Black Card 2
翌日は、雨だった。それだけでも鬱陶しい気分になるのに、運の悪いことに、エドワードとアルフォンスが乗る予定だった列車は車両故障で到着が一両日遅れると連絡があり、しばらく暇を持て余すことになってしまった。
「ついてねーな……」
駅の掲示板を見たエドワードはがっくりと肩を落としたが、弟のアルフォンスは前向きだった。
「そう? 僕は嬉しいよ。昨日、貸し出されていた資料が今日戻って来るって聞いてたから」
「昨日残念がってたあれか。確か、閉架の書庫にあった……」
「もう一度行って来てもいいでしょう?」
「そうだな」
反対する理由もない。スーツケースを持ち直すと、エドワードは駅を出てチェックアウトしたばかりの宿屋へと出戻った。
「それじゃ、俺は車両事故ってヤツの情報を集めて来るか」
駅には一両日の遅滞としか書かれていなかったが、一度列車が止まってしまったら、再び動くのはいつになるのか見当もつかない。どういうトラブルなのか知っておけば、代わりの列車を出すなり、迂回路線を使うなり、タイムスケジュールの変更予測が立つ。
「後で会おうぜ」
そう言い交わし、二人は別行動を取ることにした。
鉄道は、実質上、軍司令部が管理している。軍需のロジスティクスに直接関係する部分であるため、兵站部の管理部署が駅亭ごとに設けられていた。
エドワードはその一つに向かったのだが、しかし、停車場の近くにある駅舎の一角に陣取る兵站部の分室は、いつになく灰神楽が立っていた。窓越しにも職員がばたばたと駆け回ったり、電話口に怒鳴るようにあちこちと連絡を取っていたりするのが見えた。
何やら尋常でない雰囲気を感じ取りながら、それでもエドワードは顔見知りの軍曹を捕まえ、事情を聞いた。
「リアナ鉄橋に爆弾が仕掛けられたって密告があったんだ。今、現地に一個小隊が向かってる。調査が済むまで、上下線とも列車は動かせない」
「マジかよ……」
またテロか、とエドワードは脱力した。よくも飽きもせずにやってくれるものだと感心する。車両事故の方が何倍もマシだ、とぐずると、軍曹が気の毒がって飴玉を一個くれた。
「俺はガキじゃねー」
憤然と包み紙ごとポケットに突っ込み、エドワードはそれでも詳細を教えてもらった。
イーストシティの中心部から数qと離れていないリアナ鉄橋は、三車線が乗り入れるややこしい路線の途中にあった。ここが崩落でもすれば、イーストシティへ向かうルートが悉く遮断され、大袈裟ではなく物資の輸送が途絶してしまう。
何十年か前にもちょっとした騒乱で橋脚が爆破され、約二週間の不通となった事件があり、ここ最近も何度か狙われた交通のウィークポイントとも言うべき重要地点だった。さすがに、岐路を設けて流通経路を分散させようという案が上がったが、道路などと違って橋梁の建設は面倒で難しく、ついつい後回しにされてしまっていた。チャンパー(撓り)の計算から出される費用も馬鹿にならないし、メンテナンスも大変だった。何せ、橋は加重を散らすためにわざと揺れるように、しかし、その揺れが橋全体の疲労や破壊に繋がらないように設計しなくてはならない。その微妙なさじ加減を安全率と言うが、これは大きく取り過ぎると建設費が嵩み、ケチれば、ちょっとした地震や嵐で崩壊する危険性が増大するという厄介なシロモノで、プロの設計士でも頭を悩ませる分野だった。
「それに、最近の爆弾ってのは厄介でね、爆弾らしい形をしてなかったりするんだ。プラスチック爆弾なんか可塑性だから、どういう形にも加工できる。花瓶や筆箱みたいにそこらに転がされてることもある。破壊力も凄くて、マッチ箱くらいの大きさでレストランが一軒吹っ飛ぶ。金属探知機に引っ掛からないし、安価だ。紐状になった爆薬もあるし、粘土やあんこみたいな見てくれのものもある。舐めたら甘いから、お菓子と間違えられたなんて笑えない話もあるんだよ」
そう滔々と説明してくれる軍曹に、エドワードはため息をついた。
「要するに、下手したら二週間もここに足止め喰らうってことかよ」
が、軍曹は楽天的だった。
「それは最悪の場合。今のところ、単なる悪戯の可能性が高いから、二、三日も列車を止めるのは念のためだ」
大丈夫大丈夫、と太鼓判を押され、エドワードは引き下がらざるを得なかった。実際、悪戯なのだろう。だからこそ、「事故」と偽って事態の収拾を図っている。
「仕方ないか」
今すぐはどうにもならないと判断を下し、エドワードは駅舎を離れると、大通りを通ってアルフォンスのいる図書館へ向かうことにした。
雨は小降りになっており、空が明るくなっていた。あと一時間もしないうちに完全に止むだろう。小走りに石畳の通りを駆け抜けていると、不意にオープンカフェのテーブルや椅子が目に入った。雨上がりを期待して、ウェイター達が濡れた備品を布巾やタオルで拭っており、客らしい男女が徐々に集まり始めていた。
その中に、見覚えのある少女を見かけたような気がして、エドワードは足を止めた。
昨日の今日である。そんなタイミングのいい偶然があるものか、と思ったが、つい好奇心にかられてそちらへと目を移した。
オフホワイトを基調としたテーブルと椅子の間にぶらぶらと何人かが歩いており、座ろうかどうか迷っている中に、その少女はいた。さすがに日傘は持っていなかったが、艶のある見事なストロベリーブロンドと、ロイが綺麗だと賞賛していた翡翠のような瞳は見間違えようがなかった。
そう言えば、この近くにはいつも来ているのだと言っていた。昨日はなかったと言っていたグラジオラスはまだ手に入れていないらしく手ぶらだった。そんなに毎日花屋に通って何が楽しいのか、と思うが、それは個人の趣味の問題だろう。
知らないふりをして立ち去ろうとしたエドワードは、しかし、不意に何か引っ掛かるものを感じて足を止めようとした。
――グラジオラス?
が、余所見をしていたせいで、目の前に屈んで靴紐を結んでいる人物に気がつかなかった。当然のことながら勢いよくぶつかってしまい、水溜りのできた石畳に投げ出されることとなった。
「いてぇっ」
「ご、ご免……っ」
慌てて立ち上がると、かっとなった男は一言、気をつけろ、と乱暴に言い捨て、エドワードが差し出した手も無視して、さっさと行ってしまった。
ちぇっ、と己れの不注意を罵倒し、エドワードは濡れてしまったコートから水滴を払い落とすと、憤然としたため息をついた。
「災難ね」
いきなりハンカチを目の前に突き出され、エドワードは反射的に振り返った。が、そこに例の少女の姿を認めて、酷く戸惑った。用意していた言葉もなく、ついつい呆然とそのあどけない顔を見上げてしまう。
「あら、私の顔に何かついてるかしら」
「い、いや、別に、そういうんじゃない」
青いワンピースの上に薄いカーディガンを羽織った姿は、どこにでもいるような普通の少女と変わりがない。すでに人妻という点を除けば、何の変哲もない。
「ほっぺた、泥がついているわよ。拭いたら?」
そう言われ、エドワードはハンカチを受け取った。
「どうも」
ごしごしと、タオルで拭うように頬と顎の辺りを拭く。が、じっと見つめられていることに気付き、どうにも居心地が悪くなった。
「何だよ」
「エドワード・エルリックでしょ?」
「俺を知ってるのか」
「有名よ、あなた」
「ふーん」
興味なさそうに応じると、エドワードは泥で点々と汚れてしまったハンカチを少女の手に戻した。
「ありがと。じゃあな」
「ちょっと待って」
背を向けたエドワードを、少女が引き止める。つい足を止めたエドワードに、少女は無邪気なまでに言った。
「これから東方司令部に行くの? だったら、マスタング大佐に言伝てをお願いしてもいいかしら」
俺は伝言板じゃねーよ、と言い返そうとしたエドワードは、しかし、好奇心をくすぐられた。ロイは単なる立ち話をしていただけだと弁明していたが、本当にそうなのだろうか。浮気の誘惑だったりしたら、面白い尻尾を掴んでやれる。
「何を言っておけばいいんだ」
それへ、少女はやはりごく普通に応えた。いっそ無邪気に。
「リアナ鉄橋の件はデマだ、って言っておいて」
「……っ」
エドワードは息を呑んだ。鉄橋での爆弾騒ぎはまだ一般には公表されていないはずである。どうしてそれを知っているのか。
が、しかし、それを問い返す前に、少女はくるりと踵を返した。
「セシリアからって言えば、それで判るから」
「なに……」
追いかけようとしたエドワードは、しかし、いきなり誰かに目の前で椅子を引かれ、行く手を阻まれてしまった。客らしい中年の女がテーブルにつくためだったのであるが、それが障害となってそれ以上進めなくなってしまった。
「何だってんだ……」
狐につままれたような、とはこういう状態を指すのだろうか。さっさと少女は通りから路地へと入って行ってしまい、エドワードの視界から消えてしまった。
このまま引き下がるのは癪だったが、人通りの増え始めた大通りで追いかけっこは無謀に近い。それでなくとも、濡れた石畳は滑りやすく、怪我をするのがオチだった。
「仕方ない。大佐のところへ行ってやるか」
そう思い直し、エドワードは方向転換をした。アルフォンスならば、自分と同じで多少合流するのが遅れても資料に没頭して時間の経過など気にしないだろう。文句は言われるだろうが、ぐずられることはない。
東方司令部は、そこから歩いて一五分ほどだった。約一qの距離は長くもなく、短くもない。気さくに歩哨兵に声をかけ、門を潜ったエドワードは、運良くそこでロイと会うことができた。ちょうど出先から戻って来たところだったらしい。
「どうした、そんなに息せき切って」
と、薄く微笑うロイに、エドワードは挑むように言った。
「セシリアって女、あんたとどういう関係なんだよ」
「唐突だな」
困ったように、それでいてどこかしてやったりというような顔で、ロイはエドワードの視線の位置まで身を屈めてやると、からかうように応えた。
「君が見た通りの関係だ」
「なっ」
何か言いかけたエドワードの唇を指一本で制すると、ロイはここでするような話ではないと囁き、舎屋の中に入るよう促した。
「どういう意味だよ、さっきのは」
憤然とロイの執務室でどっかりと来客用のソファに腰を降ろしたエドワードは、やはりコートを着たまま足を組んだ。応えようによってはただではおかない、と言わんばかりの剣幕に、ロイはくすりと笑った。
「焼きもちかね」
「まさか」
すかさず返され、ロイは肩を竦めた。
「なかなかいいと思うよ。一六歳の新妻なんて羨ましい限りだ。本当の意味で幼妻だからね。類い稀な幸運に恵まれた夫君を賞賛するよ。いや、嫉妬するね。もっとも、旦那の方はとっくに三〇歳を越えていると聞いている。嫉妬するのは私だけではないようだ。あいつだけがどうして、とか、俺だって満更でも、とか誰もが思う。いじましいと言えばいじましいが……」
「あ、あのよ……」
ロイの下らない戯言を遮るように、エドワードがうんざりした顔をする。
「俺だって、貞操観念って言葉くらい知ってるぜ。そういうのはよくないと思う。その旦那って奴に貞操権の侵害で訴えられても知らねーぞ」
「ほう?」
驚いたように、ロイがエドワードに近付く。
「よくそんな言葉を知っているな。学校で習ったのか」
「茶化すなよ。一般常識だ」
「まぁ、そうだな。しかし、大丈夫だ。彼女の夫から訴えられる心配はまずないだろう。先方は仕事が忙しくてしばらくイーストシティには戻って来ないから妻の行状まで監督できないし、できたところで、何も対策を講じることはできないだろう。貞操権の侵害で間男を、もしくは妻を姦通罪で訴える男は稀だからな」
何せ、訴えればその時点で、自分はコキュ(cocu 妻を寝取られた男のこと)です、と認めるようなものである。恥ずかしい、世間体が悪い、できれば秘密裏に済ませたいという理由で、進んで告発する者はごく僅かだった。告発された相手は社会的地位を失うほどの深刻なダメージを受けるが、それと同じくらいの泥を自分も被るのである。どれほどの男が、間男との相討ちを望むだろうか。世に言うところのプレイボーイは、その辺りの計算を頭に入れて、納得づくで火遊びを楽しむ。
「あの女と、寝たいのか」
「否定はしない」
しれっとして応えるロイに、エドワードはかっとなった。言葉が出てこず、無言でソファから立ち上がると、そのまま執務室を出て行こうとした。
が、しかし、いきなり両肩を押さえつけられ、すとんとソファに座らされてしまう。背凭れの後ろから、ロイが囁くように問いかける。
「怒ったかい」
「うるせぇよ」
吐き捨てるように言ってやると、ロイが忍び笑うのが判った。さっきからロイは面白がってばかりだ、とエドワードは悔しく思った。恐らくは、からかって遊んでいるのだろう。どこまでが本心なのかエドワードには見分けがつかない。それだけに歯痒く、憎らしい男だった。
一応、ロイとは人目を忍ぶ関係である。ぬけぬけと女性遍歴のコツを披露されては、戸惑うばかりで、どう対処すべきか判らなくなってしまう。
「ところで、私に聞きたいことがあったのではないのかね」
「……」
打って変わって仕事中の冷静な声に戻ったロイに、しばらく不貞腐れたようにエドワードは口を噤んでいたが、やがて諦めたように言った。
「リアナ鉄橋なんだけどよ、爆破予告した連中が声明文を出してるのなら、見せて欲しかったんだ。治安関係のデータはこっちに保管されてんだろ」
「何に使うのかね」
「一昨日、例の彼女――セシリアはグラジオラスを買うつもりだって言ってたよな。グラジオラスの語源は『剣』とか『小刀』だよな。葉っぱが尖った剣形をしてるところからそう名付けられたって聞いたことがある。それで思い出したんだけど、確か、『ソード』って名前のテログループがいたんじゃなかったか。もしかしたら、と思ったんだ」
「成る程。だが、生憎声明文はまだ出ていない。ソードというテログループの名前は、私も聞いたことがあるが、大した勢力ではないと記憶している」
「セシリアがその関係者だってことは?」
「未確認だな。ただ、ちょっと思い当たる節はある」
エドワードの肩に手を置いたまま、ロイは話し始めた。
「セシリアが何故、一六で早々と結婚することになったのか。父親が強引に話を進めたからなんだが、その理由は結構深刻だ。元々彼女には付き合っている男がいて、その男と駆け落ちしかねない仲だったそうだ。それで、その男と縁を切らせるためにさっさと嫁にやったというわけだ。夫となった男は、さっきも言ったように三〇を過ぎているが、それなりの資産家だ。性格も穏やかで生真面目だそうだ。裕福で安逸な生活を与えておけば、前の男のことなどすぐに忘れるだろう、というのが父親の読みだったわけだ」
「前の男ってのはそんなに父親の気に入らない奴だったのか」
「よからぬ活動に手を染めていたそうだ」
はっとしたように、エドワードがロイを見上げる。
「テロリストだったのか。そのグループがソードか」
「いや、そこまで詳しいことは判らない。テログループの名前も何も調査もしていないし、確認もしていない。ただ、そういう事情があったというだけだ」
「それじゃ、セシリアを張っていれば、いずれは何らかの動きがあるってことだな。どうせ、旦那の留守をいいことに前の男とよりを戻したんだろ」
「それはどうかな。彼女はただの一般市民にすぎない。ソードも今のところノーマークだ。だが、調べるとしたら、それはこちらの仕事だ。君が首を突っ込むことじゃない」
「セシリアは俺の顔を知ってたぞ」
「君を知っているのは、彼女だけじゃない。イーストシティ中の人間が知っている。あちこちでだいぶ派手に暴れてくれたからね。いい噂も悪い噂も私の耳には入って来ているよ」
「それは……」
さすがに気まずい。尻拭いが東方司令部へ捻じ込まれたことはすでに一度や二度ではない。そのたびに命令授与者のロイがお得意のポーカーフェイスと咄嗟の機転で切り抜けていた。
「まぁいい」
言葉に詰まったエドワードの肩から手を離すと、ロイはこつこつと音を立てて執務机へと向かった。
「治安維持関係の資料が見たければ、許可する。中尉に言って閲覧させてもらいたまえ。BOX番号はVBから後ろで、年代順にファイルが並んでいるはずだ」
言いながら、ロイは白紙の書類を入れたトレイから一枚の申請用紙を引き抜くように取り出すと、自分の署名をさらさらと書き込み、ぴりっと下半分を破り取るや、人差し指と中指の間に挟んでエドワードへ差し出した。
「持って行きたまえ」
「……」
軽く睨むようにしてから、エドワードはそれを引ったくるように受け取ると、踵を返して執務室を出て行った。
「あーもー! 食えねーヤツっ」
廊下に出るなりエドワードは不機嫌に唸った。体よく追い払われたような気がするのは気のせいだろうか。それでなくとも、ロイの仕種の一つ一つが気に障る。気に障るから、「気障」と言うが、その単語にすら腹が立った。
が、しかし、どかどかと足音も勇ましく去って行くエドワードとは対照的に、執務室で一人になったロイは片手で額を押さえてがっくりと項垂れていた。見る者が見れば、かなり落ち込んでいるのが判っただろう。
「まいった……」
そう呟いたっきり、二の句が継げない。
「何がですか」
と、無神経とも言える飄然とした口調で問いかけて来たのは、入れ替わりに入って来たハボックだった。
「鋼のの口から『貞操権の侵害』なんて台詞が出てくるとは思いもしなかった……」
これは効いた。何が情けないかと言って、年下の男から、しかも、一四も歳の離れた少年に下半身事情を窘められることくらい決まりの悪いものはない。誓って、ロイはその動揺を表には出さなかったものの、内心はホークアイに無能呼ばわりされた時以来の衝撃を受けていた。
「エドを子供扱いしないって言ったのは大佐でしょうが。奴は感情面こそ未熟な部分がありますが、思考回路は我々と殆ど変わらない。知識や技術だけなら、そこらの大人よりも豊富だし、あちこち放浪して揉まれたお陰で世間慣れしてる」
そうでしょう? と、ハボックが今日の分の稟議書の束を渡しながら窺う。かつて己れが口にした台詞を言い返され、ロイは仏頂面を下げた。
「セシリアが鋼のにちょっかいを出したようだぞ」
「適当にエサをくれてやってお帰り願いますか」
「いや」
と、ロイは気を取り直したように言った。少しばかりの情報をちらちらと与えてやれば、エドワードはそれに食いつくだろう。それなりの解決が自分の頭の中でできてしまえば、それ以上の追及には興味を失うはずである。が、それでは芸がない、とロイは思う。
「いい機会だ。鋼のに巻き込まれてもらおう。私がそれとなく動くよりいいかもしれん。一五歳の少年相手なら連中も警戒心を解くかもな」
「え……」
「さっき、治安関係の資料を漁りに行った。『ソード』に関してのページは先日抜き取っておいたから心配はない。行き詰まった頃合を見計らって、君が意味ありげに示唆してやりたまえ。もっと大変な事件が起ころうとしているのだ、と。鋼のは喜んで飛びつくだろう」
「ということは、ブラックカードですか」
「そうだ」
躊躇いもなくロイは頷き、ハボックに目配せで指示を与えた。
「いいんですか」
「構わん。資料を見たいと言って来たのは鋼のの方なんだからな。どういう次第になろうが、それは天の采配だ」
悪党、とまでは言わなかったが、ハボックはそれに近い台詞を頭の中で反芻し、己れの上司の腹黒さに呆れた。しかし、言われた通り三時間後、エドワードが骨折り損のファイルの山に埋もれている頃を見計らい、資料室へと足を向けた。
「よう、大将」
と、ハボックはからかい半分でいつも通りに声をかけ、むくれて床に座り込んでいるエドワードに近付いた。足元には開いたファイルがいくつも無造作に置いてあったが、どれもまともに目を通した形跡はなく、斜め読みをしていたようだった。
「いい資料は見つかったか」
「それ以前の問題だ」
ぶすくれた表情で、エドワードは手にしていた分厚いキングファイルをわざと音を立てて閉じると、頬杖をついた。
「どういうことだよ、これ。いくつも通しナンバーが抜けてる。VBの二九〜三四項は削除、五六項の一と二は削除、八八〜八九項、九一項、九五項は削除、削除、削除、削除……。ここは白紙のファイル倉庫かよ」
それへ、ハボックは当然とばかりの口調で応えた。
「ここにあるのは、レベル三の資料だからな」
「何だ、それ」
「所謂、機密資料と言ってもな、それなりにレベルがあって細かく分類されてるんだ。一般人の閲覧可能なもの、そうでないもの、そうでないならどれくらいの権限を持つ者が閲覧許可されるのか。まぁ、データには色々面倒なカテゴリーが設定されてるってわけだ」
「じゃ、抜き取られてるのは、俺には見せられねー資料ってことか」
睨むように問うエドワードに、ハボックは肩を竦めた。
「レベル三って言っただろ。ここにあるのは士官なら誰でも閲覧できる資料だが、一般人は見ることができないんだぜ」
ちなみに、一般人が閲覧できるのはレベル四だ、とハボックは付け足してくれた。もっとも、そういう資料は司令部の中ではなく、公営の図書館の閉架書庫に保管されている。市民のIDナンバーさえ持っていれば、誰でも閲覧は可能だった。
「じゃ、レベル二は?」
「将官か、それに準じる者しか見れない」
「ということは、大佐も見れない資料があるってことか」
どこか楽しそうにエドワードがハボックににじり寄る。将官というのは、少将以上の高級軍人を指すが、ロイはまだその階級には至っていなかった。
が、ハボックは首を振った。
「残念だったな。それに準じるって言っただろ。大佐はその範疇に入ってる。何せ、『大佐』といや、連隊長クラスだ。戦術レベルの作戦を行使できるだけの権限を持ってる。しかも、国家錬金術師で軍司令官のお気に入りだ。機密関係に携われなくてどうする」
「つまんねー……」
エドは面白くもなさそうに唸ったが、こういう時は己れと大佐の立場の差を見せ付けられたような気分になる。連隊と言えば、三〇〇〇〜四〇〇〇人規模の将兵で構成され、平時においては師団と同じく常設の司令本部を持つ機動部隊である。士官学校を出て新たに任官する将校が最初に配属され、軍の何たるかを骨の髄まで叩き込まれる原隊ともなるべき存在で、連隊長ともなれば、それなりの独断専行の権利も付与されていた。
独断専行の権利とは、前線で予想外の出来事に遭遇した時、現場の指揮官の判断で上級司令部の命令を無視して独自に隷下の隊を行使してもいいという権限である。もっとも、戦略の意向に反しない範囲内で、という制限付きではあるが。
早い話、上級司令部である師団司令部や軍司令部に報告を上げずに、連隊の管轄内で起こった事件や不祥事を勝手に処理できるということで、「大佐」の権限で都合の悪い情報や報告を握り潰すこともできるのである。
これまでエドワードが上げた報告書の中にも、ロイの手によって闇に葬られたものがいくつかある。それが削除されたファイルナンバーのどれかなのだ、とはハボックはわざわざ教えてやらなかった。
「ところで、ソードの資料を探してるんだって? いいものは見つかったか」
話を転換させようと、ハボックが別のネタを振る。それへ、エドワードは疲れ切ったため息で返答した。
「まぁ、そうだろうな」
「どうして」
「ここにあるのは、東方司令部が把握しているテロリストグループの資料だ。その存在が確認されていないものはファイルされてないんだ」
「って、ことは、ソードはいるかいないかも判ってないのか」
「噂は聞いたことがあるぞ、俺も。しかし、どっちかというと、不良グループというか暴走族グループというか、それに毛が生えた程度のストリートギャングみたいな集団だと聞いてる。そういう連中のデータなら、ここじゃなくて警察の方にあるだろ。だいたい、『ソード』なんて、意気がった名前付けてる辺りからして笑えるじゃないか。放っておいていいって、そんな連中」
大した存在ではない、とハボックは強調するように言い切った。それへ頷きかけたエドワードは、しかし、ふと思った。
「意気がってる奴らほど危ないんじゃねーのか」
何だ、よく知っているな、とばかりハボックがにやりとする。
テロリストなど目立ちたがり屋の最たるものである。破壊や殺戮という手段を通じて己れの存在意義を誇示する連中と言ってもいい。社会が抱えている矛盾や問題を提起し、人々の関心を引くという面はあるものの、それによって無関係の人間を犠牲にすることを厭わないという禁忌を犯す。要するに、アピールの方法を己れの欲望と摩り替えているのである。
例えば、スカーなどは国家錬金術師を片っ端から殺害することによって、内乱が終結した後もイシュヴァールには拭い難い憎悪や対立が厳然として横たわっているという現状を世に投げかけ、市民はそれを自覚するのに吝かでなくなった。が、その行為は、エドワードが喝破したように、ただの殺人である。
目立たず無視された者ほど積極的に己れを売り出そうと、何か派手なことを企む可能性は充分あった。
「考えすぎだって」
ハボックは陽気に笑い飛ばした。
「ろくな資金も武器も持ってないチンピラ風情に何ができるってんだ。せいぜい駅のゴミ箱にでも放火してキャンプファイヤーよろしく、わーわー騒ぐのが関の山だろ」
「セシリアがいる」
「ん?」
「彼女の嫁ぎ先は金持ちだって聞いた。セシリアがソードに協力しているとしたら、有力な資金源になるんじゃないのか」
「まーたまた」
おどけたように、ハボックが両手を上げる。
「考えすぎだってば。悪い方へ悪い方へと考えるんじゃない。大将の悪い癖だぜ。ソードは何も悪さはしてない。それとも、何かコトを起こす情報でも仕入れたのか」
「そんなんじゃない。ただ……」
「ただ?」
「何か引っ掛かるんだ。思い出せそうで思い出せないような、何か」
「それが明らかになったら、ソードもめでたくテロリストの筆頭に加えられる、ってか。で、そうなるのを事前で阻止した大将はまた名声を上げる、と」
「そんなんじゃねーって言ってんだろっ」
かっとなって殴りかかってくるエドワードを笑いながら躱し、ハボックはそろそろ資料室を明け渡す時間だと告げた。
「まだ昼じゃないか」
「文書管理課の連中が行方不明になった資料を探すんだってよ。午後イチで取り掛かるから、今日の閲覧はおしまいだ。また今度な」
「な――」
「アルフォンスを放りっぱなしにしてあるんじゃないのか」
「あ……」
それを言われると、司令部を後にせざるを得ない。迎えに行かなくていいのか、と意地悪く問いかけられ、渋々ながらもエドワードは立ち上がり、服についた埃をぱんぱんと払った。
「ま、ゆっくりメシでも食って来い。夕方にはまた無人になるから、それを狙って来るといい」
そうだな、と言いかけたエドワードに、不意にハボックは声を潜めるように付け足した。
「その時、大佐にレベル二の資料を見せてもらうよう頼むといい」
2004,2,28 To be continued
ああ〜〜〜、やおいが入らなかった!!残念。こっちの駆け引きも書きたかったのに……。