積極的方策 12
エドワードから連絡が入ったのは、翌日の日暮れも近い夕刻のことだった。
「今、どこにいる」
息せき切ってヒューズが電話口で怒鳴るのを、ロイは複雑な面持ちで見ていた。やはりと言うべきか、エドワードは己れではなく、ヒューズを指名して連絡を入れて来た。信用されていないわけではないだろうが、後回しにされた気分だった。
「……ああ、……ああ、そこなら判る。ルーニーって村だな。で、カルソン? その男の家なのか、そこは。……いや、そこで待機しててくれ。すぐ迎えに行くからな。そこを動くなよ。いいか、俺が行くまで絶対動くんじゃないぞ」
念を押すように何度も繰り返して指示すると、ヒューズはほっと安堵のため息をつきながら受話器を置いた。
「鋼のは、ルーニーにいるのか」
「カルソンって親子が冬篭りする時に使う小屋にいたそうだ。そこで救助を求めて電話を借りたってわけだ。運が良かったな、その親子がたまたま冬に備えて小屋の片づけをするために訪れて、エドを見つけてくれたんだ。しかし、ルーニーとはな……」
地図で確認すれば、直線距離で東方司令部から二〇qは離れている村である。否、集落に毛が生えた程度の部落と言った方がいい。一望千里とまでは言わないが、人家もまばらな平原に森になりかけた木々の密集地が点在しており、下手をすると、隣の家が数q先にしかなかったりする。
が、いったいどういう酔狂でそんな遠くまで足を伸ばしていたのか、全く不可解だった。自力で帰れないようなところへ一人でのこのこ出掛けるんじゃない、と怒鳴りつけてやりたい。が、その後はメチャクチャに頭を撫でて小突き回してやろう、とヒューズは思った。
「俺はエドを迎えに行って来る」
そう言うとコートを取り、袖を通しながら足早に室を出て行こうとするヒューズを、しかし、ロイは制止した。
「貴様は、イーストシティの駅まで調査担当官を迎えに行くのではなかったのか。そろそろ到着する時刻だぞ」
軍法機関の者が行かなくてどうする、とロイが意地悪く問いかけてくる。執務室のドアノブに手をかけていたヒューズはぴたりと動きを止め、数秒考えた。
「じゃ、お前が代わりに行ってくれ。俺は急用で行けなくなったと調査担当官殿に釈明すればいい。東方司令部付きの大佐が直々にお迎えに来たとなれば、先方も文句は言わねぇだろうよ」
「それで通用するのか」
「しないと思う」
きっぱりとヒューズは断言した。ロイは額に手をやると軽く首を振った。
「ルーニーへは私が行こう。詳しい場所を教えてくれ」
「しかし……」
「何か都合の悪いことでもあるのか」
「そういうわけじゃないが……」
充分都合の悪いことがあるのだと言外に潜ませながら、ヒューズは迷った。エドワードが己れに連絡して来たということは、昨日相談していたことが上手く行ったのだと思っていい。その結果をロイに先取りされるのは、今現在非常に拙い。かと言って、エドワードを明日の朝まで放置しておくのも拙い。この時くらい、体が二つあれば、と切に願ったことはなかったが、所詮は敵わぬ夢である。
「どうした、急いでいるのだろう?」
逡巡する理由を察しているのか、いないのか、からかうようにロイがヒューズの肩を叩く。
「何を企んでる」
少しばかりの剣呑さを含ませ、ヒューズはロイの手を肩から振り払った。
「別に何も。貴様に代わって遠出してやろうと言っているだけだ。忘れているようだが、エドの後見は東方司令部にある。軍管区内の国家錬金術師が救助を求めて来たのならば、その回収作業は私の義務だ」
他意はない、所属の問題だ、と言い訳しながら、ロイはハボックを手招いた。
「クルマを出せ。さっさと行けば、一時間で帰って来れる」
「了解」
「おい、勝手に話を進めるなよ。俺が行くって言ってんだろ」
「だったら、一緒に行こう。イーストシティ駅で降ろしてやるから、貴様はその足で調査担当官を迎えに行けばいい。エドワードの身柄は確保次第、無事にお前の元に届けてやるから、安心して待っていろ」
と、ロイは請け負った。エドワードと合流できさえすれば、文句はないだろう、という言いざまにヒューズは苦虫を噛み殺したような顔をしていたが、選択肢はない。不承不承頷いた。
「いいだろう。だが、あいつに余計なことをするなよ。質問もなしだ。俺がエドと会うまで、お前は保護者以上のことをするな。奴をとっとと連れ帰ってくれ」
守れるか、とヒューズはロイに肉薄した。が、それへロイは肩を竦めた。
「努力しよう」
「全然誠意が感じられねぇな」
「貴様に言われたくはない」
「そこで睨み合ってないで、いい加減出ましょうよ。エドの奴、待ってんでしょ」
待ちくたびれたようにハボックが軍帽を被り直す。抜糸はすんだが、傷跡はかなりはっきり残っており、まだしばらくは被り物が必要のようだった。願わくば、早く髪の毛が伸びて隠れてくれますように。
「中尉、後は頼んだ」
「はい、行ってらっしゃい」
ホークアイはただ頷いただけだった。たかがエドワード一人のためにわざわざ三人も出かけるなど無駄足以外の何ものでもないと非難したいのは山々なのだろうが、忠告しても聞かないだろうと察したのか、敢えて口を挟むことはせず、さっさと送り出してくれた。
「ところで、どうして鋼のはルーニーにいるんだ」
「それは俺が聞きたい」
「貴様がまた何か用事を言いつけていたのではないのか」
「用事を頼んだのは確かなんだがな……」
言葉尻を濁し、ヒューズは廊下に出て階段を降りると、司令部の外へと向かった。エントランスを抜け、門扉の向こうで待っているはずのハボックの姿を探しながら、ヒューズはロイにはっきりしたことを言わなかった。否、言いたくないようだった。
ヒューズがこういう態度を取る時、大抵は何らかの情報を握っているのだ、ということを、ロイは長年の付き合いで知っていた。しかし、確証が得られず、話していいものかどうか迷っているのだろう。もっとも、確証の度合いが問題だった。オープンにしてもいい確率がヒューズの頭の中でどの程度に見積もられているのか、ロイには読み取れなかった。確度の低いものをやたらと披露しては現場を混乱させるだけ、というのは経験的にはっきりしており、この種の情報公開には、タイミングや容量などヒューズならずとも高級軍人ならば誰でも何度は頭を悩ましたに違いなかった。
が、ロイはそのような内情を遺棄しても、きっちり追及して白状させてやらなくてはならないと思っていた。放置しておけば、また出し抜かれてしまう。それはもうご免だった。
「まぁいい。とにかく鋼のを拾ってやらなくてはな」
「荷物か何かのように言ってくれるなよ。俺には大事な手駒なんだぜ。従順で役に立つ協力者ってのは貴重だからな」
その台詞にロイはむっとした。「手駒」というのは、元々ロイがエドワードに対して使っていた単語だったはずである。いつの間に手の内から移動してしまったのか。まるで横から奪取された気分は、決して快いものではない。神経を逆撫でされたような苛立ちを、しかし、ロイは安易に表情に出したりはしなかった。完璧なまでのポーカーフェイスを保ったまま敬礼する歩哨兵の側を通り抜け、ハボックが定位置に停車させているクルマへと乗り込んだ。
「先に駅へ行ってくれ。こいつを落としたら――」
「ルーニーへ行くんスね」
了解、と相変わらずの咥え煙草で応えながら、ハボックはサイドブレーキを解除し、一度切り返しをしてから、アクセルを踏み込んだ。
体にかかる軽い加速感を感じるや、ヒューズは軽口を叩きだした。
「そういや、少尉。最近はスピード違反やってないか。ずいぶんとかっ飛ばしてたんだってな」
「それはいつの話ですか」
前を向いたままハボックは平然として応えた。今はやってない、という否定にもとれるが、つい最近事故を起こしたばかりという事実を考えれば、ふざけた台詞だった。無論、エドワードを乗せて暴走したばかりであることを、二人は知らない。
「そう尖るなよ。別にスピード違反で挙げてやろうってわけじゃないんだ」
「じゃ、どういう意味ですか」
「聞いてみただけだ」
と、ヒューズはけろりとして引っ込んだ。その様子をロイは苦々しく見ていたが、止めようとはしなかった。この二人が何となく気が合わず、互いにジャブのような軽い殴打を繰り返すのはいつものことだった。相性が悪いのか、ロイの知らないところで衝突でもしたのか、ことあるごとにヒューズがハボックをからかい、挑発されたハボックが口答えする。ヒューズがまたそれを痛烈に皮肉ったり突っ込んだり、それを受けてハボックがバカにするような台詞を吐いたり、息巻いたり……。きりがなかった。
「ヒューズ、調査担当官殿は、今夜どうされるのだ」
「憲兵隊本部及び分隊へおいで願って、今回の事件に関する書類を全部渡す。特高課長にも会ってもらうつもりだ。お疲れだったら直接ホテルへご案内だが、やる気があるなら、徹夜で資料の整理とこれからの捜査方針の協議だな」
「ならば、明日の朝には捜査資料ともども先々の方向性まできっちりまとめられていると思っていいんだな。ならば、早々に議事録の閲覧申請をしておこう」
「おいおい、決め付けるなよ。俺に不眠不休で仕事しろってのか。だいたい、調査担当官だってやる気になるかどうか判らねぇんだぞ」
「だったら、私が首を長くして報告書を待っていると伝えてくれ。そうすれば無碍には断れないだろう。幸いなことに、特高課長のゴーストロン少佐は憲兵としての職務を誠に忠実に履行する人物だ。少佐も早急な事件の解決を熱望している」
「俺を過労死させる気か……」
うんざりした表情を隠しもせず、ヒューズはリアウィンドウの枠に肩肘をついた。
「必要なら付き合ってやる」
「いや、遠慮する」
そう断ると、ヒューズは窓の外へと視線をやった。すでに日が沈みかけ、町は夕闇に覆われようとしていた。人通りはいつになく多かったが、ごった返すほどではない。
さして時をおかず、クルマはイーストシティの駅舎の目の前にあるロータリーに入り、適当な場所で停車した。
「明日の朝イチで司令部へ行くからな。その時、お前に見せられるレポートができているかどうかは神のみぞ知る、だ」
「期待している」
じゃあな、とヒューズが片手を上げ、ロイが後部座席のドアを閉める。ヒューズの後ろ姿を見送るまでもなく、ハボックはクルマを出した。
エドワードのいるルーニーまでは、法定速度を守って約二〇分の道のりである。
「で、あいつは何とかって親子の自宅にいるんスか」
「いや、近くのB&Bに室を取ったそうだ。そこで着替えて、洗濯をして、シャワーを浴びて待っている」
「着替えた? 池にでも飛び込んだんスか」
「さぁな。合流したら聞いてみよう」
どうしてルーニーなどという僻地にいるのかの理由も。以前、尋問して不興をかったせいだろう、あれ以来エドワードに対する一切の質問は無用とヒューズに言い渡されているが、しかし、約束など破るためにあるのである。言った本人がその場にいない以上、ロイは己れの流儀で行動するつもりだった。
クルマは賑やかな市街地を走り抜け、だんだんと人通りの少ない郊外へと入って行く。イーストシティ自体は都市化され、ハイテク化されていたが、その恩恵の範囲はごく限られており、ちょっと足を伸ばせば昔ながらの山野がまだまだ広々と広がっている。ハイキングにはいい環境だろうが、日が暮れてしまうと妙に物悲しい風景が渺茫と横たわっている地域は多い。
一応、カルソン親子の住所は聞いているが、人家自体が少ないため、地図と照合するまでもなく、すぐにそれらしい農家の家屋を見つけた。取り敢えず、庭先でクルマを止め、ハボックが納屋の奥にある母屋の玄関のドアをノックした。
親切なことに、応対してくれた男は、エドワードが投宿することとなったB&Bまで連れて行ってくれた。歩いて一〇分ほどのところにあるこの民宿も、かつては大規模な農家だったらしく、どっしりとした土壁の上に、更にどっしりとした屋根が乗っかっているという懐古的な風情を晒していた。
「エルリックさんなら、二階の部屋にいますよ」
と、人当たりのいい女将が愛想良く案内してくれ、二人は遠慮なく中へと入って行った。
「私も一晩泊まることになるかもしれない。部屋は空いているか」
その台詞にハボックがぎょっとした。
「大佐、司令部に戻らないんスか」
「戻りたければ、貴様は戻ってもいいぞ。私はここで上がらせてもらう。明日の朝イチで迎えに来てくれ」
「そんな……」
がっくりとハボックが肩を落とす。ここで帰りますと言えたら……、と詮ないことを思う。運転手、否、部下としては反駁できず、しかも、断定的に言い切られると、それ以上何も言えなくなる。終業時刻が迫っており、直帰するという申し出を阻むものはなかったが、片付けなくてはならない仕事が残っていないわけではない。しかも、朝イチで迎えに行くとなれば、明朝はいつもより一時間は早起きしなくてはならなくなる。
が、そんな焦燥を知ってか知らずか、女将はにこにこと応えてくれた。
「左隣と向かい側のお部屋が空いてますよ。どちらもシングルですけど、よろしいかしら。今からならすぐお掃除しますよ」
「いや、今夜眠ることができればそれでいい。それと、朝は七時でお願いできるか」
「もちろんですよ」
そう言うと、女将は宿泊者カードをロイに差し出した。それへ、己れの名前と住所を書き込んでから、ロイはハボックを連れて、教えてもらった二階の一番手前の部屋のドアをノックした。
「中佐? 遅かったな」
と、待ちかねたように元気よくドアが開いたかと思うや、タンクトップ姿のエドワードが喜び勇んで抱きついて来た。どういうわけか、酷くご機嫌だった。
が、しかし、それは次の瞬間には凍りついた。否、エドワードはわぁっと悲鳴を上げるや、飛び退るようにロイから離れ、脱兎の如く部屋の中へと逃げ込んでしまった。なかなかの反射神経と俊敏性だ、とロイは感心した。もっとも、逃げた後はお粗末極まりない。ロイは開けっ放しになっていたドアから悠然と部屋の中へ踏み込み、エドワードを部屋の隅に追い詰めた。
「た、た…大佐? 何で、あんたがここに……。って、ヒューズ中佐はどうしたんだよ。ここに来るはずじゃなかったのか」
「ヒューズは急用ができた。代わりに私が話を聞く」
「な……っ」
絶句するように、エドワードが息を呑む。まさかこんな展開になるとは、と心の中でかなり動揺しているのが手に取るように判る。内心面白がりながら、ロイは続けた。
「私が相手では拙いことでもあるのか」
「おおありだ」
ずかずかと己れに近付いて来るロイから視線を外すこともなく、エドワードは睨みつけるように言い放った。それへ見せ付けるように、ハボックがわざと音を立ててドアを締め、がちゃりと内鍵を下ろした。
「聞き捨てならないな。まぁいい。時間はたっぷりある。夜を徹して洗い浚い喋ってもらおう。言っておくが、いつまで待ってもヒューズはここへは来ないぞ」
「中佐があんたに行けってったのか」
「そうだ」
「出任せ言うな」
すぐにエドワードは抵抗を諦め、しかし、全く素直とは言い難い態度でどさっとベットに腰を下ろすと、憤然と腕を組んだ。その目の前に、ロイとハボックは立ちはだかった。
「今までどこに雲隠れしていた」
「どこでもいいだろ」
「よくはない。君は丸一日もの間、行方不明だった。どこで何をしていたのか明確にしなければ、司令部として明日以降の行動の自由は保障しかねる。我々の管轄下にある君が疚しいものに関わったとなれば、責任を問われる事態も生じかねないからな。判ったなら報告してもらおう。ただの気紛れで水泳でもしていたなどとは言わせない」
と、ロイはからかうようにまだ濡れて生乾きのエドワードの髪の毛に触れた。さっとそれを払いのけ、エドワードは憤然と言い返して来た。
「事情はヒューズ中佐に全部話す。あんたに話すことは何もない。それだけだ」
「何故、話せない」
「話す必要がないからだ」
「理由は」
ロイが両手を後ろに回して組み、軽く足を開く。完全に尋問スタイルになった男を見上げ、弥が上にもエドワードは己れの立場を悟らざるを得なかった。と、同時に、ロイの背後で咥え煙草のままにやりと笑うハボックに気付いた。
「あんたに話すのはヒューズ中佐に報告してからだ。いや、中佐から話してもらえばいい。報告書の体裁が整えば、順番はどうだっていいんだろ」
「俺の口からは言えない、と聞こえるが」
「その通りだ」
「どうやら、デリケートな問題に接触したようだな。私に直接言えないということは、私に関係のある情報を得たということだ。それもかなりタイトで全く嬉しくないものだと言っていい。……そうだな?」
「推測でものを言うなよ」
ぷいっとエドワードは横を向いた。反射的に、どこか幼稚な仕種で視線を外す素振りに、ロイは己れの台詞がエドワードに動揺を与えたことを感じた。
「ベイシンガー嬢に関することか」
「冗談」
エドワードの態度は硬化したままだった。これは的外れだったらしい。
「では、ヒューズの隠密行動に関することか」
「何だよ、それ」
エドワードがうっすらと苦笑する。これも違っていたようだった。が、もぐらたたきのような問いかけに、すぐにエドワードは危険を感じた。残念ながら、己れは平然と詐欺紛いの言動ができるほど器用ではない。口先だけの誤魔化しや見得を張る演技には自信があったが、ロイを相手にどれだけ通用するのか、甚だ心許なかった。ちょっとした表情の変化や動き、言葉の端々からエドワードの虚飾など簡単に剥ぎ取ってしまうだろう。丸裸にされた後は思う存分切り刻まれ、いいように料理される。
「いい加減にしろよ。また俺の腕を折ろうってのか」
「折ってはいない。間違えるな。もっとも、お望みなら、そうしてあげてもいいが」
ちらりとロイが後ろで控えているハボックに目配せする。あからさまにエドワードはぎくりとした。が、あくまで口調は強気だった。
「んなわけねーだろ。そうやってすぐ強硬手段に出ることしか思いつかないのかよ、あんたは。貧相な頭だな。そんなんだから、軍人ってのは嫌われるんだ」
「君に言われたくはない。それよりも、ハボックが気になるか。だったら、下がらせよう。今、隣の部屋が空いているそうだからな」
「代わりに、洗い浚い喋れって?」
「そういうことだ」
どういう交換条件だ、とエドワードは吐き捨てるように呟いたが、このまま膠着状態になっても困る。こんなところにまで来て痛い思いをしたくはなかったし、朝まで凄み合う余裕もゆとりもなかった。ヒューズには事後承諾でもいいか、と思い直し、エドワードは大きく肩でため息をついた。
「俺にメリットがない。半日も地下に潜ってたんだぞ。少しくらい、見返りがあってもいいんじゃないか」
「地下に? 何をしていたんだ。いや、どこから入った」
「どこでもいいだろ」
と、嘯いたエドワードは、しかし、その直後、何か諦めたようにがっくりと項垂れた。
「判った。もういいや。少尉を遠ざけてくれよ。それと、中佐に電話を入れさせてくれ。OKが出たら、何で俺がそんなとこにいたのか、話してやるよ」
自棄になったのか、エドワードが妥協案を提示する。ロイに拒否する理由はなかった。電話は一階の玄関脇にあるから、と言い残して、エドワードはとっとと階段を降りて行くと女将に断ってから受話器を取り上げた。
会話は数分もかからなかった。Uターンして二階に戻ると、エドワードはロイに約束の履行を迫った。
「いいだろう。ハボック、悪いが、隣の部屋で待機していてくれ。私がいいと言うまで、好きなだけ煙草でも吸っていろ」
「それもいいんスけど、ここに来る途中に万屋がありましたから、何か食べるものを買って来ますよ」
「そうだな」
三人とも夕食がまだだった。B&Bでは、朝食は用意してもらえるものの、事前に予約をしなければ、夕食にはありつけない。こんな辺鄙な村の万屋では大したものは期待できないが、何もないよりはマシだろう。そう思い、ロイはハボックの外出を許可した。
ぱたんとドアが閉まり、かつてはホストファミリーの誰かが使っていただろう個室に、エドワードとロイは二人っきりで取り残された。
「最初に言っとくけど、別に俺はあんたにも少尉にも、これっぽっちも他意はないからな。変な勘繰りはするなよ」
「勘繰りとは?」
「純粋にコトの発端を追っていたら、とんでもないものが出て来た。そのことに関して、必然性はないってことだ」
「予想外のものを偶然掘り当てたということか。つまり、我々司令部の者にとって極めて都合の悪いものが見つかったが、それは自分が望んだことではない。無論、故意でも嫌がらせでもない、と」
「そういうこった」
「今回の事件に関して、と解釈していいか」
言いながら、ロイは再びベットに腰かけたエドワードに近付き、改めてその前に立った。すうっと影が差し、エドワードは露骨に嫌そうな顔をしたが、口を開く方が先だった。
「だから、いくら気に入らない結果になっても俺を責めるなよ。俺のせいじゃないんだからな」
「もっと絞り込めば、私に関して、ということだな」
「そうだ」
何か観念するように、エドワードは頷いた。ここまで来ればもう躊躇いも障害もない。エドワードは廃教会の床から地下の鍾乳洞へ入って行った経緯を暴露した。
「あそこの地下、かつては納骨堂でもあったんだよ。よくあるだろ、教区の住人が死んだら、教会に葬ってくれっての。幾許かの寄付をすれば遺体をずっとあそこに安置してくれてたんだろうな。元々は乾燥した空洞で、ミイラがいっぱい積み上げてあったらしいんだけど、何十年か前に地殻変動だか大規模な地震だかがあって水没しちまったらしい。地底湖の水が流れ込んで、納骨堂の遺体はかなりの部分が水浸しになっちまってたぜ。で、最後の管理者がここはもう使えないと判断して、教会を遺棄したわけだ」
地下に充満していた悍ましいまでの腐臭と死臭を思い出し、エドワードは吐き気を催した。湿気が腐敗を促進させたらしく、内部に籠っていた臭気は並大抵のものではなかった。が、しかし、その納骨堂の奥にあったもう一つの小部屋に抜け道の扉はあった。エドワードが予想していた通り、教会や地域の住人に何かあった場合の避難所として、外に出るための通路がちゃんと用意されていたのである。
しかも、納骨堂の奥は古い書類を保管しておく保管庫の役目も負っていたようで、古びてぼろぼろになった上に水気を含んで黒ずんだ木製のキャビネットやチェストらしきものがいくつも整然と並べられていた。ついつい錬金術師の好奇心で、エドワードはその中身を探ってみた。古いものは羊皮紙に書かれたものもあり、考古学や歴史学に興味のある研究者なら泣いて喜びそうな一級品の史料もあったのであるが、大半は代々の神父の日記や祭事の記録、寄付金のリストなどであり、エドワードには退屈極まりない内容だった。
次第にうんざりし始め、いい加減さっさと切り上げて外へ出ようと思った、その時だった。
「キャビネットの端っこに、何かが挟まっているのに気付いたんだ。よく見なくても、ごく最近のもの、というか、ほんの数日前に置かれたばかりって感じのもんだった。まだ湿っけてなかったし、汚れてもなかった。だから、やたら目立って妙な感じだったんだよな。軍で使ってる封筒だと判ったのは、キャビネットから引きずり出してからだけど」
「誰かが、少なくとも数日前にそこを訪れ、封筒とその中身を隠した、ということだな」
「多分な」
「何が入っていた」
「数字がいっぱい書かれた紙が大量に入ってた。俺、そういうのに詳しくないんだけど、あれって経理関係のものなんじゃないのか。項目に取引区分とか売掛とか書かれてあったぜ」
そこまで聞けば、ロイにもエドワードが何を見つけたのか自ずと判った。
「まさか、テリナ主計大尉が我々に提出しようとしていた書類か。処分されてなかったのか」
「らしいな。だけど、俺にはあれがそうなんだとは言えない。ちゃんと見たわけじゃないし、経理簿なんて何をどうやって処理してんのか全然知らないし……。だから、ヒューズ中佐に渡して中身を調べてもらおうと思ったんだ」
「その封筒はどこにある」
「元の場所に置いといた。後で取りにくればいいと思って」
「何だと?」
「外に出るまで俺が何q歩いたと思ってんだ。あんな足手まといになるような荷物抱えて二〇qも歩けねーよ。周りは真っ暗闇なんだぞ。途中でランプの火は消えちまうし、通路は通路ででこぼこしている上に、天井が崩落してて這って歩かなきゃいけないような狭いところもあったし……」
さんざんな苦労の末、何とか地上に出て来れた時は、服も髪も靴もどろどろぐちゃぐちゃだった。冷たい外気に触れた瞬間の清々しさ、開放感、達成感に安堵感、その他諸々の感情は、とても言葉では言い尽くせない。
「もっと近くに出口を作っとけよな」
と、罵りながら森の中をよろよろとさ迷い歩き、みすぼらしい倉庫のような炭焼き小屋を見つけた時は、思わず、「生きていてもいいですか」と呟きたくなった。
「仕方ないだろう。追っ手に捕まらないよう逃走するための通路だ。目立った場所やすぐ見つかるような近隣に出口は作れないに決まっている。しかし、二〇qも先とはな。この抜け道を作った者はずいぶんと用心深い性格の持ち主だったのだろう」
「そりゃまそうだけどな」
「無事でよかった」
が、そう言ったとたん、エドワードが奇妙な顔をした。
「どうしたんだよ、あんたらしくもねーな。書類の方が大事だ、今から引っ返して取りに行って来いって言うかと思った」
「そうか。いや、そうだな」
「悪いけど、書類の方は後で誰かに取りに行かせてくれ。俺はもうあそこに潜るのはご免だ。地下通路の見取り図なら覚えてる限りいくらでも書いてやるから、後はあんたらで勝手に探して持ってってくれよ」
「判った。忘れないうちに地図を頼む」
言いながら、ロイは筆記用具を持って来なかったのを残念に思った。エドワードがそう簡単に己れの歩いた道を失念してしまうとは思わないが、確実なものが今すぐ欲しかった。テリナ大尉の持っていた書類さえ入手できれば、この事件は終了する。それを今日到着したばかりの調査担当官に渡せば、被疑者死亡のまま軍法会議に訴えることができるし、日を置かずとも結審するはずだった。決して思い通りの結末にはならなかったが、これでやっとひと息つけるだろう。
思い返してみれば、ほんの数日だったというのに、事態が二転三転し、挙げ句には中央の情報部まで首を突っ込んで来るという事態を引き起こしてしまったせいか、酷く長くかかったような気がした。
しかし、明日には例のコール少佐にそれなりの報告をすることができるだろう。余裕があれば、アイロスの背後関係についても聞かせてもらおう。またあの豪奢な姿を間近で拝めるなら、その手続きもセッティングも煩雑ではない。
「ところで、私の気に入らないことというのがまだ出て来ていないな。それが何なのか、応えてもらおう」
「この書類だけど、誰が隠したと思う?」
「テリナ大尉ではないのか。そんなところに隠していたとは意外だったが、身の安全がかかっていたからな、私に会う前に証拠品を手許から離して確保していたのだろう」
当の本人が持っていては、殺されて奪われてしまう。その危険を回避するため、証拠品と己れを切り離し、俺を殺したら書類は永遠に手に入らないぞ、とやり取りするつもりだったのだろう。が、その台詞に、エドワードは奥歯を噛み締めるような苛立たしさを見せた。
「本当にそう思うか」
「どういう意味だ」
「俺が教会に目をつけたのは、何故だと思う。言っておくけど、俺はあそこに地下室がありそうだったから面白がって覗きに行ったんじゃない。ヒューズ中佐に行けと指示されたわけでもない」
「自分の好奇心を満たすためではなかったのか」
ロイにとっては予想外の動機だった。てっきり己れが破壊させかけた物件の様子を見に行ったのだとばかり思っていた。地下に通路があるのを知って興味津々で降りてみたら、何らかの不都合に遭遇してしまい、出るのに時間がかかってしまったのだ、と。偶然の産物で証拠書類が見つかった、と言いたいがために、「必然性はない」と断ったのではないのか、とロイは怪訝に首を傾げた。
「そういえば、コトの発端と言っていたな。確認しておくが、その発端というのは、テリナ大尉をはじめとする一連の口封じに関しての件だけではないのだな」
「そうだ。事件はテリナ大尉が内部告発の件をあんたらに伝えたことに発したはずだけど、俺がそれを知ったのは、ハボック少尉があの教会の近くで事故ったと聞いた後だ。だから、俺にとっては、ハボック少尉の交通事故の方が先だった」
「その事故に関して、疑惑でも見つけたか」
今のところ、教会とハボックの事故に関して関連性は何もない。エドワードが指摘しなければ、きれいさっぱり忘れていたところだった。それを今頃引きずり出して来て、どういうつもりなのか、とロイは怪訝に思った。
「疑惑ってほどのもんでも……、いや、やっぱ疑惑か」
「説明したまえ」
「ブレーキ痕だよ。少尉の乗っていたクルマがつけたヤツ。アスファルトにかなりはっきり残ってたんだけど、あれ、何だか不自然なんだよな」
「それで?」
続けろ、とロイが顎をしゃくる。それへエドワードは難しそうな顔をした。
「少尉の言ってたことと矛盾するような気がするんだ」
「奴は事故の前後一時間の記憶が吹っ飛んでいる。はっきりした証言はできないはずだ。その辺は割り引いてくれ」
「それに関して異議はない。だから、少尉の言ったことは全部忘れて、物証だけ集めてちゃんとした検討を加える必要があるんじゃないのかってことだ。まぁ、それはともかく、改めて見てみたら、疑問に思える点に気付いたんだよな。俺は専門家じゃないから、ブレーキ痕に関しては、純粋に物理的な法則で考察するしかないんだけど、ぶつかったってか、クルマを当てて来たのは、相手側じゃなくて少尉の方なんじゃないかって思うんだ」
「根拠は」
「その前に確認するけど、少尉の乗っていたクルマ、アンチロックブレーキシステムは搭載してないよな」
「そのはずだ」
アンチロックブレーキシステム、略してABS。急ブレーキをかけた場合、普通はタイヤがロックされてしまい、固定されたままで路面を滑っていくため、雨などが降って道路が濡れている時スリップしやすく、事故に遭いやすいのであるが、このABSが搭載されていると、ブレーキをかけている状態でもタイヤがロックされないため、ハンドルを切ることができるのである。故に、走行の途中、急ブレーキをかけるような緊急事態になっても冷静にハンドリングすれば、事故は回避できる。
「ABSなしなら、急ブレーキをかけた場合、地面に残るのは、縞目が縦に入った引きずり痕ってヤツになってるはずだよな。タイヤがロック状態になった証拠だ」
「そうではなかったというのか」
「俺が見た限り、転がり痕だったと思う。こいつは縞目が横に入ってる。二本のブレーキ痕がカーブを描いていたから、衝突を回避しようとしてハンドルを切って、その勢いで道路から落ちたってのは確かだけどな。でも、その直前に急ブレーキは踏んでいないんだよ、少尉は。わざと当てようとしたか、もしくは、相手のクルマを止めようとしたみたいだ」
「しかし、あくまで素人の見た判断だ」
「そう。だから、憲兵隊にそのことを言ってくれってヒューズ中佐に頼もうと思ってたんだ。そういう捜査は専門家に任せるべきだからな。俺は、単におかしな点があるって意見を言おうとしただけだ」
「ハボックが嘘をついていたというのか」
「どうかな。記憶障害が残ってんだろ、まだ。クルマが接触する直前や瞬間を目撃した人はいないんだから、事故そのものの経緯は少尉の体験談というより、後になって憲兵の誰かから聞かされた内容かもしれないし、自分で作り上げた記憶かもしれない。詐話ってのをやっちまうんだってな」
「詐話というのは、そういうものではないのだが……。しかし、偽りの記憶を捏造してしまうという可能性は否定できない。問題は、全てなのか一部分なのか、ということだな。残念ながら、ブレダとの作業でも記憶の完全修復は無理だった」
「それに、何故、対向車を止めようとしたか、だな。乗っていたのは少年で、クルマは盗難車だったんだろ。少尉の知り合いってわけじゃなさそうだし……」
「捕まえてみないことには何とも言えないな」
が、少年の行方は未だ杳として知れない。どこへ消えてしまったのか、追跡できるだけの痕跡はなく、確実性を約束する物証は何もない。
「成る程、君がヒューズに先に報告しようとしていた理由がよく判った。憲兵隊本部の本格的な協力が必要だな」
言われるまでもなく、司令部が率先してタッチする部分ではない。どうやらロイは見当外れのことに首を突っ込んでしまったらしかった。もっとも、ハボックが関わっているのなら話は別だ、とロイは己れに言い聞かせた。何ぴととも、己れの許可なく部下の尋問及び聴取など許可する気はない。
「あの地下通路に書類を隠しておいたのは、テリナ大尉じゃないのかもしれない。もしかしたら……」
と、言いかけ、すぐにエドワードは言い直した。
「いや、これは根拠のない推測だな。やめとくよ」
「いい。言ってみろ」
「いいのか」
「構わない」
ロイが顎をしゃくる。エドワードはため息をつくと、続けた。
「テリナ大尉が殺されて、その時に奪われた書類を誰かがあそこに隠したんじゃないか」
「それは――」
「だって、考えてみろよ。キャットが殺された時も、俺とヒューズ中佐が殴打された時も、疑いが司令部にかからないように、いや、具体的に言えば、あんたに容疑がかからないように誰かが裏で動いてた。横領事件の関係者が次々殺されてんのに、決定的に司令部が不利になることはなかった。そうだろ?」
「……」
ロイは口を噤んだ。それは、以前にもヒューズが指摘したことであり、己れが感じていたことでもある。その図式に当てはめれば、横領の確実な証拠となる書類が破棄されず、探せば見つかるような場所に隠されていたというのは、必然的な成り行きだった。もっとも、意外にも早々と、司令部の人間ではないエドワードが見つけてしまうというのは隠した者にとって予想外の出来事だっただろうが。
これも、コール少佐をはじめとするG2の牽制策が功を奏したということだろうか。
いや、違う、とロイは即座に否定した。コール少佐が介入して来たのは、テリナ大尉が殺害されてから後のことである。それ以前の事件に関しては、手を出していないはずだった。
「誰かが我々を庇っているとでも言うのか」
「根拠のない推測だって言ってるだろ」
ちゃんと先に断っておいたぞ、とエドワードは憤然と腕を組んだ。
「俺の話はそれだけだ」
と、エドワードが宣言し、二人の会話は打ち切られた。後はあんたらがやってくれ、ということなのだろう。
タイミングのいいことに、外でクルマのエンジン音とともに、砂利を踏みしだく音が聞こえて来た。ハボックが買い出しから戻って来たらしい。
ロイは踵を返すと、そのまま部屋を出て行ってしまった。エドワードはため息をつくと、ころりとベットに横たわった。決して上等とは言えない敷布ではあったが、きちんと洗濯してあるそれは、寝転がると酷く心地よかった。
ロイとハボックが来る前は食欲もあったのだが、今はとてもではないが、何かを口にする気分ではなかった。このまま寝てしまおう、ひと眠りしたら泥のような疲労感も足の痛みも軽くなっているに違いない。漠然とそう思いながら、エドワードは上半身だけ起こして手を伸ばすと室内灯を消し、ゆっくり目を閉じた。
寝つきのいいエドワードはそのまま眠りの中へと引き込まれて行き、しっかりと熟睡して、朝まで目を覚まさなかった。
もっとも、夕食抜きの空腹が辛かったわけではなかろうが、何故かエドワードはかなり早朝に目を覚ましてしまった。
何かの物音が聞こえたか、気配を感じ取ったらしい。泊り客の誰かがトイレへでも行ったのか、と最初は思った。民家をちょっと改造して経営しているだけに、隣室や廊下での生活音が筒抜けだったりすることも多く、またそれか、とエドワードは寝返りを打った。
カーテンを引いていない窓から、まだまだ白み始めたばかりの夜明けの空が目に入り、何となく肌寒さを感じた。
体からずり落ちている毛布を引き寄せようと手を伸ばした時、不意に己れが感じ取った気配が何なのか、悟った。と、同時に首を捻る。
「どういうことだ……」
エドワードは寝台から降りると、ドアへと近付いた。身を屈め、ドアノブに手を伸ばして指先で触れると、そこにざらりとした感触があった。明確な痕跡ではなかったが、何らかの金属変成を窺わせるものだった。思い出すまでもなく、エドワードにはその独特の手触りに覚えがあった。
ここに、何らかの錬成陣が記述されていたのである。消滅して数分と経っていない。恐らく、消滅の際の錬成反応を感じ取って、目が醒めてしまったのだろう。生成と同じく、消滅するにもエネルギーが要る。エネルギーが消費されれば、人の皮膚の上に張り巡らされた触覚に捕捉される。鈍感な者には感じ取れないが、数多くの練成反応を間近で体験して来たせいか、エドワードはその手の変化や違和感に敏感だった。
片膝を折り、ドアノブを下から眺めて見ると、思った通り、僅かに黒く煤けたような痕跡が残っていた。
いったい何の錬成だったのか。どうにかして読み取れないかとエドワードは屈んだ姿勢のまま位置を変えたり角度を変えたりして視線を当ててみたが、無駄な努力だった。消滅してしまった錬成陣を見ても、何を練成するためのものなのか判然としない。それどころか、錬成陣自体がかなり小さなものであったらしく、時間が経過すれば、ここにそんなものがあったことすら判別できなくなってしまうだろう。
しかし、誰がこんなことをしたのか。
ロイが出て行ってから、この室には誰も入ってはいないはずである。内鍵は外から動かせるタイプのものではなく、開閉できる窓は寝台のすぐ側にある。侵入者があれば、エドワードが気付かないはずがない。とすると、エドワードが投宿する前に描かれていたのかもしれない。
では、何の目的で?
皆目見当がつかなかった。
「くそ……っ」
エドワードは小さく罵ると、立ち上がった。
このことをロイに報告すべきかどうか、頭の中で考える。B&Bの住人が客の意向を伺って何らかの仕掛けをしていたと考えられないこともないが、わざわざ証拠隠滅の処置をする理由が判らない。
やはり、これはエドワードやロイ達の動向を窺うために刻印された錬成陣だろう。敵方は常に自分達の先を行っている。その手掛かりの断片がこれかもしれない。ならば、警告だけでもすべきだろう。ただ、聞く耳を持ってくれるかどうかは判らないが。
やはり、ヒューズにさっさと動いてもらうべきだった、とエドワードは後悔したが、後の祭りだった。
いや、もう動いているかもしれない。こんな早朝ではあるが、憲兵隊本部は二四時間体制で待機しているはずである。連絡を入れれば煩がられるだろうが、国家錬金術師の要請を無碍に断るようなことはない。
「そうだな、そうしよう」
もう目は醒めてしまっている。エドワードは身繕いをすると、そっと音を立てないようにドアを開き、廊下に誰もいないことを確認してから身を乗り出した。
ひんやりとした空気が肌に痛い。足音を抑えるため、靴を履かずに裸足で一歩を踏み出すと、這い上がって来るような冷気にぞくりと下肢が震えたが、構わずひたひたと歩き出し、すぐ目の前の階段を目指した。
確か、ロイとハボックはエドワードの室より手前のシングルルームに泊まったはず。そのドアの前を通り抜ける時はさすがに緊張感が走ったが、静まり返ったまま何の気配も感じられなかった。階段に足を下ろした後、念のため後ろを振り返って見たが、ロイもハボックも出て来る様子はなく、ことりとも物音はしなかった。
まるで敵地にでも入ったような気分だ、と内心苦笑しながら、エドワードは階段を降りると、カウンターに置かれている電話に手を伸ばし、受話器を取り上げた。
ヒューズに教えてもらっていた番号をダイヤルすると、すぐに交換台のオペレータが応答してくれた。自分の名を名乗り、ヒューズ中佐がそこにいるかどうかを聞くと、担当らしい特高課に繋いでくれた。
『よう、どうした、こんな朝っぱらから』
伝わってくる声に疲れが滲んでいた。徹夜したのだろうか、それとも、仮眠を取っていたところを叩き起こしてしまったのだろうか。いずれにしても、東部に来てからずっと激務の連続である。
「ご免、そっちの方が気がかりで……。書類の回収はいつやるんだ」
『人員は手配した。夜明けとともに出る予定だ。何せ、崩壊した廃屋の下に潜り込むんだからな。明るくなってからでないと危険じゃねぇか。おい、まさか、作業を早めろって催促じゃないだろうな』
「いや、そこまでは強制しない。段取りはそっちに任すよ。話は変わるけど、ハボック少尉の交通事故の捜査はどうなってんだ」
『それなんだがな、妙な具合だ』
「妙? 何が?」
『目撃者だって名乗り出ていた人物が、みーんな口を噤んじまった。証言を拒んだってことなんだが、まぁ思った通りだな』
ヒューズの声に落胆した響きはない。寧ろ、やっぱりそうだったか、と嬉しげだった。
「証言を拒んだってことは、最初に言ったことを否定したと取っていいんだな」
『そうだ。証言を確認するが、これは全て中央の憲兵司令部に報告されて記録に残る、後で偽証だと判ったら、懲役刑を含む犯罪に問われることになる、憲兵達が大挙して押し寄せて来るぞ、と言ったら、とたんにだんまりだ。少尉を救出してくれた人物も、自分のやったことしか証言できないって引いちまったぜ』
脅迫と紙一重の台詞に証人達は揃って前言を翻した、ということは、そこまでして誰かの言いなりになる義理はない、ということである。小金を掴まされて、あんたの不利になるようなことはないから、と見知らぬ者に偽証を依頼された、というよくある事実隠蔽の工作が行われていたのだと見ていいだろう。
「ということは、少尉にぶつかったクルマも、クルマに乗ってた少年ってのも、デタラメかもしれないってことか」
『そう見て間違いないだろう。東方司令部の者が聞き込みに来たら、こう応えろ、と誰かが指示していたんだ。もちろん、買収に走った奴か、その仲間がやったんだろな』
その誰か、というのが問題だった。ヒューズには見当がついていたが、今ここで不確かな情報をエドワードには教えられなかった。
「じゃ、誰が例の書類を隠したんだろうな、あんな危険な場所に」
『架空の不良少年じゃないってことは確かだ。どこかの捨て駒があの教会を通路にしてたらしいが……』
「捨て駒?」
『使い捨ての雑魚のことだ。金をやるから、あれをしろ、これをしろ、という指示を受けて動くパシリ連中のことだな。麻薬の運び屋なんかが典型的だ。ルートを教えてやるから、言う通りの場所に行って、そこで待っている人物にブツを渡せ、渡したらすぐ戻って来い、それ以上のことを知る必要はないってな。だから、そういう雑魚を捕まえても背後にいる組織の情報は引き出せない。捨て駒ってのは結構使い勝手がいいから、どの組織もよく利用してる。使われる方も小遣い稼ぎ以上の収入になるってんで、アルバイト感覚で手を出す』
「救えねーな」
『ま、そっちはそっちで当たってる。結果が出たら教えてやるよ』
「判った。まだそっちにいるのか」
『ああ、しばらくはな』
では、今日はずっと憲兵隊本部に詰めているのだな、とこの時、エドワードは解釈した。調査担当官も一緒にいるからには、司令部に行く暇などなくなったのかもしれない、と。
これ以上、ヒューズに手間を取らせるのも悪いと思い、エドワードは早々に電話を切り、大きく嘆息した。
――前提が崩れた。
受話器を置いて、エドワードは漠然とそう思った。ハボックはただ交通事故に遭っただけではない。何らかの「現場」を目の当たりにしたのである。しかも、見てはいけないものに類するものを。
さすがに、記憶障害に陥ってしまったというのは相手側にとって予想外だっただろうが。否、これも計画的なものだったのかもしれない。そして、それを利用する方向に動いたのかも……。想像を逞しくしてみれば、様々な可能性が考えられた。
いったい、何者が介在したのか。
そう考えた直後だった。不意に、がしっと肩を掴まれ、文字通りエドワードは飛び上がった。
「誰と話してたんだ、大将」
「し、少尉……っ」
いつの間に背後に立たれたものか、すぐ後ろにハボックがいた。軍服の上衣を脱いだ黒シャツ姿で、すでに起き抜けではない表情を見せており、いったいいつからそこにいたのか、エドワードは全く気配を感じなかった。
「何をそんなにびくついてんだ。俺はただの通りすがりだぜ。疚しいことでもやってましたって顔してるな」
怪しいぞ、と軽口を叩いてから、ハボックはふと思い出したように言った。
「いや、そうか、こんな朝っぱらからヒューズ中佐にラブコールしてたんだな。人目を忍んで、声だけでも逢瀬に励むとはずいぶんとマメだ」
「そんなんじゃない。いきなり声をかけられたから驚いただけだ」
ふーん、とハボックが納得したのかしていないのか、曖昧な返事をする。未だ心臓がばくばくと高鳴り、頭に血が昇っていたエドワードは、必死でそれを収めようとした。
「ヒューズ中佐はまだ憲兵隊本部に詰めてるって?」
「ああ」
「だったら、司令部に戻る頃には仕事の段取りがついてるだろ。俺達は七時半にはここを出るが、お前はどうする。中佐に迎えに来てもらうのか。それとも、一緒にイーストシティに戻るか」
「一緒に行くよ。二度手間だろ」
「そうだな」
にやりと、ハボックが笑う。何か含んでいるような、それでいて大した意味のない笑みだった。エドワードは、そそくさとその場を離れようとしたが、しかし、ハボックは階段の昇り口を塞いだまま動こうとしなかった。
「まぁ、そう素っ気なくするなよ。ちょうどいい。お前に言っておくことがあったんだ。五分ほど付き合え」
「何だよ」
つい面倒臭そうな声が出る。が、ハボックは階段に腰かけると、床に足を伸ばした。必然的にエドワードはハボックの目の前に立つこととなったが、視線の高さがあまり変わらないのが業腹だった。
「前々からお前に言おうと思ってたんだがな……」
と、ハボックは珍しく煙草を咥えることもなく、大儀そうに口を開いた。
「お前、ヒューズ中佐にまとわりつくの、いい加減やめろ」
「何でだよ」
「仕事の邪魔だ」
「な……っ」
そんなことも判らないのか、と言いたげにハボックは肩を竦めた。そんなつもりはない、と反駁しようとしたエドワードは、しかし、すかさず機先を制された。
「どういうつもりかは知らないがな、部外者に知ったかぶりされて周囲をうろつかれるのは目障りなんだよ。ただでさえ士官気取りで司令部に出入りされて、みんな迷惑しているのが判らねぇのか」
「迷惑だと……?」
「気付いてなかったのか。まぁ、お前らしいがな。だが、空気ぐらい読めよ」
小馬鹿にしているのか、それとも本当にそう思っているのか判らなかったが、ハボックは思ってもみなかった言葉を続けた。否、誰かがいつかは言わなくてはならない忠告だったのだろう、充分その意図を含ませた台詞に悪意はなかったが、エドワードは文字通り胸を衝かれるような衝撃を受けた。
「そりゃお前がヒューズ中佐に甘えたいのは判るぜ。ああいうざっくばらんな性格だからな。とっつきやすいし、話もしやすい。お前みたいなガキでもちゃんと相手にしてくれる。一緒にいて楽しいだろうよ。しかも、お前にとっちゃ恰好の情報源だ。だが、そろそろやめてくれないか。中佐を突付いて軍の重要な情報を引き出そうってのなら他を当たってくれ」
それでなくとも、ヒューズは時に喋り過ぎとも思えるほどの鷹揚さで軍の内部情報をエドワードに漏らすことがあった。今のところ、情報部の耳目を集めるような問題は引き起こしていないが、甘く見ていると痛い目に遭うというのがこの世界の常識だった。いかに用心していても、ちょっとしたミスから鉄壁の砦は決壊する。
ハボックの言い分が判らないわけではなかったが、余りにもあからさまで棘のある言い方に、エドワードは憤然とハボックを睨んだ。
「俺がスパイまがいのことをやってるってのかよ」
「お前にとっちゃ俺達の任務もお遊びの延長に見えるんだろうな。探偵ごっこをするには恰好の場所だ。だが、何かトチったら、中佐は情報将校としても中央との連絡将校としても、その資質を疑われかねない。お前の迂闊な言動のせいで。そうなってもいいのか」
「そんなこと、一度も思ったことない」
「だったら、自分の立場を弁えろよ。いくら国家錬金術師だろうが少佐待遇だろうが、お前はあくまで軍属だ。軍人じゃない」
「士官学校を出てないから、軍人同士の結束や連帯感とは縁がないって?」
「立派に部外者だろ」
しかも、まだ一五のガキだ。しれっとしてハボックは断言した。本来なら、士官学校の予備校とでも言うべき幼年学校に通っている年齢だった。エドワードは歯軋りするほどの怒りを感じたが、残念なことに、ハボックは間違った指摘をしているわけではない。それだけに何も言い返せず、これまで当然だと思っていた己れの行動を一から否定され、非難された悔しさに、強い羞恥を感じた。否、血の気の引くような感情の昂ぶりに四肢が戦慄いた。
士官学校を出ていない者が、士官待遇の軍人となるルートはかなり狭き門であるのは周知の事実で、特に下士官から抜擢されて士官候補生になり、士官として登用される者はこの一〇年でたった数人と言われる。しかも、士官学校で集団訓練の実技を受けていない者は、いざという時団結心に欠け、統制が取れない、と評価されて差別の対象となっていた。もっとも、それはただの言いがかりで、士官学校卒業生の根拠のないエリート意識を居丈高に表現したものとも言われている。
が、一つのセクションが別のセクションからの干渉を嫌って排他主義になる傾向は、軍の組織に限らない。そのような現実を知らないほど、エドワードも子供ではなかった。
「これ以上、首を突っ込むなってことか」
「そういうこった」
「判ったよ」
ぎゅっと握り締めていた左の掌に爪が食い込む。エドワードは吐き捨てるように返事をすると、ハボックを押しのけ、階段を上がろうとした。が、引き止めるように、その腕をハボックが掴み上げる。
「判ったのなら、さっさとアルフォンスと合流して南部でも北部でも、どこでも好きなところへ行っちまえ。お前らの本来の仕事だろ」
さすがに戻って来るな、とは言わなかったが、充分その意図を汲み取り、エドワードは邪険に手を振り払った。
「うるさい」
「お前の身のためだぞ」
「うるさい……っ」
もう一度繰り返すと、エドワードは今度こそハボックの脇を通り抜け、階段を昇ってその先にある己れの室へと向かった。腹立たしさそのままにドアを開け、中に入ると、エドワードは壁にもたれて唸った。
「くそっ」
感情のまま壁を殴ろうとして、しかし、寸でのところで思いとどまった。ここは他人様の家屋である。素手でも機械鎧でも、思いっきり叩けば、土壁などドス穴が空いてしまうだろう。さすがにそれは憚れた。
こういうむかついた時は、布団に潜り込んで不貞寝するか、外に出て走り回って不満を発散するか、どちらかなのであるが、玄関に居座っているハボックを押しのけて屋外に出るという労力を考えると、前者を選択せざるを得なかった。
毛布を頭から被って目を閉じると、しかし、なかなか眠気は戻って来なかった。人は朝になれば目を覚ますものである。時間的に二度寝は難しいタイミングだった。
「チクショーっ」
口の中で罵ると、エドワードは毛布を跳ね除けてベッドを降り、ドアへと近付いた。どかっと床に腰を下ろし、改めてノブの下側を覗き込む。苛立たしさが募ると同時に、先程消滅してしまった錬成陣の不可解さを思い出したのである。
「時限式だよな、これって……」
もう一度、ざらりとした痕跡に指先を這わせる。憤然と、しかし、気を逸らすものを求めて、エドワードは構築式のいろはに思いを馳せた。
普通、錬成陣は術師の生体エネルギーを円陣に周回させることにより起動し、構築を開始する。故に、その場に術師がいなければ、錬金術の起動も消滅もできないはずだった。
が、無人のうちに錬成陣が勝手に生成、消滅したのである。これはいったいどういうことか。エドワードは酷く好奇心を掻き立てられた。
「時限式ってことは、本来の構築式を起動させるのに、別のコードが記述されてたってことだよな。例えば、構築を中断させていたとか、起動させるためのスイッチが固定されていて、他のアクションに連動したイベントが組み込まれてたとか……」
考えられる仕掛けやからくりはいくらでもある。遠隔操作、セルオートマトン、ターゲットのリンク、別の手段での変数の挿入……。
エドワードの頭の中で、その設計と構築式が次々と組み立てられ、コーディングされ、リンクされ、そのフローチャートが縦横にどっと広がって奔流のように溢れ出して来る。それをまとめて処理し、上手く行かなければ一つ一つ吟味し、取捨選択する。あれがダメならこれ、これがダメならあれ。
たちまちのうちに、エドワードはその思考の海の真っ只中に埋没して行った。
気が付くと、日が昇っていた。
こんこん、といきなり目の前でドアがノックされる。
「……っ」
不意を衝かれたエドワードは、弾かれたように床に転がり、背後に手をついた。
「おーい、起きてるか。そろそろ朝飯だぜ」
どこかのんびりとしたハボックの声だった。はっとして窓の外を見遣ると、しっかり外は晩秋の穏やかな朝日に満たされていた。
「今行く」
気を取り直してドアを開けると、玄関で会った時と同じ恰好でハボックが立っていた。ただ違っていたのは、すでに火のついた煙草を咥えていたことだろう。
「下のリヴィングに来いってよ。場所は判るな。それとも、連れてってやろうか」
「一人で行ける。バカにすんな」
「先に行ってるぜ」
憎らしいと言うべきか、ハボックは回れ右をするとさっさと廊下の向こうへ行ってしまった。
エドワードはタンクトップの上に、窓辺に干しておいたジャケットを取って羽織るとブーツをきちんと履いてから部屋を出た。
B&Bでは、普通、ホストファミリーが日常使っているリヴィングやキッチンで食事をする。時間が合えば、ホストファミリーと同じテーブルに着き、同じ食事を取ることもある。
このB&Bは女将が息子二人と経営しているこじんまりとした宿屋であるらしく、リヴィングにはロイとハボック、それとあと一人、旅行者らしい客が一人いるだけで、家人の姿は見当たらなかった。
「おはよう。よく眠れたかしら」
と、女将が気さくにエドワードに挨拶し、お茶を入れてくれる。そのカップを持ち上げながら、エドワードはロイとハボックの様子を窺った。テーブルが一つしかないため、ロイのすぐ横に座らなくてはならなかったが、特に変わった様子もなく、やはり女将に入れてもらったらしいコーヒーに口をつけていた。
「お陰さんで。ところで、息子さんは?」
「昨夜出かけたまま戻って来ないのよ。どこをぶらぶらして遊んでいるのか知らないけど。ま、そのうち帰って来るでしょ。心配してくれてありがとう」
が、そう言っている矢先、外で自転車のキーッという甲高いブレーキ音が聞こえて来た。油の切れ具合で息子のものと判るのか、女将がにっこりと笑って言った。
「ほら、戻って来たわ」
朝食は、定番の卵料理にトースト、ソーセージ、ベーコン、煮豆、ベイクドトマト。追加でりんごやバナナなどの丸ごとフルーツかグレープジュースがつくというかなりボリュームのあるメニューだった。
「あんたらはまっすぐ司令部に戻るのか」
食事が一段落したところで、エドワードがロイに向かって口を開いた。
「その予定だが……」
それがどうかしたのか、とロイが怪訝にエドワードに応える。
「じゃ、俺はその手前の憲兵隊本部で降ろしてくれ」
「何故だ」
どこかむっとしたようにロイが問いかける。ここは怒るところなのか、と疑問に思いながらもエドワードは言った。
「ヒューズ中佐がそこにいるんだ」
「会いに行くのか」
「他に何があるってんだよ」
「別に。だが、まぁいい。どうせ通り道だ」
食事を終えると、三人はチェックアウトしてB&Bを出て車上の人となり、一路イーストシティへと向かった。行程は往路と同じ約二〇分。何の障害も邪魔もない快適な帰り道だった。
「じゃあな」
と、エドワードは素っ気なくロイとハボックに礼を言うと、さっさとクルマを降り、憲兵隊本部の建物へ向かおうとした。否、逃げるように駆け込もうとした。が、それをロイは呼び止めた。
「鋼の。後でいいから司令部へ顔を出したまえ」
「へ?」
振り返ったエドワードは、咄嗟に運転席のハボックに視線をやった。が、ハボックは我関せずといった風情でこちらを見ようともしない。
「重大な用件か」
「そうでもない」
「だったら、やめとくよ」
言下にエドワードは身を翻し、今度こそさっさと玄関の方へと消えて行った。慌てたようなその素振りに、ロイは鼻を鳴らした。
「ずいぶんと急いでいるようだな」
まるで、ロイ達とは一分でも一緒にいたくないと言わんばかりに。何彼となく理由をこじつけて司令部に立ち寄り、ロイに擦り寄ろうとしていた奴が。さすがに今回の騒動で気が変わったか。
「いいんスか」
「何がだ」
「中佐はもうあそこにはいないって言ってやらなくて。司令部に移動してるはずでしょう。エドの奴、行き違いになっちまいましたよ」
「いい。しばらく狼狽させておこう」
「了解」
ハボックが忍び笑う。エドワードを遠ざけておけるのは一時間ぐらいだろうが、その間に自分達がヒューズと打ち合わせられる。エドワードには悪いが、こっちの都合の方が最優先事項だった。
が、しかし、司令部にて、待ち構えていた調査担当官を交え、ロイとヒューズが今後のことを話し合っている最中に、その「事故」は起こってしまった。
廃教会の残骸を撤去するため、工事を依頼していた土木建築会社に問い合わせの電話を入れていたファルマンは、がっかりするようなニュースを聞いてしまった。が、ロイに報告しないわけにはいかない。ファルマンは意を決し、執務室のドアをノックして中に入ると、粛々と言った。
「会議中、すみません、大佐。例の廃教会ですが、今朝、地下空洞で落盤があったらしく、かなりの規模で地面の陥没が起きてしまいました。地下水がすでに染み出して池のようになっているため、今すぐ資料を掘り出すのは難しくなりました」
それは、事実上、主計大尉の証拠書類を回収するのは不可能になった、という宣言に他ならなかった。
ABSは、私がクルマのディーラー相手の仕事をしていた時、さんざん取材させてもらった安全装置です。現代のテクノロジーですので、鋼の時代にはなかったと思いますが、まぁ一応、こういうものもあります、と。
しかし、まだ終わらない〜〜〜。この辺りでエドとロイをいい雰囲気にしようと思っていたのに、なかなか甘い情況になってくれません。次回、無理矢理そうしようか、と計画中。