積極的方策 3






 ハボックから連絡を受けたロイは、嘆息しながら電話の受話器を置いた。
 「口封じですかね」
 室内にいたブレダが言わずもがなのことを訊く。ロイは椅子の背凭れにもたれかかりながら頷いた。
 「それ以外の何ものでもない。死後一週間以内だそうだ。検死を行って詳しい死亡日時や死亡原因を調べることになるが、客観的事実から言って、殺害されたのは三日前だろう」
 元より、ロイは死体となった主計大尉と四日前に電話で話している。幾分焦った口調ではあったが、確かに本人が喋っていた。しかも、その翌日にはロイと会う約束をしていたのである。そうさせまいと口封じされた可能性は高い。
 「これで振り出しに戻っちまいましたね」
 どうします? とブレダの目が問うていた。それへ、ロイはこともなげに応えた。
 「証拠を探そう。証人はいなくなっても物的証拠があれば告発はできる。寧ろ、関係者の証言より有力だ。日々薄れていく人の記憶よりも、嘘をつかない無機物の方が信用できる。それに、大尉がむざむざと殺されたとは思えない。自分が狙われているのを知っていたからな。事前に、その物的証拠となるものをどこかに隠しておいたとも考えられる」
 「希望的観測ですか」
 「いいや。可能性として充分あり得るということだ。ただし、場所となると見つけ出すのが大変だろうな。何か示唆するものがあればいいが、今のところは白紙状態だ」
 「では、足元から始めますか」
 「そうだな」
 まずは、主計大尉の自宅から。そう考え、二人は司令部を出て行った。
 が、現地に到着するとすでに先客がいた。
 「よう、ロイ。久しぶりだな」
 と、旧来の戦友が陽気に声をかけて来る。ロイは苦笑した。
 「ヒューズ、憲兵隊本部にいたんじゃなかったのか」
 「あそこにいてもどうにもなんねぇだろ。ここへ来た目的はお前さんと同じだと思うがな」
 「ああ、そうだ」
 ロイは数ヶ月ぶりに会う親友と顔を見合わせ、お互いの目的を確認し合った。
 「アイロス将軍の身辺調査を憲兵隊に依頼しておいた。こっちがダメならあっちを突付いてみようぜ」
 「時期尚早じゃないか」
 「承知の上だ。しかし、奴さんにプレッシャーはかけられる。挑発に乗ってくれれば儲けもんだ」
 そう言いながら、ヒューズは大して広くもないアパートメントにぽつんと置かれたデッキチェアに遠慮なく腰を下ろした。
 「主計大尉は独身で、家族は北部で一人暮らしの母親と中央に出稼ぎに行った兄貴が二人。さっき全員に連絡しておいたが、すぐこっちへ来るそうだ」
 「息子の遺体と対面するわけか」
 こんな形での再会は家族の誰もが嫌がるだろうが、仕方がない。すでに主計大尉の遺体は憲兵隊が管理するモルグに運ばれ、検死のための解剖医の到着を今か今かと待っている状態だった。
 「で、どうだったんだ」
 「親兄弟の様子か? やっぱ末っ子のいきなりの訃報にみんな驚いてたな。まさに寝耳に水だ。恐らく、家族は何も知らないんだろう。ここ半年以上、帰省は無論のこと、ろくな連絡も取ってなかったっていうからな。便りがないのは元気な証拠、と家族は鷹揚に構えていたそうだが」
 「となると、肉親に何らかの手掛かりを託した可能性は消えるな。何かメッセージでも預かってないかと思ったが……」
 「このアパートも望み薄だな」
 「何故、判る」
 「お前、聞いてないのか。今年から、司令部で使ってるもんを自宅に持ち帰るのは一切合財禁止になっちまったんだ。情報管理規定が改正されてな。覚書のメモ一枚でも軍の内部資料だから、家族にすら見せちゃいけねぇってわけだ。これまで仕事を家に持ち帰って残業の続きをやってる奴がいたんだが、それはもうご法度になったってこった。移動の途中に引ったくりに遭ったり、家族の中に手癖の悪いのがいて、良からぬ連中に売り渡したりすれば、立派な情報漏洩になるからな。実際、そういう事件があっただろ」
 「しかし、歩哨兵が出入りする者の鞄の中をいちいち確認しているわけではない。こっそり持ち帰る可能性もあるだろう」
 「もちろんだ。しかし、大尉はここんとこずっと司令部に詰めていて、アパートには殆ど戻っていない。戻っても仮眠を取るくらいだったみたいだぜ」
 言われるまでもなく、部屋の中は閑散としており、とても人が住んでいたようには見えなかった。掃除も洗濯もろくにしておらず、シンクなど乾ききってうっすらと白い幕が張っていた。
 それを目にしたブレダが嫌そうに肩を竦めた。今、猛烈にハウスクリーニングしたいという欲求と戦っているのだろう。見かけによらず、ブレダはきれい好きだった。
 「ところで、ハボックはどうした? 一緒じゃなかったのか」
 「少尉なら、ちょっと別口で調べてもらうことができたんで、そっちの方を頼んでおいた。大したこっちゃない。すぐ戻って来る」
 「それならいいが……」
 「何だ、俺が勝手に人ンちの部下を使ったってんで面白くないか」
 「そういうわけではない」
 「大目に見ろよ、この件に関する下調べだ。終わったらお前さんにちゃんと復命するように言っておいた。成果が上がりゃその手柄はごっそりお前が持ってけばいい。それでも気に食わねぇのなら、一杯奢ってやるぜ」
 「余計なことは言わなくていい」
 「ま、それはそうと、一応報告しておくぞ。現時点で判っていることだが……」
 と、ヒューズは懐から手帳を取り出すと、遺体発見現場で聞いて来た事柄を読み上げ始めた。
 「被害者はカスター・テリナ主計大尉。三日前から行方不明。直後に殺害されたんだろうな。死因はまだ断定できないが、恐らく、絞殺だ。死後、シンニード川に投げ込まれた模様。発見を遅らせるため、死体にはブロック片が四個結び付けられてた。が、腐敗とともに発生したガスで浮き上がっちまった。よくあることだ」
 「服装はどうだったんだ」
 「全裸だった。しかし、大尉は左の足首から下が義肢だったんだってな。そいつの製造元と製造番号から身元が判明したってわけだ」
 「実行犯の目星は?」
 「それはこれから捜査する」
 これから、と言いながら、二人には殺害の命令を下した人物の名前と顔がはっきりと脳裏に思い浮かんでいた。
 「殺しの手口から容疑者を割り出す作業はどうだ?」
 「プロファイリングのことか? それもこれからだ。何せ、死体が引き上げられてからまだ何時間も経ってない。そう急くなよ」
 「判っている」
 「それより、告発の方はどうするんだ」
 「少々遅れるな」
 ダメになった、とはあくまでロイは言わない。諦める気はさらさらないようだった。ヒューズは手帳を仕舞うと、ロイの肩をぽんと叩いた。
 「じゃ、調査担当官にはそう言っておこう。証拠がなきゃ告発なんざオールドミスのヒステリー扱いだからな。ま、今日のところは酒でもかっくらってさっさと寝ちまえ」
 はっきりした結果が出るまでは動くことができない。ロイはため息をつくと頷いた。しばらくはテリナ大尉の捜査に協力させられることになるだろう。
 恐らくは、何も出て来ないであろうアパートメントを後にして、二人はいったん東方司令部に戻った。戻ってみると何故か、エドワードがスタッフルームで寛いでいた。
 「何故、ここにいる」
 「別にあんたに用があるわけじゃねーよ」
 嘯くようにエドワードは飲んでいた紅茶の紙コップをダストボックスへ放り込むと、椅子から腰を上げた。
 「行こうぜ、中佐。いい加減、待ちくたびれた。俺のことなんか忘れちまったのかと思ったじゃねーか」
 「すまんすまん。急転直下の事態が起こっちまってな。ちゃんと奢ってやるから機嫌を直せ。……悪いな、ロイ。これから昼飯に行って来る」
 それだけ言うと、ヒューズはエドワードを伴ってスタッフルームを出て行った。言われるまでもなく、昼食をとる時間を潰して遺体確認をしていたのである。休憩を取るのは当然の権利、否、義務だった。
 もっとも、最初にヒューズが約束した通り、司令部から歩いて五分とかからない場所にあるレストランの一つへ入って行った二人は、ゆっくり食事を楽しむ気など毛頭なかった。
 「で、俺に何をやらせたいんだ」
 と、エドワードは向かい合わせの席に腰を降ろすなり、ダイレクトにヒューズに問うた。この男が用もなく「待っていろ」などとは言わないことを、エドワードはよく知っていた。
 そしてまた、その台詞は、数日前にもヒューズの口から聞いたフレーズだった。予定が早まったらしく、今日会うことになるとは思わなかったが。
 「イーストシティで会おうなんて意味深なこと言ってくれたんだ、大事な用なんだろうな」
 「無論だ。両面作戦をやる。ひと口、乗れ」
 「何だ、それ」
 首を傾げながらも、エドワードはヒューズの意図を察した。要するに、現在自分が直面している厄介ごとを解決するに当たり、正攻法だけでなく、別口からも攻めていこうという、いわばコンティンジェンシープラン――代替案を持ちかけているのである。正攻法を成功させるための別方面からのアプローチと言ってもいい。
 「今晩、ロイの野郎は、ある人物と会う。お前さんはそれがどういう人物なのか、見て来る」
 「それだけか」
 「それだけだ。名前や住所までは必要ない。人相、服装、どういう地位にある者なのか、何をロイと話しているのか、何故会っているのか、そういうことを探り出して欲しい」
 「そんなん、あんたがやればいいじゃないか。大佐について行けば? 簡単だろ」
 何で俺なんだ、とエドワードはテーブルに肘を着いてヒューズに問いかけた。
 「確かに、ただ見て来るだけなら誰でもできる。だが、奴は、その人物と会っていることを余人に知られたくないはずだ。俺には特にな。だから、お前さんがこっそり後をつけて、密会の様子を見て来る。奴に見つかっても、通りかかっただけだと言い訳すればいい」
 「つまり、その人物ってのは、あんたに見つかるとやばいってことだな」
 「まぁそういうことだ」
 「軍人なのか」
 「それはお前さんが直接見て判断してくれ。ロイの野郎は、今日は定時で帰ると言っていたからな、どんなに遅くなっても午後七時までには司令部を出るはずだ。それより前に出ることができたら、この先の『エリガス』って喫茶店で待ち合わせの時間まで居座る。それがあいつの習慣だ。で、時間が来たら、徐ろにタクシーを拾って三一番街の『スターダスト』って店に入る。無国籍料理の店だ。東海をイメージした青い看板があるからすぐ判るはずだ。向かい側のビルにはファーストフードの店が入ってるから、そこで見張るといい」
 「ずいぶんと大佐の行動に詳しいんだな」
 「親友だからな」
 ヒューズがグラスを取ってミネラルウォーターを口にする。どこまで本気なのか冗談なのか、エドワードはいつもはぐらかされていた。
 「で、俺への報酬は?」
 「明日の朝イチで支払ってやる。午前九時までに司令部へ来な」
 「判った」
 「しかし、お前も一途なもんだな。こんなことやったって、奴が振り返ってくれるとは限らねぇぞ」
 「あんたにゃ関係ねーだろ」
 二人は日替わり定食であるグリーンカレーと香味野菜のサラダを平らげた後、店の前で別れた。
 エドワードはそのままホテルに戻って待機し、適当に夕方になったら閲覧許可証をもらって倉庫にいくつもりだった。
 「だけど、どうせなら図書館で時間潰しするか」
 そう思い直したエドワードはホテルにいるアルフォンスに連絡を取り、市立図書館で落ち合うことにして、そちらへと足を向けた。
 その途中、エドワードは偶然にもハボックが乗っていたクルマが大通りからある建物の駐車場へ入って行くのを目撃してしまった。
 「ここは……?」
 見上げるまでもなく、エドワードも何度か足を運んだことのある市内でも有数の中央銀行の前だった。軍の関係施設の殆どがこの銀行に口座を持っており、エドワードの国家錬金術師としての報酬もここの口座に振り込まれていた。
 しかし、就業中のハボックが何の用事だろう。預金を下ろすなら窓口へ直行し、ものの一〇分かそこらで出て来るはずである。クルマなど路上駐車でいい。それが、わざわざ駐車場へクルマを止めなければならないということは、それなりに時間をとる用事があるということである。
 が、金銭関係とハボックとは余りにも似つかわしくない。しかも、今日は給料日ではない。
 「何かあるな」
 と、エドワードは敏感に感じ取ったが、しかし、何が? となると思い当たる節はなかった。唯一思い出したのは、以前ロイに口座を封鎖された時、ここの銀行から連絡が各地に行き渡ったのだった、という取るに足らない、それでいてえらく腹の立つ出来事だった。
 「ま、いいや。俺には関係ない」
 そう結論付け、エドワードはとっとと目的地へと向かった。もっとも、アルフォンスと合流しても、やることは時間潰しである。目的のものを目にすることができないという苛立ちと焦燥感で集中できず、早々に切り上げて、エドワードは先に司令部へ行くことにした。
 総務部の受付に顔を出すと、運のいいことにエドワードの顔を覚えている職員が応対してくれ、すぐに申請許可の書類を渡してくれた。
 「ラッキー。思ったより早かったじゃねーか。いつもこうだと助かるんだけどな」
 時計を見ると、まだ三時を回ったところだった。ヒューズに言いつけられた時刻にはまだ間がある。
 「だったら、倉庫の方に行こう。どうせ大佐は時間通りにしか動かないんだし」
 ヒューズの口吻から察するに、今夜、ロイが会う相手は女性だろう。待ち合わせて食事をするというのなら、立派なデートである。アフターファイブのマナーにエドワードは詳しくないが、ロイは女性を待たせるようなタイプではなく、遅れるくらいなら約束をキャンセルしてしまうだろう。
 確認したわけではないが、今のところ司令部付きの軍人が駆り出されるような重大事件は起きておらず、どうしても出席しなければならない祭典や幹部会議があるとも聞いていない。恐らくは、ヒューズの指摘通り定時に終業するはずである。
 そう判断し、エントランスから出たエドワードは門の前でタクシーを拾い、一人で書類倉庫へと向かった。八年前の実験データを早く見たかった。
 その記録には、ある特殊な条件下で光の粒子を直進させると、途中で二手に分かれ、別々の方向へ飛んで行ってしまうという現象が記述されているはずだった。これはつまり、光の粒子が自動的にコピーされたということで、一つのものが二つに増加したということである。何故コピーされるのかはよく判っていないが、ナノレベルの世界では、質量保存の法則に反する現象が起こっているらしい。これを穿った見方で捕らえれば、術師の力を無限に増幅するという賢者の石の基礎理論になるかもしれなかった。
 もっとも、光の粒子がコピーされる確率はかなり低い。また、手法も確立されてはいない。現象自体は確認されても、そのメカニズムが判然としていないため、再実験には八年経った今でも成功していないという。
 しかし、可能性のレベルでもエドワードは縋りつきたかった。これまで磐石だと思われていた力学や物理の常識が覆されるかもしれないという動きにも注目したかった。単純な公式で引き出される数字に付きまとう誤差を邪魔者として切り捨てるのではなく、そこに別の切り口で法則を見極めようとする新たな誤差論、そこから導き出される複雑な最小二乗方程式、そして、確率論の根本的な見直しと再評価。
 何もかもがエドワードの目には興味深く映った。
 目の前に規則正しくずらっと並んだラックに収められたファイルの群れを前に、エドワードは歓びが衝き上げるのを感じた。時間が足りない。できれば全部見たい。じっくり読んで心行くまで考察したい。
 立ち入り許可証をポケットに突っ込むや、エドワードは早速目的の実験ファイルを探し始めた。
 が、倉庫の中は予想以上の広さと奇々怪々の迷路に彩られていた。一応、案内してくれる管理人は待機していたものの、訪れる者が少ないためか、お飾りに近い案内人でしかなく、目的地まで辿り着くのにもひと苦労だった。やっと八年前の年代ナンバーを見つけた時には、倉庫に入って一時間近くが経過していた。
 「こんな状態じゃ今日までに終わらないな」
 閲覧するはずのファイルは一〇冊以上。無論、持ち出し禁止。日が傾きかけた今となっては、閉館までに読み解くのは不可能だった。アルフォンスがいれば大幅な時間短縮も可能だろうが、生憎軍の施設に入ることは一歩たりとも許されていない。エドワードが一人でやるしかなく、非効率この上なかった。
 「仕方ない。明日にするか」
 閲覧許可の日時はまだ三日ある。焦ることはなかった。
 そう判断し、エドワードは夕焼け色に照らし出された通路へと出て、名残り惜しく思いながらも書類倉庫を後にした。東方司令部まではクルマで一〇分程度。しかし、「エリガス」までは歩いて行ける。
 教えてもらった道順を辿ってエドワードは大通りに出ると、薄暗くなり始めた歩道を駆け出した。街灯にはぽつぽつと灯りがともり、通りすがりの人々も家路を急ぐように早足だった。その間をすり抜け、大通りから路地二つ挟んだ「エリガス」に到着するや、通りすがりを装いながらロイの姿を探した。
 が、通りからは店内がよく見えない。照明がさして明るくなく、しかも、ガラスの壁面にわけの判らない極彩色の模様が所狭しと描き込まれているため、中の様子が窺えないようになっているのである。
 窓際の席には座っていないということだけ確認するに留め、エドワードは先回りして「スターダスト」へと向かうことにした。三一番街は繁華街の一角にあり、もう少々時間が経てばけばけばしくも華やかなネオンが洪水の如く瞬くことになるだろう賑やかな広場を中心としたビル群の中にあった。広場の片隅にはいかにも取ってつけたような噴水があり、待ち合わせにちょうどいいのか、夜の遊びに忙しい男女が何人も行儀悪く腰かけていた。
 「あそこだな」
 ヒューズの言った通り、スターダストの入っているスクウェアビルと並ぶように建てられたアミューズメントビルがあり、その五階から六階がレストラン街になっていた。様々な飲食店が詰め込まれており、ヒューズご指定のファーストフード店もその中の一つで、見覚えのあるチェーン店の看板がすぐに目に付いた。
 エドワードは、ビルに入る前に公衆電話を探してアルフォンスに連絡を取った。
 「すまん、帰りは遅くなっちまう。近くでメシ食ってから帰るから、俺を待ってなくていいぞ」
 判った、とだけアルフォンスは応えた。聞き分けのいい弟である。
 早速ビルのエレベータに乗り、鶏肉料理専門店と南部の屋台料理店に挟まれた、騒がしいだけのエイトビートの鳴り響くファーストフード店に入ると、エドワードはフライドポテトとハンバーガーのセットを注文し、「スターダスト」のよく見える窓際の席を陣取った。
 スターダストは吹き抜けになったビルの七階に入っていたが、面白いことに外から丸見えになっている構造を売り物にしていた。外界と面する壁の大部分がクリスタルガラスで覆われており、宙空に浮いているような錯覚をブルーライトで照らし出すという気取った演出だった。いたくブルジョワチックな造りで、ティーンエイジャー相手のカジュアルさを売り物にしているこちらのビルとは格も雰囲気も違う。
 「金の無駄遣いだな」
 と、あてつけがましく断じながらエドワードはラージサイズのコークに口をつけた。氷が多く、冷たさばかり強調した炭酸水は早くも水っぽくなり始めている。
 これくらいはっきりしたジャンクフードもないと思いながら、ふと視線を上げると、「スターダスト」の内装が斜め上によく見えた。これなら客の顔を確認するのに苦労はしないだろう。何気なさを装いながら、エドワードはちらちらと視線を送り、それらしき二人連れが現れるのを大人しく待つことにした。
 時刻は、午後七時過ぎ。
 そろそろロイが現れてもいい頃だった。
 そして、二〇分後。徐々に客が増え、店内が賑わい始めた頃、エドワードの目に見慣れた軍服姿の男が飛び込んできた。
 「来た」
 まるで、張り込みをしている刑事の気分で、エドワードはロイらしき男の姿を何度も確認した。ビルとビルの隙間は一〇mあるかないか。二人の距離は二〇〜三〇mといったところだろうか。ターゲットをじーっと見つめていても相手に気付かれる心配はなく、しかも、相手の顔がちゃんと判別できる絶妙な位置関係だった。
 「ん?」
 よく見ようと目を凝らしたエドワードは、ロイらしき男がワインレッドのミニドレスの女性を連れているのに気付いた。
 「あれか。やっぱデートじゃん」
 見るからに礼儀正しく女性をエスコートしているロイの動作を見て、エドワードは口笛を吹きたくなった。二人は窓際に席を取り、ウェイターにオーダーすると楽しそうに談笑を始めた。さすがに会話までは聞こえないし、リップリーディングもできないが、親密な仲であるのは容易に見て取れた。互いに男女の情があってこの逢瀬を楽しんでいるのは、さして観察せずとも判る。
 「髪の毛はストロベリーブロンドか。ちょっと大柄だけどわりと美人だな。年は大佐と同じくらいか」
 どういう素性なのかは推測するしかないが、かなり富裕な暮らしを満喫している女性であるのは確かで、ドレスやバッグ、靴のブランドは判然としなくとも、身につけているアクセサリーはかなり派手な輝きを放っていた。そういうのがロイの趣味なのだろうか。女はさえずるようによく喋り、料理をよく食べ、グラスに注がれた酒もよく飲んでいた。もっと物静かな性格の女が好みなのでは、と思っていたエドワードは苦笑した。
 「でも、軍界の人じゃなさそうだな」
 軍人特有のきびきびした雰囲気は感じられないし、堅苦しい表情もしていない。何より軍律では、上官に当たる者が下位の者を性的な意味で誘惑することを禁じている。軍という上意下達の鉄の規律が徹底している組織の管理上、当然のルールであり、ロイはそれを犯す気はないようだった。
 コース料理をオーダーしたらしく、メインディッシュの骨付き肉の煮込み料理を片付けた後は、二人ともシャーベットらしきものを突付いていた。
 食事の後は、別の場所に移るのだろう。馴染みのバーかスナックで酒。それとも、それ相応のホテルで「ご休憩」か。
 水浸しになった紙コップを脇へやり、エドワードは冷たくなってしまったフライドポテトに手をつけた。ハンバーガーも冷えている。余り長居する店ではないため、窓際のスツールの背後では、ナプキンを持ったスタッフが忙しく歩き回り、早く席を開けてくれと急かしているような気がした。
 いたたまれないというわけではなかったが、エドワードはレタスとベーコンとチーズの挟まれたハンバーガーを胃の中に突き落とすように嚥下すると、店を出ることにした。
 「プロじゃないんだ。こんなもんだろ」
 ずっと後をつけろ、どこへ寄ったか全部見届けておけ、とまでは言われていない。ショップの間の通路を通り抜け、階段を駆け下りてビルの外に出ると、エドワードは一度だけスターダストの方を見上げ、何かを振り切るように身を翻した。
 相手の女は実業家なのかもしれない。ただの世間知らずの金持ち女には見えなかった。自律的に仕事をしている女と、そうでない女とではまとう雰囲気が違う。さすがにエドワードはその違いを認識していた。
 「なかなかいい女だったぜ」
 と、エドワードは翌日、ヒューズに見たまま感じたままを報告した。
 「この中に、その女はいるか」
 「何で?」
 「いいから」
 早朝の東方司令部で、何故かエドワードは即席の面通しをさせられることとなってしまった。スタッフルームの小さなテーブルの上に広げられた女性の写真五枚を見ながら、エドワードは肩を竦めた。
 「判んねーよ。至近距離で見たわけじゃないからな。顔の造作までははっきり覚えてない。知ってる奴ならともかく、知らない人だったし……」
 「しかし、印象ってもんがあるだろ。どうだ?」
 ヒューズは強引だった。エドワードがもたらした情報だけでは満足できないようで、何らかの答えを引き出さなければ、ここから開放してくれそうになかった。
 「そうだな……」
 五枚とも、目鼻立ちのはっきりした、気の強そうな美女だった。髪型は微妙に違っていたが、ストロベリーブロンドは共通しており、どことなく金回りの良さそうな服装も共通していた。どうやらヒューズは予め、ロイと逢瀬を楽しんでいる女を知っていたらしい。その上での確認なのだろう。
 「化粧してたから断定はできないけど……」
 と言いながらも、エドワードは一番左に置いてあった写真を手に取った。
 「これかな」
 今イチ自信はない。が、その女が一番似ているような気がした。
 「ベアトリス・タガート。こいつで間違いないか」
 「だから、判んねーってば、はっきりとは」
 「おいおい、しっかりしてくれよ。大事なことなんだぜ。お前さんは『唯一の目撃者』なんだからよ」
 「いつ俺がそんなご大層なモンになったよ。聞いてねーぜ」
 愚痴りながら、しかし、その写真をもう一度よく見る。唇の右下にぽつんと黒子のある女だった。そんなの、あっただろうか。ふっくらした唇と筆で書いたようにくっきりとした眉は、南西系の血筋なのか、いかにも情熱的で豊満な四肢の持ち主を思わせる容貌だった。
 「多分、そうだろ」
 幾分投げやりにエドワードは写真をテーブルに置いた。
 「で、何を話してた」
 「世間話じゃないか。深刻そうな顔はしてなかったぜ、二人とも」
 世の恋人達がそうであるように、喋っていたのは殆ど女の方だった。ロイは相槌を打ちながらただ耳を傾けている、という感じだった。自分の話を聞いてくれる男を、女は信用する。自分のことを判ってくれていると思って己れを曝け出すし、頼りになると思って依存する。反対に、お喋り男は女に嫌われる。自己アピールをしているつもりで、その実がっついている――体目当てかと誤解される――、もしくは、人の話を聞かない独断専行型の性格だと見做されて、敬遠されてしまうのである。
 その手管をロイはよくよく弁えているようで、女は充分満足しているようにエドワードには思えた。
 だいたいが女の話は他愛もない、中身のないものが殆どで、要するに自分の感情を共感して欲しいがためのエピソードの披露に終始しているものである。デートの場で重大な話題を議論し合う男女は余りいない。もし、いたとしたら、それは別れ話をしている時だろう。ヒューズもその辺りは大して期待していないようだった。
 「ま、いい。それじゃ、こうしよう。俺が『そうだな?』と言ったら、お前は何も言わずに頷く。聞き返すのも質問もなしだ」
 「何だよ、それ」
 「いいな」
 ヒューズが強引に念を押す。ちゃんと指示しておいたにも拘らず、役目を果たさなかったお前が悪い。だから、俺の言う通りにしろ。そう強制されている。が、いくら不服でもエドワードに否応はなかった。それが報酬を受け取る条件だった。
 「判ったよ」
 と、エドワードがため息混じりに承諾する。と、殆ど同時に、スタッフルームのドアが開けられ、ヒューズの従卒が顔を出した。
 「ここにいたんですか、中佐。探しましたよ。会議の時間です。皆さん、お待ちですから」
 「もうそんな時間か。……行こうぜ、エド。ブリーフィングが始まる」
 そう言うと、ヒューズはエドワードの背中を叩き、スタッフルームを出るよう促した。
 今日のブリーフィングはロイの執務室で、内輪の者だけを集めて行われることになっていた。本来、ブリーフィングとは、これから与えられる任務に関しての目的や必要事項、注意事項の説明、もしくは中間報告会のようなものであり、それによって問題点を明らかにし、要点を整理した上で解決策を探るというものである。
 しかし、この日は多少趣を異にしていた。秘密会議と言ってもよく、とても普通の状況説明という雰囲気ではなかった。
 「すまんな、遅れて」
 と、執務室に入り際、ヒューズがいつもの調子で面々に片手を上げて見せた。それに応じて、すでに集まっていたロイの部下達が軽く会釈する。全員、士官だった。准尉のファルマン(※ 准尉は准士官であり、下士官の最上級クラスのこと。故に、士官ではない)、曹長のフュリーは含まれていない。ごくごく少数の信用できるハイレベルの者だけに情報公開し、今後の方策や処置を検討するというのがこの会合の目的だった。
 情報の独占は権力の象徴とはよく言った。詳細を熟知している者は少なければ少ないほどいい。その無言の圧力でこの室の雰囲気は統一され、疑義を挟むことを拒否していた。
 来客用のソファを脇へ押しやった執務室の内部では、ロイの執務机を取り囲むように数脚のパイプ椅子が並べられ、腰を下ろした銘々が配られた資料に目を通している最中だった。
 その数人が、遅れて入って来た二人に怪訝な視線を向ける。
 ヒューズはいい。わざわざ中央からロイが呼んだことを誰もが知っている。が、続いて入って来たエドワードは、まさに招かれざる客だった。本来ならば、声をかけられることすらないはずである。案の定、側近第一号のホークアイが早速噛み付いた。
 「関係者以外は立ち入り禁止よ。大佐に用があるなら、後にして」
 ぴしゃりと目の前で扉を閉じられてしまうような、冷たい声だった。否、刺々しさすら含んだ敵意じみた態度が露骨にエドワードに突き刺さる。それへ、ヒューズが応えた。
 「悪いな、中尉。こいつは俺が呼んだんだ。今回はこいつも関係者って奴だ。ブリーフィングに参加してもらう」
 「それはどういうことでしょうか」
 「事情はおいおい説明する。それよりさっさと始めようぜ。事件は待っちゃくれないんだからな」
 「こんな予定変更は聞いていませんが……」
 問いかけの先は、執務机に座っている上司に対してだった。が、ロイにしてもエドワードが参加するとは知らなかったらしく、肩を竦めて見せるだけだった。が、出て行けとは言わない。仮にもヒューズが連れて来たのである。無意味な行為ではない、と解釈することにして敢えてそれ以上の糾弾は控えたようだった。
 「来いよ、エド」
 ヒューズは周囲の猜疑的で不穏な視線にもお構いなしにエドワードを連れ込むと、己れに用意されたパイプ椅子の隣の席に座らせた。
 「まぁいい。始めよう」
 と、ロイが執務机の上に広げられた書類を取り上げる。
 「ハボック、まずはこれまでの経緯を説明したまえ。その後でヒューズが補足説明及び新たな情報の開示を行う。……ホークアイ中尉、鋼のにも進行表を渡したまえ」
 「承知しました」
 さすがに上司の命令にホークアイは従順だった。が、納得していないのは傍目にも明らかで、眉一筋動かさない。デリケートな問題に、部外者に踏み込まれるのは不愉快この上ないのだろう。己れの縄張りに土足で上がられるも同然である。
 「それじゃ、おさらいを兼ねて、まずは発端から」
 と、ハボックが立ち上がり、手にしたプリントの一枚目をめくった。
 「今日から数えて六日前、一件の密告があった。曰く、軍の公金を横領している将軍様がいらっしゃる、と。自分はその証拠となる書類を握っている。ついてはこれを引き渡すから、軍法会議に告発してくれ」
 その台詞にエドワードは仰天した。やはり横領だったか、と思うと同時に、将軍などという高位の者が関係している事実に穏やかざるものを感じた。横領は、不祥事の中でも、軍が最も表沙汰にしたくない醜聞の一つである。
 質実剛健、清廉潔白を旨とする軍組織において、金銭トラブルのような生臭いスキャンダルは唾棄すべき、忌むべき没義道だった。贈収賄に始まり、略取、横流し、見返りを求めての接待、裏金のプール等々。どれも軍そのものの存続を危うくしかねない所業であり、全軍を挙げて撲滅すべき汚泥だった。金勘定は商人のやること、軍界の者はそのような不逞のものには手を染めない、己れの私利私欲に塗れるなどもってのほか、というのが伝統的な軍の不文律であり、プライドであり、その禁忌を犯すことは、現法上だけでなく、道義的にも倫理的にも重罪だった。軍の実態は必ずしも青天白日に晒してもいいきれいなものではなかったが、建前は掃き清められたように塵一つ落ちていないものでなくてはならなかった。
 ロイ達が揉み消しに躍起になるのも無理はない。同時に、昨日の妙によそよそしい態度に、エドワードはやっと得心がいった。
 「告発を依頼して来たのは、当司令部の主計係の大尉。名前はプリントにある通り。声に出して読まいで下さいよ。で、ガセである可能性も考慮に入れて裏付けを行ったところ、どうやら本物らしいと判明。詳しい経過は省くが、めでたく告発となった場合を想定して、大佐はこの大尉に直接会って話を聞くことになっていた。都合のいい日時も打ち合わせて合意し、後はその日が来るのを今か今かと心待ちにしてたんだが……」
 と、そこでハボックはヒューズの方を見遣った。それに応えて、ヒューズが立ち上がる。
 「この大尉が四日前に行方不明になり、昨日になって死体で見つかったのは周知の通りだ。無論、口封じのため、と思われる。当然、容疑者は絞られるが、残念なことに、証拠とやらの書類は自宅にも職場にもどこにも見当たらなかった。多分、犯人か、もしくは殺害を依頼した者の手に渡ってシュレッダーにかけられちまったか、風呂の焚きつけにでもされちまったんだろう。これで、この事件は迷宮入りしておしまい。俺は無駄足。残念だったな」
 「ヒューズ」
 「悪い。そこでだ、別の方向からアプローチすることにしてみた。つまり、被告発者はその将軍様なわけだから、そいつの周辺を洗って見て、何かボロが出て来ないかとつついてみたわけだ。案の定、面白いことが判った。ハボック少尉、銀行のことを披露してやれ」
 「銀行?」
 昨日、ヒューズがロイに黙って勝手に使役した件である。しかし、銀行という単語に、エドワードが反応した。
 「中央銀行で何か掴んだのか」
 「お前、見てたのか」
 胡散臭げにハボックが問う。エドワードは無言で頷いた。
 「まぁいい。この中央銀行なんだが、将軍様のメインバンクだ。他の銀行にも口座はあるんだが、大きな金の出し入れはここを使ってる。だが、銀行の担当者に話を聞いたところ、残金は大したことないってんだな。もっとも、いやしくも将軍様だ、俺達庶民の手にゃ到底届かない額の貯金は無論、ある。しかし、地位と階級に相応した額であって、その上限を超えるものじゃない。どう考えても、横領した金額と見合わないんだ。念のため聞いてみたが、ここ数年、給料の振込みやローンの支払い以外、大金が出入りした形跡はないそうだ」
 「タンス貯金でもしてんじゃないのか」
 ブレダが言わずもがなの発言をする。が、ハボックは首を振った。
 「タンスがいくつあっても足んねぇな。へそくりをセーターの下にちょこっと隠すのとはわけが違う。桁が並じゃないんだ。それに、そんなことをしたら、始終空き巣の心配をしなくっちゃいけない。落ち着いて家を留守になんかできねぇよ」
 アホらしいじゃないか、とハボックは指摘した。確かに現実味のない隠匿方法である。
 「じゃ、麻薬にでも換えて保管してんじゃねぇのか。カルテルの連中がよくやってるように」
 「宝石かもしんねぇな。金の延べ棒でもいい」
 「相場が上がるのを待って売っちまおうってんだな。いい稼ぎになるぜ」
 それはいい、と失笑が漏れる。否、露骨に笑い声が起こった。
 「で、それがどうしたというの」
 軽口の応酬に、横からホークアイが口を挟む。ジョークで時間が費やされるのが腹立たしいのだろう。ほらきなすった、とばかりハボックは肩を竦めたが、ヒューズは飄々として話を続けた。
 「そう慌てるなよ、中尉。ま、それで考えたわけだ。こりゃ、出納係がいるな、と。恐らく、複数の共犯者がいるはずだ」
 「横領した金を始末した共犯者がいるということか」
 「その通り」
 察しよく、結論を先に言うロイに、ヒューズは頷いた。
 「どっかの政治家がよく使ってた手だ。一時期流行った台詞があったよな。『秘書がやりました』ってヤツ」
 ああ、あれか、とその場にいた誰もが思い出したように相槌を打った。数年前に起こった政治家達の株価操作による売却益のスキャンダル事件の折り、揃って被疑者となった面々が口にした釈明がこれだった。
 ――秘書が勝手にやりました。私は何も知りません。
 明らかに金の流れは当の政治家達の懐を目指していたというのに、往生際悪く己れの側近に罪をなすりつけ、何とか世間の弾劾から逃れようとしたいじましくもせせこましい醜態は後々まで語り草になった。
 この時問題になったのは、実際に資金の運用をしていたのが政治家本人ではなく、個人秘書が手がけていたという事実である。
 「あの一連の事件は、政治家と秘書って奴が緊密な関係にあった上に資金が政治献金の中から出てるってルートがはっきりしてたから議会で追及されちまったわけだが……、よーく考えてみろよ。これが個人秘書なんて判りやすい立場の人間じゃなく、もっと判り難い……、そうだな、インフォーマルグループの者に預けてあったとしたら、どうなってたと思う?」
 「表沙汰にならなかっただろうな」
 やはり明快にロイが応える。
 「資金のルートが途中で切れて、その先は闇の中だ」
 「言うまでもねぇよな」
 インフォーマルグループとは、フォーマルではない、つまり、地縁・血縁、または会社組織や学校のクラスなど個人の意向を殆ど無視した画一的な集団に属していないという意味で使われる名称で、普通、友達などの仲良しグループや趣味の同好会などがこの範疇に入る。個人と個人に公的な繋がりがなく、あくまで私人としての付き合いであるため、第三者から見て、ある人物がその集団の一員であると特定するのはかなり難しい。インフォーマルグループは、周囲に知られていないコネクションがとにかく多いのである。
 「どっかの誰かの手に渡っちまったら、金の出し入れも得失勘定も決済も、全く別人の名前で行われるってわけだ。当然、銀行の口座も名義人も本人とは似ても似つかない赤の他人のもんが使われる。本人の名前は無論、痕跡も窺い知ることはできない。しかし、この共犯者との信頼関係がある限り、金は将軍様のもんってわけだ」
 「なかなか上手い手だ。それで? 貴様はその身代わりというか、代理人を見つけて来たのか」
 「そう結論を急ぐなよ。俺がちゃんと仕事してるってことを披露させてくれ。ロイ、お前に確認しておくことがある。この女を知ってるか」
 と、ヒューズは一枚の写真を差し出した。それは、つい先程エドワードが見せられた五枚のうちの一枚だった。写真を受け取ったロイは一瞬、不快な顔をしたが、しかし、すぐにヒューズに向き直った。
 「知っている。それがどうしたというのだ」
 「エド」
 ヒューズは、ロイの質問には応えず、己れの傍らにいるエドワードに呼びかけた。やっと出番が来たらしい。
 「お前さんが昨日、目撃したことを話してやれ」
 「三一番街のことか」
 「そうだ」
 促されるまま、エドワードはあるファーストフード店に入ったら、「偶然」にも隣のビルにいるロイを見かけたのだ、という話をした。
 「ロイと一緒にいた女は、こいつだな」
 と、ヒューズがロイに見せた写真をエドワードに突き出す。内心、エドワードは戸惑った。先程、己れが指摘した女とは別人だったのである。が、ここでは肯定しなくてはならない約束だった。
 「ああ、この人だ」
 「名前は、キャサリン・ベイシンガー。通称『キャット』。第七区にある『シンクレアトレード』って会社を経営している女性実業家だ。名前の通り金融会社で、証券や投資信託を扱ってる。創立は七年前だが、かなりの業績を上げているようだな。成功者として女性誌なんかにコラムを書いていたりもしているし、株取引のアドヴァイスなんかもやってる。彼女に啓発されて相場に手を出す女性が増えたそうだが……。毎日目の回るような忙しさだろうな。そんな合間を縫って、お前さんと夜の付き合いがある、と」
 間違いないな、とヒューズはロイに迫った。このような場でプライベートな関係を暴露されたことにロイはあからさまに憮然としたが、しかし、否定する材料はなかった。
 「だから、どうした」
 「キャットの本命をバラしちまってもいいか」
 「……っ」
 そこまで言われれば、ヒューズの言いたいことは自ずと判る。ロイは、無言で顔を背けた。とんでもないネタばらしである。
 「ま、そういうことだ」
 「つまり、私の立場はかなり微妙だということだな。それで? 私も共犯者の一人だとでも言いたいのか」
 「怒るなよ、ロイ。付き合ってる女に別の男――、しかも本命がいたってのは本当に面白くない。いや、傷つくよな。それはよーく判る。俺だってこんなことは追及したくないんだ。できれば、他の誰かに代わってもらいたいくらいだぜ」
 だが、疑惑がある限り、尋問してきちんと解明に協力しなくてはならない。部下の前で、というのはとてつもないイレギュラーであるが、結局はそれが正当な保身に繋がる。内心の不愉快さを押し殺すと、ロイは取ってつけたように言った。
 「隠すようなことは何もない。知りたいと言うのならいくらでも貴様の質問に答えてやる。言ってみろ」
 「キャットと知り合ったのはいつだ」
 「一ヶ月くらい前だ。もっと後だったかもしれん。以前付き合っていた女性の紹介で引き合わされて、それから時々会うようになった。自慢するわけではないが、彼女の方が積極的にアプローチして来た」
 「深い仲になってどれくらいだ」
 「何……?」
 「答えてくれ」
 別に悪意があるわけでも、プライバシーを侵害しようとしているのでもない、という口調は演技ではなかった。今回の事件には必要なことなのだ、と重ねて説得するようにヒューズはロイが再び口を開くのを待った。
 「一週間前だ」
 苦々しく、吐き捨てるようにロイは告白した。ハボック達は何も言わない。エドワードも沈黙した。が、内心は酷く動揺していた。こんな展開になるとは思いもしなかった。このままここにいてもいいのだろうか。否、いきなり執務室を飛び出してしまいたい衝動に駆られた。分不相応という言葉がこの時ほどずっしりと胸に圧し掛かって来たことはない。もしかしたら、自分はとんでもない策略に加担してしまったのではないか。
 が、ヒューズは容赦しなかった。
 「一週間前か。主計大尉がチクリを決意したのが六日前だ。となると、関連性を否定するわけにゃいかねぇな」
 「どういう意味だ」
 「大尉はキャットの見張り役でもあったんだよ。金の受け渡しの窓口だったからな。将軍様の大事な虎の子を預かっている女が司令部付きの大佐によろめいてる、いや、接近してるなんて事態になっちまってんだぞ。お前さんが何らかの意図を持って彼女を誘惑してんじゃねぇのか。そう勘繰ったはずだ。朝帰りした女を見て増々そう思った。キャットがお前さんの手管に陥落するのも時間の問題だと主計大尉が脅威を感じても不思議じゃない。で、奴は考えた。捜査の手が伸びる前に自分からゲロしちまおう。そうすれば、司法取引にも持っていける」
 どうだ? とヒューズがロイへ発言権を投げ渡す。それへ、ハボックが割って入った。
 「状況証拠に過ぎないんじゃないスか。それとも大佐、独自にそのキャットって女を洗ってたんスか」
 「いいや、そんな依頼はどこからも受けていないし、下心もない。ベイシンガー嬢との出会いは本当に偶然だ」
 「それじゃキャットの方に思惑があったってのはどうスか。キャットも大尉と同じことを考えて大佐に接近して、告発のタイミングを図ってたとしたら? 出会いは偶々だったかもしれませんが、後になって軍法機関に親友がいるなんて情報を手にしたら、色々思うところがあって気が変わったってこともあり得ますよ」
 「その可能性は多いにあるな。ロイ、自分で確認してみる気はあるか」
 「彼女を尋問しろと言うのか」
 「そんな鯱張ったことまでやらなくていい。民間人を司令部に呼び出したり、憲兵隊を派遣したりなんて大仰なことは俺だってやりたくねぇよ。それとなく訊いてみろ、デートのついでに。情に絆されて、ぽろっと漏らしてくれるかもしんねぇぜ。お前に惚れてるんだろ、キャットは」
 「そういうやり方は好きではない」
 「好きも嫌いもない。これは横領事件だ。しかも、殺人事件つきのな」
 ヒューズの口吻は冷酷ではなかったが、暖かみもなかった。あくまでも必要な手続き――証拠集めなのだ、と言外に潜ませている。それが判らないほどロイも石頭ではなかった。
 「いいだろう。次に彼女と会うのは二日後だ。その時、聞いておく。それで有力な証言が得られれば大尉の握っていた証拠物件の穴埋めになるはずだな」
 「ちょっと待って下さい」
 いきなり、ホークアイが声を荒げた。
 「それは危険です」
 「何故だ」
 「大佐とベイシンガー嬢の仲を例の将軍が掴んでいる、もしくは知るところとなってしまったら、再びの口封じに及ぶかもしれません」
 「その可能性は折り込み済みだ、中尉。すでにキャットには見張りをつけてある。二四時間体制でな」
 だから、余計な心配をするな、とヒューズは宥めたつもりだった。が、ホークアイは引き下がらなかった。
 「見張りというのは、護衛という意味ですか。それとも、尾行のためですか」
 「両方だ」
 心なしか、苛立たしげにヒューズが言った。主計大尉に代わる大事な証人ではあるが、とことん利用しない手はない、という計略の一端を垣間見せられ、ロイは憤然とした。しかし、それが軍法機関のやり方なのである。
 「大佐、ベイシンガー嬢の見張りにわれわれも参加すべきだと思いますが」
 「余計なことだ。こっちの方針に――」
 「口を出す気はありません。しかし、事件の発端に関わっている以上、我々も捜査に立ち会う権利があるはずです」
 「勘弁してくれよ、中尉。別にお前さん達を出し抜こうってんじゃないんだ。必要な情報は逐一流してやるから信用しろよ。こういうのは結構デリケートなもんなんだ」
 「ヒューズ、人員の配置はどうなっているんだ」
 「ロイ、お前まで……」
 と、言いかけ、しかし、途中で思い直したように、ヒューズは嘆息した。
 「判ったよ。二チームだ。交代でキャットの自宅と会社に張り付いてる」
 「彼女の家族は? 脅しのネタに使われる恐れもあります」
 「そうだな、そっちも手配しておこう。で、現場には誰を寄越してくれるんだ。有能な奴にしてくれよ」
 ヒューズの問いかけに、ハボックが手を上げた。
 「俺が行きますよ。これ以上、鼻先で獲物をかっぱらわれるのはご免ですからね」
 「そうだな、ハボックならこの手の訓練を受けている。適任だろう。いいな、ヒューズ」
 「事故で頭がぱーになっちまったんじゃなかったか。支障はねぇのか」
 「今、ブレダが記憶の消失地図を作成中だ。過去数週間の記憶は何ヶ所も抜け落ちているが、ここ数日で回復した部分もあるし、事件後に関しては完璧だ。障害というほどのものではない」
 「回復するもんなのか、記憶ってのは」
 「コネクショニズムの学説によると、思い出せない記憶というのはデータが消えてなくなっているのではなく、回線がショートして送信不能になっている状態なんだそうだ。だから、連想ゲームのようにヒントを与えてやれば接続が回復、もしくは別系統のルートが新たに開通してバイパスが繋がり、忘れていたはずの記憶が蘇るというわけだ」
 「何かの実験みたいな言い方だな。まぁいい。ハボック少尉、尾行チームに連絡するから、後でエントランスに来てくれ。リーダーに紹介してやる」
 「了解。命令指揮系統はどうなるんスか」
 「ヒューズの指示に従ってくれ。私の権限を暫定的に委譲することになるからな。任務に就いた時点で貴様の上司が代わる」
 「それでいいな、中尉」
 ヒューズの確認に、ホークアイは頷いた。
 「さて、と。それじゃ続きだ。一応の知識として頭に入れておいてくれ。例の将軍様だが、どういう手口で軍から金をふんだくって独り占めしてるかってことなんだが……」
 と、ヒューズは説明し始めた。手法としては古典的である。業者と組んで軍に納入する備品の金額を不当に吊り上げ、適正価格との差額を払い戻していたのである。その入金先がベイシンガーの経営する会社で、入金と同時に資金は債権へと化けていた。体のいいロンダリングである。
 「恐らく、主計大尉が握っていたのは、収支報告及びあいみつ(「合い見積もり」又は「相見積もりのこと)の類だろう。偽造されている可能性がある。正当な金額と数量を衝き合わせていけば、どれだけ軍が余計な支払いをしていたかが判明していたはずだ」
 「では、その納入業者も尋問の対象にする必要があるな。特定できているのか」
 「まだだ。リストアップはできているが、検証はこれからだ。武器弾薬から鉛筆一本までかなりの業者が入ってるし、つい最近入れ替わった業者もいる。過去数年のリストともなると、膨大な量になる。クエリを組んでクロスチェックしてくれる奴がいれば楽なんだがな」
 「ところで、主計大尉のことだが、一応確認のため聞いておく。殺害されたのは確かか? 事故や自殺ではなく」
 「自分で首を絞めて意識不明になった後、手足にブロック片を括り付けて川に飛び込む方法があったら教えて欲しいぜ。しかも、川べりから五m以上幅跳びして」
 「確かに殺人のようだな。しかし、間が抜けている。体重七〇sの男にたかが五sのブロック片をつけたぐらいでは錘にならないだろうに」
 「だったら、わざと数日後には見つかるようにしておいたってのはどうだ? 時間が経って上がった死体ってのはいい見せしめになるぜ。特に、共犯者にはな。ドザエモンってのはぶくぶくに膨らんじまってるし、赤ムケ青ムケになっちまって酷いもんだ。親でも本人と確認できないくらいにな。予備知識だが、水死体はいくら沈めておいても夏場なら二〜三日、冬場なら一ヶ月くらいで水面を割って、顔からどばっと出て来る。見つけた奴は死ぬまで夢に見るだろうよ」
 キャットに迫る時にはこれをネタに使え、とヒューズは暗に示唆した。ロイは相変わらず不満そうだったが、反論はしなかった。主計大尉が殺害されたことはまだ一般には伏せてある。行方不明になって四日、その間に共犯者の不安は増大しているだろう。大きく膨らんだ風船を破裂させるのは容易いはずだった。
 「二日後までには手筈を整えておく。それでいいな」
 「期待してるぜ」
 ふざけたようにヒューズがエールを送る。ホークアイに睨まれたが、お構いなしだった。










2006,10,14 To be continued

  
 今回のヒューズ、「安全な場所」に続いて、黒ヒューズです。しかし、エドとそういう関係かどうかは有耶無耶……。
 水死体、そういや小学校の時の担任が学生時代に見てしまったそうです。当時、船で通学していたそうですが、船員さんが波間に浮かぶ水死体を見つけてしまい、規則で引き上げなくてはならなかったため、甲板に寝かされているのを見たとか。うう……。(-_-;)