積極的方策 2




 当然のことながら、翌日になって報告を聞いたロイは苦虫を噛み潰した。
 「いったい、貴様らはあんなところで何をしていた」
 「何って、捜索だよな」
 「ああ、手掛かりを探しに、ですよ」
 それ以上の理由はない、とエドワードとハボックは示し合わせたように頷いた。悪気はないのだ、ちょっとした事故だったのだ、という態度に、ロイはますます眉根を寄せた。が、その勘気も長くは続かなかった。
 「まぁいい。どうせ、あそこは来月には更地になる予定だった。その手伝いをしたのだと思っておこう」
 「憲兵に黙っててくれるのか」
 「敢えてことを荒立てる気はない。それに、かなり危険な状態で放置されていたそうじゃないか。どこかの不良少年の溜まり場が圧死の現場になる前に崩壊してしまったということでいいだろう」
 「ついに解体か。由緒正しい教会だったのにな」
 「古びてしまえば、ただの廃屋だ」
 味気なく言い抜けるとロイは椅子から立ち上がり、これでこの話は終わりだとばかり、エドワードとハボックに下がっていいと手を振った。
 「ちょっと待てよ、俺の用件は終わってないぞ」
 「そういえば、昨日来たのだそうだな。資料室への入出許可なら前回のものがまだ有効だろう?」
 「それなんだけど、予想外のことが起こっちまったんだ。俺が見たい実験資料、二回目以降のしかなくて、初回のファイルがなかったんだ。どこにあるのか総務の管理に聞いたら、別の場所に保管してあるって言うじゃんか。何でも、初回の実験が行われたのが八年前だから、ここにはないって」
 「ああ、そうだったな」
 今思い出したように、ロイは額に手をやった。東方司令部にある資料室の書類保管期限は五年。それ以降は、外の倉庫に保管する規定になっており、ロイがエドワードに許可した申請書では閲覧することができない。
 「悪いけど、第一九区画にある書庫へ立入りできる許可証の申請書をくれよ」
 「判った」
 ロイは執務机の上に置かれたトレイの中から用紙を一枚抜き取ると、己れのサインを書き入れた。
 「持って行きたまえ。午前中に総務部へ提出すれば、夕方には許可が下りるはずだ」
 「すぐその場で許可してくんねーのか」
 「手順というものがあるのだよ」
 その辺は諦めろ、と言い含められ、エドワードは複写部分を切り取った申請書を受け取った。
 「ところで、今回はどれくらいの滞在なんだね」
 「一週間くらいかな。資料を集めて、分析して、有用かどうか判断して……。だいたいそれくらいかかるだろ」
 「今回は、ケリー大学で行われた光子の通過実験を検証するのだったな。私もあれには注目している。面白い分析ができたら、こちらにも報告してくれ」
 「また報告書を出せってのか」
 面倒くせーな、とぼやきながらエドワードは申請書をポケットに捻じ込んだ。軍人ではないエドワードに、ロイの命令を聞く義務はなかったが、所属する軍管区の上官である。要請されれば、無視するわけにもいかなかった。
 「ところで、昨日、資料室に何人も軍人が出入りしてたけど、何かあったのか」
 踵を返したエドワードがふと思い出したように問いかける。それへ、ロイとハボックは素早く目配せした。
 「さぁな、聞いていない。そろそろファイルの整理をしなくてはならない時期だ。その段取りでも相談でもしていたのだろう」
 「でも、出入りしてたの、主計課の人だったと思うんだけどな……」
 と、エドワードが記憶を辿るように顎に手をやる。基本的に、各軍管区の司令部へ送付する通達事項などの書類を管理しているのは、総務部の文書管理課である。財務を預かっている主計、つまり別のセクトの者が出入りしているのは妙だった。何らかの事情があってのことだろう、とエドワードでなくとも邪推して当然だった。
 「どうして主計課の者だと判る」
 「襟につけてる兵科章の色が茶色だった。あれは経理関係の者だってことだろ」
 「よく見ているな」
 ロイは苦笑した。そこまで判っているのならば、下手に誤魔化すのはまずい。
 「実は、ちょっとした不祥事があってね。その証拠となる書類を収集する必要があるため、調査許可を出したのが、一昨日だ。しかし、経理上の数字の辻褄が合わないというようなことだからな、君の興味ある分野とは全く関係ない」
 だから、すぐに忘れたまえ、とロイはそれ以上の詮索を拒絶した。否、さっさと追い払いにかかった。
 いつものことだ、とエドワードは内心ため息をついた。軍は、内部の者以外には酷く閉鎖的で冷たく、特にロイは一分の隙も見せようとしない。エドワードが国家錬金術師になって三年経つが、その態度は全く変わらなかった。特に、完璧なまでに作り上げられたポーカーフェイスは憎らしい。たまに好意的な笑顔を見せることはあっても、すぐにその扉は閉じられてしまう。故に、きっかけがあれば、その狭い隙間に手を入れて、こじ開けてやりたかった。
 「誰かが横領でもしてたのが発覚したんじゃないのか」
 「推測でものを言うな」
 曖昧に応えると、ロイはハボックに顎をしゃくった。
 「ハボック少尉、エドを宿舎まで送ってやれ」
 「そんなん自分で行けるぜ」
 「ついでだから倉庫の場所も教えてもらえばいい。下見をしておけ」
 当日、勝手が判らず収納庫の間を彷徨することになってしまっては時間を無駄に費やしてしまうだろう。そう示唆し、ロイは二人を遠ざけた。どうやら、今回は一歩たりとも立ち入って欲しくないようだった。
 「何だよ、あの態度」
 執務室を出てから、エドワードは口を尖らせた。ロイの素っ気ない口吻はいつも通りだったが、今日は妙に積極的に邪魔者扱いしてくれる。
 廊下を歩きながらエドワードはぶつぶつ文句を言っていたが、ハボックは肩を竦めただけだった。
 「なぁ、経理の不祥事ってのは何なんだ。やっぱ、横領なのか」
 それへ、ハボックはロイ以上に素っ気なく応えた。
 「大将が知る必要はねぇよ。余計なことに首を突っ込むんじゃない」
 「何だよ、ケチ」
 エドワードは悪態を衝いたが、その実、大して興味があるわけではなかった。忘れろと言うのなら忘れてやる。しかし、仲間外れにされたようで気分が悪かった。もっとも、そのように聾桟敷に置かれても文句は言えない立場である。軍属は軍人ではない。司令部に出入りはできても、あくまでエドワードは外部の人間でしかなかった。
 「それより、一九区の書庫だが、どの倉庫かは判ってんのか。一区画に確か五つの倉庫があったはずだ。全部開けて見るってのはかなりの手間だぜ」
 「年代順に並んでるんだろ。八年前のヤツだから、だいたいの場所は教えてもらってる」
 と、エドワードが言いかけた時、ハボックは廊下を歩いてくるブレダに気付いて声をかけた。
 「よう、演習場の事故は片付いたのか」
 その呼びかけに、ブレダはむっとして近付いて来た。
 「お前、いつの話してんだ。とっくの昔に片付いて、調査も後始末も終わってるじゃないか」
 「え?」
 ハボックが一瞬、きょとんとした顔をする。が、すぐにそれを隠すように笑った。
 「そ、そうだったか。すまん。てっきりまだ手間取ってんだと思ってたぜ」
 「フェンスは壊れたままだがな」
 「業者に修理を頼んだんだろ。急がせろよ」
 「ハボック」
 話を合わそうとしたハボックの台詞を遮り、ブレダが袖を引く。
 「それも終わってる。無理をしなくてもいい」
 「……」
 気まずく黙ってしまったハボックと、やれやれと肩を竦めるブレダの間で、エドワードは戸惑った。
 「何なんだよ。話が見えねーぜ」
 「こいつ、交通事故で頭を打ちやがってな」
 と、ブレダがハボックを指差す。
 「その話なら聞いてる。クルマが一回転半したんだってな」
 「逆行性健忘症ってのを知ってるか。脳が強い衝撃を受けると、それ以前の記憶をなくしちまうってヤツだ。こいつ、その状態なんだよ」
 エドワードは仰天した。
 「記憶喪失か。でも、少尉、普通に喋ってるぜ。俺のことも覚えてるし……」
 「全部が全部吹っ飛んじまったわけじゃないからな。事故の起こる数週間前の記憶だけ壊れちまってる状態で、それ以前の記憶は完璧なんだ」
 「事故の前後一時間くらいじゃなかったのかよ」
 「その辺が一番きれいに消えちまってる。だから、消失部分はそこだけかと思ってたんだが、後になって他もぽちぽち抜け落ちてんのが判ったんだ」
 「つまり、海馬の方がダメージを受けて、大脳の方は無事だったってことか」
 「よく知ってんな」
 ブレダは肩を竦めた。
 人の記憶は大脳だけでなく、海馬という部分にも保管されているのであるが、その中身は異なる。それぞれ短期記憶と長期記憶に分類され、自動的に振り分けられているのである。海馬の保存期間は約一週間〜一ヶ月程度と言われており、昨日の晩に何を食べたかなどという些細なことまで保存されているが、期日を過ぎると、さして重要ではないものは廃棄され――つまり、忘却される――、重要なものだけ長期記憶として側頭葉に移動させられて保存されることになるのである。
 短期記憶が損傷を受けたということは、最長過去一ヶ月の記憶のあちこちが欠落しているに過ぎず、自分が何者であるかという認識や、喋っている言語、社会生活上必要な情報まで影響を受けているわけではない。故に、一見したところでは異常が感じられなかったりする。
 ちなみに、過去の記憶の一切合財も人格も何もかも全て失ってしまう、俗に言う記憶喪失は、頭部への衝撃や損傷よりも、心因性のものが多いという。
 「ちょっとした記憶違いってか、忘れちまってる部分があるのに気付いて突付けば、さっきみたいな食い違いがぽろっと出て来るってわけだ。しかも、それを指摘すると、故意に話を合わせようとする。詐話ってヤツだな」
 さっきお前も見ただろう? とブレダが言う。エドワードは頷くしかなかった。ハボックを見遣ると、ぶすっとして咥え煙草から煙を吐いていた。
 「結構大変みたいだな」
 「まぁ何とかやってる。それより、これから出かけるのか」
 その問いかけはハボックに対してだった。
 「ああ、ちょっと二七丁目の倉庫まで」
 「だったら、憲兵隊本部に寄って、三日前の事件の資料をもらって来てくれ」
 「もう資料ができたのか」
 「身辺調査の経過報告みたいなもんだな。まだ何も判ってない情況だ」
 「だろうな」
 ハボックがくすりと笑う。その笑みに、ブレダがむっとしたようだったが、それ以上は何も言わず、立ち去った。
 「行こうぜ、大将」
 「あ、ああ」
 何だろう、この違和感は。と思う。ハボックと連れ立って総務部に書類を提出すると、エドワードはクルマを回して来ると言うハボックと別れ、玄関に当たる門扉の前でしばらく佇むこととなったが、どういうわけか不穏なものを感じて首を捻った。
 何がというわけではない。何となく、ハボックから冷ややかな空気を感じるのである。恨まれるようなことをした覚えはないが、しかし、触らぬ神に祟りなしである。エドワードはふと感じ取ってしまった違和感の正体を見極めることなく、打ち消すことにした。
 「待たせたな」
 と、ハボックが門扉の外にクルマを寄せて来る。エドワードは弾かれたように後部ドアを開けて乗り込んだ。
 「事件が立て込んでるみたいだけど、いいのか、俺なんかに付き合って」
 クルマが走り出してから、エドワードは何気なく問いかけた。ばたばたしている気配はなかったが、ブレダの台詞の端々からここ数日の慌しさが察せられた。もっとも、ハボックはお決まりの台詞を返して来た。
 「大将が気にかけることじゃねぇよ」
 これは俺達の仕事だ、と言われ、エドワードは口を噤んだ。が、車内が静かになると、どうしても気まずい。
 「憲兵隊本部に行くってことは、また殺人事件でもあったってことか」
 「まぁな。それで中央の方から調査担当官(軍法会議の法務官の一つ。民間の検事に相当する)が直々にお目見えすることになってる」
 「そういうの、最近多いな」
 「失踪事件もな。傷害事件も多いし、局地的な災害も多い。世の中、いったいどうなっちまってんだか……」
 東部は比較的治安がいいと言われていたが、どうもこの最近はそうではないらしい。テロの頻発は元より、一般人による軍へのレジスタンスじみた暴行や憂さ晴らし的な凶行も増えている。まるで誰かが煽っているようにすら思え、内外の治安を預かる身としては苛立ちばかりが募っていた。
 そんな暗い話題になってしまった時だった。不意に、フロントパネルの無線がピーっと鳴った。応答を要求しての甲高い呼び出し音に、ハボックは反射的に無線を取った。
 「こちら、ハボック少尉」
 『今、どこを走ってる』
 ブレダの声だった。司令部から送信しているのだろう。
 「大通りを西へ突っ走ってるところだ。恐らく、二六丁目の北辺りだな」
 『だったら、ちょっとUターンして、駅の方へ行ってくれ。ヒューズ中佐が次の列車で到着するって連絡があった。面倒だが、中佐を拾ってから憲兵隊本部へ行ってくれないか』
 「了解」
 聞くだけ聞いて、ハボックは無線をフックに戻した。
 「悪いな、エド。仕事ができちまった。倉庫の方は明日連れてってやるから、ここで下りてくれ。この辺ならタクシーが拾えるだろ」
 「調査担当官が来るんじゃなかったのか」
 ハボックの台詞を無視して、エドワードがリアシートから身を乗り出す。
 「中佐は中央との連絡役だ。多分、調査担当官が来る前に事前準備するつもりなんだろうよ」
 恐らくは、ロイが指名して呼び出したのだろう。面白くない、とばかり、ハボックは乱暴にハンドルを切ると、路肩にクルマを横付けした。
 が、エドワードは降りようとはしなかった。
 「なぁ、俺も一緒に行っていいか」
 「何故だ」
 「ヒューズ中佐に会いたいんだ。しばらく顔を見てなかったし、挨拶くらいしてもいいだろ」
 「別に構わないが……」
 意外にも、つべこべ言わずにさっさと降りろ、とは言わず、ハボックはサイドブレーキを解除するとクルマを出してくれた。
 「しかし、暇潰しに中佐の顔を拝みに行くなんて言うなよ。結構ぴりぴりしてんだからな」
 「切羽詰ってる事件でもあったのか」
 「さっき言ってた憲兵隊本部で捜査してた事件だ。東方司令部の管轄内で士官が一人行方不明になってんだよ。情況からして殺された可能性が高い。しかも、そのお陰でやばいことが明るみに出そうなんでな、揉み消しに躍起になってんだ」
 「揉み消し?」
 とんでもない言い草にエドワードが仰天する。それでは捜査の意味がないではないか。が、しかし、珍しいことではない、とハボックは言い返して来た。
 「軍の威信に関わることだからな。特に金がらみのごたごたはご法度だ」
 暗に横領があったことを認めるような言い草で、しかし、ハボックは他人事のように言い募った。
 「下っ端の連中が小遣い稼ぎしたくらいなら軍法会議にかけて吊るし上げておけばいいんだが、そうじゃない場合は、結構闇に葬られてるぜ。誰にも知られずに、可及的速やかに適宜処理して平穏無事な日常を取り戻すってわけだ」
 「それじゃ、犯罪者が大手を振って歩いてるってことかよ」
 「まさか。不祥事を起こしたお偉いさんがいたら、即座に退役に追い込むことになってる。表沙汰にはしない代わりに、その地位を返上してもらうってわけだ。軍にとっては、あくまでもシステムの維持が最優先で、そのためには個人の事情なんざいくらでも犠牲にする、つまり、切り捨てご免ってこった」
 「でも、刑罰にならないだろ」
 「軍人が軍に居場所がなくなるってのは、かなり惨めで辛いもんなんだぜ。お前さんには理解できないだろうがな」
 お役ご免になれば、これまで手の内にあった権力と政治力を全て失うのである。誰にも省みられず、時が経てば忘れ去られてしまう。それなりの地位に就いていた者にとって、その処遇は例えようもなく屈辱的な仕打ちだった。その恥辱に耐え切れず、自殺する者も多いとか。
 「ま、それはそれ。ヒューズ中佐に会いたいってのなら、止めはしねぇよ」
 ヒューズにエドワードが懐いているのを知らないわけではない。職場で私的な話題を持ち出すのは暗黙のタブーとなっている軍界で、敢えて家族ネタを披露して憚らないという特異性が、却って信用できるらしい。ハボックはアクセルを踏み込んでスピードを上げると、一路イーストシティの駅舎へ向かってクルマを走らせた。
 まだ午前中ではあったが、ゆったりとした広さのある駅のローターリーは、ごった返すと言うほどではないものの、いつになく混雑していた。適当に空いている場所にクルマを突っ込むと、ハボックとエドワードは連れ立って駅舎の中へと入って行った。
 天井から吊るされた時刻表を見上げると、ブレダの言うセントラルから到着する次の列車は、あと数分でプラットホームに入る予定になっていた。すぐさま二人は、通りかかった駅員に聞いて指定の番線へと向かった。
 「中佐は一人で来るのか」
 「従卒と一緒のはずだが、それ以外はついて来ないことになってる」
 ざわざわと途切れるとこのない喧騒の中を潜り抜けるように早足で歩いていると、列車が予定より早めに到着する旨、アナウンスがあった。
 「急ごう」
 「七番線だったよな」
 各ホームに書かれた数字をろくに見るまでもなく、二人が目的地に辿り着いたのは、入って来た列車が停車してすぐのことだった。喉が痛くなるような蒸気の香りとともに汽笛が鳴る。それと同時にドアが開いた。
 「どの車両に乗ってんだ」
 「知るかよ。特等じゃないのは確かだが……。ま、降りて来るのを待ってようぜ」
 無駄に動き回ると却って会えなくなる。そう判断し、ハボックはホームを仕切るフェンスにもたれると、暢気に新しい煙草を取り出して咥えた。
 「マイペースだな」
 「将軍閣下を迎えに上がったんじゃないんだ。気楽に行こうぜ」
 それもそうである。エドワードはハボックの脇に並んでフェンスにもたれかかり、目の前に停車している機関車の車体を見遣った。いつもなら、自分が乗り込むはずの貨車から、今日は客を迎える。逆転現象のような違和感に、しばらくエドワードは浸った。
 やがて、二両先のドアから、手荷物一つという身軽な将校が一人、従卒らしい青年を伴って降りて来るのが見えた。
 「あれじゃないか」
 「そうだな」
 煙草を咥えたまま、ハボックが頷く。軍服の上にコートを羽織った黒髪の男は、確かにヒューズだった。
 「中佐、こっちスよ」
 と、ハボックが片手を上げる。それに気付いたのか、ヒューズが二人に向かって手を振った。
 「よう、久しぶりだな。今日はどうしたんだ、珍しくエドまで引き連れて」
 「別に、こいつはおまけみたいなもんスよ」
 型通りの敬礼と答礼を交わした後、どうでもいいような口吻でハボックはエドワードを指差した。
 「おまけかよ、俺は」
 「勝手について来ただけだろ。それとも、犬の散歩みたいなもんか」
 「何だとっ」
 「ま、元気そうで何よりだ」
 ひとしきりの言葉の応酬の後、不意をつくように、ヒューズがぱっとハボックの軍帽を取り上げた。
 「何すんですかっ」
 「ああ、やっぱハゲになってるな」
 反射的にハボックが縫合跡を手で隠す。そのうち髪が伸びて目立たなくなるだろうが、今はまだしっかりと人目につくのが物悲しい。
 「やめて下さいよ」
 ハボックはヒューズから軍帽を奪い返すと、きっちり被り直した。
 「ロイから聞いたぞ。クルマごと崖から落ちて大変だったんだってな」
 「大した怪我じゃないスけどね」
 「それで安心した」
 「そりゃどうも。それより、中佐を憲兵隊本部へお連れするように言いつかってんで、さっさと行きましょ」
 「早速お仕事かよ。お茶くらい飲んで一休みしてからにしたいんだがな」
 「どうせ、列車の中で寛ぎまくってたんでしょうが。行きますよ」
 有無を言わさず、ハボックがさっさと歩き出す。やれやれとヒューズは肩を竦めたが、それ以上は逆らわずに後について行った。
 「エド、後でお茶しようぜ。もう何ヶ月ぶりだ? 前に会ったのはまだ涼しい頃だったよな」
 そう言うと、ヒューズは皮のごつい手袋を嵌めた手でエドワードの肩を抱くように引き寄せた。ぐっと籠った力にエドワードは微かに眉を寄せたが、抗議の声は上げなかった。
 「どうせなら、メシの方がいい」
 「そういやそろそろ昼飯時か。いいぜ、司令部の近くにいいレストランがあるから連れて行ってやる。積もる話はそれまで辛抱だ」
 そう言ってヒューズはエドワードの頭をわざと豪快に撫で回し、盛大なブーイングを受けていた。他愛もない戯れである。ハボックはヒューズの従卒に荷物を持って先に投宿先へ行くよう指示してから二人をクルマへと誘導した。
 「このまま憲兵隊本部へ直行しますよ。必要な書類は全部向こうに揃えてありますから」
 「例の主計係はまだ見つからねぇのか。ちゃんと足取りは追ってんだろうな」
 「やるべきことはやってますよ」
 あんたに言われるまでもない、とどこかうんざりしながら、ハボックがヒューズの乗った後部座席のドアを、ばたんと大きな音を立てて閉める。サボっていたわけじゃない、と抗弁しているようだった。
 「だが、見つからねぇんだろ」
 「何だか嬉しそうスね」
 「とんでもない。さっさと見つかって欲しいと心の底から願ってるぜ、俺は。あいつさえ保護してやりゃこっちのもんだからな。今回の件も一件落着になる。だいたいやり口がせせこましいぜ、あれだけ堂々とロンダリン――」
 「中佐」
 苛立たしげに、ハボックが口を挟む。
 「言っておきますがね、そういうことは憲兵隊本部に着いてからにして下さい。部外者の前スよ」
 部外者とは他でもない。エドワードのことである。あからさまな非難に、ヒューズはわざとらしく首を竦めて見せた。
 「ロイの野郎は、ちゃんと部下を教育してるようだな。偉いもんだ」
 「お陰さんで。……出しますよ」
 キーを回し、シフトレバーを乱暴に押し下げると、ハボックは己れの不機嫌さを隠しもしない動作でクルマをバックさせ、一度切り返してからロータリーを出た。
 目的地である憲兵隊本部は、駅舎から一〇分程度の町外れと言っていい一角にある。「本部」と言っても軍司令部の所在地に併設されるもので、規模としては連隊本部ほどにすぎなかった。それも道理で、憲兵隊長は連隊長と同じ「大佐」である。東部全体の警察権を握っているにしては仰々しさのない、こじんまりとした組織だった。
 この、各地の憲兵隊本部を統括するのが中央にある憲兵司令部で、司令官の元、それなりに立派な建物の中に収まっている。
 もっとも、「憲兵」という兵科はなく、他兵科から転科した者のみで構成されており、全員が志願兵である。何故なら、憲兵は軍令機関ではなく、軍政機関の所轄であり、国家錬金術師と同じく、出征の要請があれば現地の軍司令部の指揮下に置かれる存在だからである。警察権を握っている者が取締りの対象となる者とつるんでいては冤罪の温床になるのが目に見えているため、その独立性は際立っていた。
 憲兵の軍装は、色を除けば他の軍人とほぼ同じで、唯一目立った差異は、腕に巻かれた白い腕章である。そこに赤字で「MP」と書かれ、Military Pliceであることを高らかに宣言していた。
 また、憲兵隊本部内は、師団司令部や軍司令部と違って、事務関係の職員(軍属)に女性が多く、雰囲気的に堅苦しさがないという点でもハボック達軟派な者にとっては、足を運ぶのに楽しみな場所でもあった。
 故に、本来であるなら、ハボックはもっと嬉しそうに憲兵隊本部へ向かっていいはずだった。が、到着するまでの間、不自然なほど黙り込んで咥え煙草をふかし、一度もリアシートの方には話しかけてこなかった。
 やがて、グレイのくすんだ壁に囲まれたコンクリート造りの建物の前でクルマは止まった。
 「エド、悪いがここまでだ」
 今度こそ降りてくれ、とハボックが顎をしゃくる。それへ、ヒューズが首を突っ込んだ。
 「この先に喫茶店がある。そこで待っててくれ。そんなに時間はかからないと思う」
 「判った」
 クルマを降りると、エドワードはとっとと歩き出し、角を曲がって姿を消した。
 「そう邪険にするなよ。あれでも国家錬金術師殿だぜ。一応、俺達と同じ軍界の者だ。もうちょっと愛想を振り撒いてやれよ。協力を要請することもあるんだ。いざって時にそっぽ向かれたら困るだろ」
 敷地の脇にある駐車場から庁舎の方へ歩きながら、ヒューズが取り成すように言う。が、ハボックはまるで聞いていなかった。
 「憲兵隊長殿はお出かけのようですから、副官から事情を聞くようにとのことスよ。中で待ってるそうですから、急ぎましょ」
 「ああ」
 やれやれとヒューズは嘆息した。
 が、エントランスから屋内に入り、階段を上がろうとした時だった。
 ただならぬ血相で、数人の憲兵が二階から駆け下りて来た。手摺りに寄って衝突を避けたハボックは、しかし、憲兵の腕が脇腹に当たって痛い思いをした。
 「すみません、急いでおりますので」
 それだけ謝罪すると、憲兵達は駆け足のまま出入り口から出て行ってしまった。そのすぐ後、複数のオートバイとサイドカーが発進する、けたたましいエンジン音が聞こえた。現場に急行するのだろう。騎兵から分岐した部隊であるだけに、憲兵達の移動手段は機動力重視の単車がメインとなっている。
 「何か事件が起こったみたいだな」
 ヒューズはちらりと外に目をやったが、すぐに興味を失って階段に足をかけた。
 が、この数分後、副官に会った二人は頭を抱えることになる。
 「お尋ねの主計大尉ですが、先程それらしき遺体が見つかったとの連絡がありました。すでにこちらから人員を派遣しておりますが、確認のため、現場へ行かれますか」












2006,9,9 To be continued

  
 今回、これまであまりよく知らなかった憲兵をちょこっとネットで調べてみました。驚きました。陸軍大臣の管轄だったんですね。ということは、軍令機関ではなく、軍政側の独立組織だったということです。フランスの制度がそうなってまして、明治に憲兵制度を輸入した日本もそれに倣ったとのことです。
 まぁ確かに、憲兵が軍令機関だと色々とまずいことがありますからね。成る程成る程。勉強になりました。