち去ったぞ」
と、ドアノブに取り付けられた閂を下ろし、内鍵をかけてからロイは改めてエドワードに近付き、不貞腐れたままの顔を見据えた。
「来たまえ」
片手を差し出すと、エドワードが大仰に肩を竦めた。
「……ったく、あんた、部下の前でよくこんなこと堂々とやってられるな。真っ昼間だってのに」
「君もだよ」
しれっとして言い返され、ますますふくれっ面になったが、しかし、不愉快ではないのだろう、組んでいた腕を解くと、エドワードは引き寄せられるようにロイの腕の中に収まった。
それを待っていたかのようにぎゅっと抱き締められ、エドワードは苦しげに吐息をついた。離れていたのは一ヶ月程度だったが、ずいぶんと久しぶりのような気がする。それだけに、布越しとはいえ、心地よい感触とロイの体温が、これまで忘れていたかのように大人しく体の奥に収まっていた熱を思い出させる。
「鋼の……」
ロイの声が打って変わって甘くなる。嫌味なくらい優しげで微かに掠れたその声は、不本意にもエドワードをぞくりとさせた。それだけでざわざわと肌が上気し始めるのが判る。先程の口論で差した朱がそのまま居座り、別の何かに取って変わられるようだった。
「エド?」
もう一度呼びかけられ、漸く顔を上げると、当然のように顎を取られ、口付けられた。咄嗟にロイの胸に手をついたものの、何の支障も躊躇いもなく濡れた舌がエドワードの唇を割り、するりと忍び入るや、戸惑っている舌先を捕らえてしまった。
触れ合ったとたん、びくりと肩が波打つ。が、容赦なくロイはエドワードの舌を引き出すように絡め取り、何度も吸い上げては軽く噛むような仕種をした。顎と顎が交差するような、余りにも大胆で躊躇いもないキスに噎せ返りそうになるが、満足するまでロイがその腕を緩めてくれることはなかった。
「なかなか会えないというのに、私の前を素通りして行くとは許せないな。どうしてなのか、理由を聞く権利はあると思うのだがね」
「そんなもん、あるか」
乱暴に口元を拭い、エドワードが幾分早くなってしまった息遣いを誤魔化そうとする。が、それを許さず、ロイは問い詰めるように言葉を続けた。
「昨日の午後、今頃の時間だったな、外で君らしい人影を見た覚えがあるのだが、私の見間違いかね。場所は大通りから一本入ったサンロードという通りだったと思うが。あそこにある花屋の側だったはずだ」
「……っ」
「どうやら見間違いではないようだ」
にこりとロイが微笑う。まずい、とエドワードは思ったが、後の祭りだった。士官は大抵記憶力がいい。否、記憶力がよくなければ、軍人にはなれない。士官学校では、一週間分の夕食のメニューを一品残さず暗唱させられるという訓練があると聞いている。ちらりと見ただけの光景を、翌日はっきりと思い出すことなど造作もないだろう。
「アルフォンス君も連れていたから、後で司令部に寄るのだと思っていた。楽しみにしていたのに、君は現われなかった。しかも、色気のない報告書のみ届けられていてがっかりしたよ」
「……知るかよ」
「構築式に悪戯したのは、ここへ呼んで欲しかったからじゃなかったのかい」
「ばっ……」
「少なくとも、私にはそう思えた」
言うなり、ロイはエドワードを抱き上げると、二歩と半歩でソファの前に連れて行き、そこに投げ落とすように放り出すや、その上に圧し掛かった。
「言い訳ならいくらでもすればいい。とにかく君はここへ来た、私に会いに」
だから、やることはやらせてもらう、という問答無用の強引さでロイは、慌てて起き上がろうとするエドワードを組み敷き、改めて口付けると、袖を通しただけのコートを肩から滑り落とさせた。反射的にロイを押しのけようとした機械鎧の右腕が邪魔をしたものの、宥めるように体重をかけて押さえ込むと、すぐに大人しくなった。
「だ、だからって、やるとは言ってない……っ」
好きに扱われることを嫌がってエドワードはロイを罵倒しながら、せめてもの抵抗で身を捩ったが、所詮は経験不足の少年のやることである。すぐに万策尽きてアンダーシャツの下から覗く腹や脇に吸い付かれてしまった。
ちくりと、針で刺すような心地よい刺激がダイレクトに背筋を這い昇る。それだけでくらりと頭の芯が痺れ、力が抜けた。体が一気にソファに沈むような錯覚に、しかし、エドワードは気丈にも浮上しようとした。
「このっ」
ロイを蹴り上げようと片足を上げる。が、それも余裕で横に薙ぎ払われ、不用意に下肢を開かれることとなってしまった。すかさず、その間にロイの体が入り込み、足を閉じられなくなる。腰のベルトに手をかけられ、エドワードは息を呑んだ。これでは、以前と同じパターンである。
あの時も、力の限り足掻いても、もがいても、ロイはそれを先読みするかの如くエドワードの四肢の動きを封じ込め、殆ど身じろぎすらできないように自由を奪って体を割った。
もっとも、拘束されたわけではない。体が勝手に言うことを聞かなくなったのである。エドワードがこれまで味わったこともない悦楽と疼痛に四肢が痺れ、己れでは指先一つ動かすこともできない忘我のただ中へと突き落とされてしまったのである。
気がつけば、必死になってロイにしがみついていた。しがみついて、自分でもわけの判らない懇願を繰り返していた。
「まだ慣れてくれないのかい」
不意に、ロイの窺うような声が聞こえ、エドワードははっとした。すでにアンダーシャツだけのあられもない姿にされており、眼前に軍服の前を肌蹴たロイの胸元があった。ごく間近で、微かな汗の臭いが鼻先を掠め、エドワードはどきりと心臓が高鳴るのを感じた。
「どうした」
反射的に顔を背けるエドワードの顎を掴み上げ、ロイが強引に視線を合わせる。恐らくは、判ってやっているのだろう。
与えられるものよりも、当惑や羞恥の方が強い。それでなくとも、人一倍我の強いエドワードのことである。口が裂けても自分から望んでの行為であるとは言ってくれない。
「いい加減諦めたまえ」
そう言い捨てると、ロイはすぐ眼下にある可愛らしいばかりのピンク色の乳首を指先で押し潰すように愛撫した。
びくり、とエドワードが喉を仰け反らしたが、何とか声は抑えた。一応、ここがどこであるかはちゃんと理解しているのだろう。何せ、すぐ隣の室にはホークアイ中尉達がいる。言うまでもなく、勤務中である。こんな不埒な行為に励む場所でも時間でもないし、バレたらただではすまない。始末書何枚で勘弁してくれるだろうか。否、訓戒や戒告、果ては懲戒処分になる可能性もある。
ちらり、とロイは先程まで己れが座っていた執務机を見遣った。
メモ用紙が数枚、無造作に置かれたままである。その、怒鳴り合うような文面は、とても人に見せられたものではない。
――もういいから、さっさとそいつを追ン出せ!
と、乱暴に鉛筆書きされたのが、エドワードの最後の筆跡だった。その直前には、ロイが揶揄するだけの台詞を書き付けている。
――ギャラリーがいては不満かね。そういうのもなかなか刺激的だとは思うが。
ほんの数ヶ月前であったなら、とっくにキレてしまったであろうこの一文を、しかし、エドワードは上手く切り抜け、それと判るような単語は一切口にしなかった。全て構築式に関する言葉で応じ、赤面しながらも結局はロイが意図した通りの行動へと導かれて行った。
口頭とは別に、筆談で全く別の会話をするのは、情報部員がよく使う手である。どこに盗聴器が仕掛けられているか判らない時、または、敢えてエスピオナージュ(対敵情報工作)を仕掛ける時、敵中の二重スパイや捕虜と連絡を取る時など、結構古典的な手法として用いられている。
もっとも、閨の相談に使われるとは、誰も考えなかっただろうが。しかし、得てしてオフィスラブの定番は終業後の夜ではない。昼休みなどの明るいうちにコトをすませてしまうことが多く、何食わぬ顔で職場に戻り、定時になれば自宅に帰る。特に不倫関係はこのパターンを辿る。下手に仕事帰りに一緒に歩いていたら、誰が見ているか判ったものではない。
――そんなことするために、俺を呼び出したのかよ。
と、書き付けられたエドワードの問いかけに、ロイは平然と応えた。
――その通り。
――俺にだって都合がある。
――それは私には関係ない。
ただ、エドワードの非礼の理由を聞きたいだけだった。意味もなくつれなくされれば気にかかる。一晩をともにした相手なら尚更だった。
「私を街中で見かけたんだろう? 何故、知らんふりしたんだ」
ぐいっとエドワードの体を己れに密着させ、囁くように問いかけた。が、エドワードは慌てたように首を振った。
「しつこいぞ。どうだっていいだろ、そんなことっ」
己れの、濡れて尖った乳首がロイの胸元に押し付けられ、言葉が途切れる。大した圧迫でも快感でもないのに、直接肌と肌が触れ合っているという感覚が酷く鋭敏に、肉感的に迫って来る。それだけで、じっとりと背中に汗が滲み出すのを感じた。
「どうでもいいことならば、言ってくれてもいいだろう? 違うか」
「……っ」
ぎゅっとエドワードが唇を噛み締めるのを見届け、ロイは片手で持ち上げた機械鎧の左足をぐいっと折り曲げてやった。自然と腰が浮き、下肢と下肢が交差する。ぎょっとしたように、エドワードがこちらを見上げた。
「そう言えば、あの時、私は女性と立ち話をしていたのだった。彼女はピンクのコサージュをつけてレースの日傘を持っていた。髪はストロベリーブロンドで、瞳は緑色。翡翠みたいで綺麗だったな。白いグラジオラスが欲しいのに、まだ入荷してなかったと花屋に文句を言っていた」
「だから、それがどうしたってんだ……」
「まさか、妬いていたのか」
「違うっ」
即座にエドワードは否定した。が、怒ったように睨み付けられても、ロイは苦笑するしかない。
「声をかけてくれればよかった」
「できるかよ」
「何故だね」
「馬に蹴られるのは、二度とご免だ」
「二度と?」
ということは、以前にも同じことがあったということである。いつそんなことがあっただろう。と、ロイは記憶を辿った。
が、思案する間もなく、すぐに思い当たることがあった。
あれは、鉄道の路線が次々と爆破され、仕方なく迂回した汽車に乗った時だった。偶然、エドワードとアルフォンスに車内で出会ったのであるが、ちょうど隣席の女性と談笑していたロイは指先のブロックサインだけで二人を追い散らそうとした。
むかっ腹を立てたエドワードがその仕返しにロイを「お父さん」呼ばわりして東方司令部の面々に隠し子疑惑を招いた事件は記憶に新しい。
「そんなことを根に持っていたのか」
呆れながら、ロイは離れようとしたエドワードの体を抱き寄せた。
「ああいうのは、時と場合による」
「そんなこと、俺に判るかよ」
「だが、惜しかったな。昨日は大々的に邪魔して欲しかったよ」
「え……?」
怪訝な顔をすると、ロイがにこりと微笑った。
「何せ、彼女とはできるだけ距離を取りたかったからね。いや、極力私には話しかけて欲しくない相手なんだ」
「な、何で?」
好みではなかったのだろうか。遠目からではあったが、ロイと歓談していた女性は不細工でも性悪そうでもなく、多少派手目ではあったが、清楚な印象があった。それでなくとも、ロイが理由もなく、近寄る女性を袖にしたという話はついぞ耳にしたことがない。
「聞きたいかい」
ロイは笑顔のままエドワードのスラックスのファスナーを下げると、片手を滑り込ませた。下着の上から中心部を握り込まれ、エドワードは息を詰まらせた。すでに変化を見せていたそこは他者の愛撫と刺激を受けて、他愛もなく硬直した。
「いい反応だな」
きゅっと何度か握力を込められ、そのたびにエドワードは身を竦ませたが、まだ本格的な愛撫はしてくれない。焦らすように根元から徐々に扱き上げ、敏感な裏筋と先端に触れる。早くも、じわりと滲んだ液体が指先に感じられるのだろう、ロイが親指で撫で広げるような仕種をした。
「彼女は、軽々しく夫以外の男に話しかけるべきじゃない。そういうことだ」
吹き込むように耳元で囁かれ、エドワードはびくりと肌を波打たせた。
「お、夫……?」
「今は仕事で東部を離れているそうだが」
ということは、とエドワードは霞がかかり始めた頭で考える。
「け…っこん、してるのか」
「まだ半年だそうだ」
その言葉にエドワードは仰天した。立派な新婚さんではないか。いや、それよりも何よりも、覚えている限り、その女性は二〇歳前の小娘だった。
「まぁ、君が驚くのも無理はないな。彼女は君と同じくらいの年齢だ。年が明けたら一七になると言っていたから、今は一六か」
一六で既婚。
衝撃的だったかもしれない。が、しかし、不思議ではない。一六歳になれば、結婚は可能である。親の許可が必要ではあるが、法律上は問題ないはずだった。
「本当に、結婚してるのか」
まだ信じられない、という面持ちで、エドワードがロイを見上げる。自分より僅か一つ年上の女性がすでに新しい家庭を作るという未知の世界に住まわっている事実が容易には受け止められないのだろう。
が、これ以上、他人の話で盛り上がるのは無粋というものである。
「疑うのなら自分で確認してきたまえ。あの花屋には日参しているそうだから、そこで張っていれば、会えるだろう。それとも、役所に行って婚姻届のコピーでも取ってみるか」
「そ――」
そこまでする気はない、と言いかけた言葉を、ロイは強引にキスで遮ると、中断していたに等しい愛撫を再開し、エドワードを煽りながら、余計なことを考えるな、と囁いた。
まだ成熟しきっていない果実は、呆気ないほど簡単に昇り詰め、ロイの手の中で揺れるように勃起した。
「ん……っ」
と、くぐもった声を漏らし、エドワードの肢体が小刻みに震える。こめかみに浮かんだ汗を舐め取ってやり、ロイは下着の中で愛撫を待つそれに指を絡ませた。
「可愛いものだな」
何が? とは聞けなかった。いきなり体の奥から湧き上がって来た熱い波に、エドワードはただ喘いだ。
そして、それを促す動きをロイは止めなかった。
時を置かず、エドワードの下肢に疼痛のようなもどかしい兆しが訪れ、やがてそれは急激に腰の奥から躯幹を突き抜け、後戻りのできない快感を呼び覚ました。
「うっ」
エドワードが苦しげな表情を浮かべ、いきなりロイの腕を掴んだ。爪を立てた、そのとたんだった。先端を押さえていた掌に熱い飛沫が散った。
「あ……」
詰めていた息を吐きながら、がくりとエドワードの体が揺れる。それを抱き止めてやりながら、ロイは全力疾走した後のように肩を上下させるエドワードの口元や項に何度も口付けた。
耳朶を噛んでやると、くぐもった声と同時に汗ばみ始めた肌がびくびくと震えた。
「くたばるのはまだ早いぞ。私を置いてけぼりにするつもりか」
「や、やればいいだろ、さっさと……」
どうでもいいような物言いには苦笑せざるを得ないが、それを承諾ととってロイはエドワードの四肢を抱き締めると、本格的に組み敷いた。
2004,2,15 To be continued
オレ様エドを書きたかったんですが、ただの態度の悪いガキになってしまいました。上手く書けないってのは辛い〜〜〜。努力します。