Black Card 4
サーモバリック(熱圧爆弾)とは、炸裂とともに凄まじい圧力と高熱を発する爆弾につけられた軍事用語で、焼夷弾の高レベル兵器とも言うべきものである。
サーモバリックの弾頭は凄まじい破壊と燃焼をもたらし、その広範囲性、持続性は従来の兵器を遥かに凌いでいるとも言われる。
その内部構造は三区画に仕切られ、それぞれ液体爆薬と二種類の高性能爆弾が仕込まれており、製法と発射システムは機密扱いになっているが、すでに闇ルートではその設計図が高値で売買されているとも言われる。もっとも、テロで使用された前例はなく、恐らくはまがい物だろうと見られている。
何せ、サーモバリックに使用される液体爆薬は取り扱いが難しい。プラスチック爆弾の多くに使われる可燃性成分の液体版のようなもので、少量で甚大な破壊力をもたらす威力を持っている。常温では微粒子状になっており、極めて気化しやすい。そこに、煙草の火ほどの火種があれば、即座に爆発する。それで建物の一つくらいは簡単に吹っ飛ぶ。
もちろん、その場に人間がいれば命はない。二つの爆薬が混合することにより、エアゾールの雲を発生させ、それが爆心となって数千度もの高温に達する強大な火の玉が舞い散るのである。周囲の酸素が燃やし尽くされ、そこに真空地帯が発生する。そこへ引き寄せられるように、何分の一秒かの間に一気圧の約三〇倍にも相当する空気が瞬時に押し寄せるのである。この圧力をまともに受ければ、人間の体など紙より薄く圧縮されてぺらぺらになってしまう。また、爆発地点の周辺にいれば、外に向かって突き抜ける爆風によって肺が潰れ、窒息死する。眼窩から眼球が飛び出すこともあり、内蔵や血管も破裂したり引き千切られたりしてずたずたになる。
「――で、このサーモバリックをどうしろってんだ」
説明書を読み終わったエドワードが内心ぞっとしながらロイに問う。こんな兵器がイシュヴァールの内戦の折り、前線に投入されていたら、一気に皆殺しの事態になっていただろう。焔の錬金術師であるロイが有効に使ったら、気持ちいいくらいの虐殺になっていたことは想像に難くない。まだ開発段階だと聞いて、ほっとした。
「兵器開発なんて、俺にはできねーぞ」
ぶーたれるように言うと、ロイはすげなく無視してくれた。
「爆心地から爆風の有効範囲にどうしても誤差が生じる。だから、許容範囲に収まる構築式を立てて欲しい。恐らくは、爆薬の燃焼率や気化率にどこか問題があるのだろうが、そこのところがよく判らない。シミュレーションでも上手くいかないんだ」
「この三区画の構造はどうなんだ。材質とか仕切りの大きさなんかは大丈夫なのか」
「それは余り関係ないようだ。材質を変えても仕切りと仕切りの間の距離を変えても、有効範囲に大きな差は見られなかった」
「それじゃ爆薬の配合の問題か、起爆のタイミングの問題だな」
「多分ね」
「この液体爆薬の成分表はあるのか」
「主にはテトラニトロメタンだが、詳しくはファイルの資料一六と一七を見てくれ。混合のテスト結果が記載されているはずだ」
資料は巻末に添付されている。エドワードはファイルをひっくり返して最後のページから目を通していった。
「ああ、これか。だとしたら……」
と、エドワードが数種類の円グラフと折れ線グラフを見ながら考え込む。そこへいくつか数式を書き込み、次々と方程式を立てて解を弾き出して行く。
どうやら、真剣に取り組んでくれるらしい。ロイはエドワードの側から離れると執務机の椅子に腰を下ろし、未決トレイから書類を何枚か取り出すと、本来の己れの仕事に取り掛かった。
もっとも、ロイの元に回ってくる書類の殆どは予算絡みのものである。部下を持つ指揮官ともなれば、どうしてもこの手の作業が多くなる。数ある会議の議題も大抵はそれで、席上はさながらマネーバトルの様相を呈する。何せ、金がなければ戦争はできない。部下の訓練や演習のための武器弾薬から鉛筆の一本にいたるまで、無料でそこらに転がっているものは一つもないのである。
会議では、同じ階級の者ばかりが集まり、あれこれと議論するというより力ずくで予算の奪い合いをするため、最終的には理路整然とした秀才タイプよりも、とことん心臓の強い者が勝つ。毛が生えていれば、尚いい。戦場とはまた別の度胸と根性が必要だった。
できるだけ執務室には立ち入らないように、と注意していたお陰だろうか、二度ホークアイ中尉が未決トレイの書類追加をしてくれただけで、扉をノックする者はいなかった。
やがて、日が翳り始め、手元が暗くなってくる。ふとロイが顔を上げて時計を見ると、そろそろ早番の者が帰り支度をする時刻だった。
ペンを置き、室内灯のスイッチを入れてやるが、エドワードはそれすら気付かないのか、ファイルに記述された構築式をじっと見つめたまま時折り思い出したようにメモを書き込んでいる他、目も手も動かすことはなかった。酷く静かで、人形のようにも思えるほどだった。恐らくは、今声をかけても沈黙が返ってくるか、いいとこ生返事だろう。
「鋼の、一休みしないか」
「……」
やはりというべきか、応えはなかった。
やれやれと、ロイは伸びをするように両手を上げ、軍服のボタンを外した。そろそろ外を早足で歩いていると汗ばむ季節である。暑苦しいわけではないが、ロイは上衣を脱ぐと椅子の背にかけ、中に着ているシャツの襟を緩めた。
「すまないが、少々席を外す。用があったら、控え室にいる従卒に言ってくれ」
聞いているかどうかも判らなかったが、一応エドワードに声をかけ、ロイはその格好のまま執務室を出て行ってしまった。
ぱたんと扉の閉まる音でエドワードははっとしたようにファイルから顔を上げたが、しかし、すでにロイの姿はなく、取り残された形になってしまっていた。もっとも、ロイがいなくても構築式の再構成はできる。特に気にすることもなく、エドワードは視線を戻した。
が、しかし、三〇分経過しても、一時間経過しても、ロイは戻ってこなかった。上衣がここにあるということは、いずれ戻って来るはずなのだが。
「どうしたってんだ……?」
さすがに不審に思う。エドワードはファイルを置くと立ち上がった。妙なことに、続き部屋になっている控え室を覗いてみると、そこに常駐しているはずの従卒の姿もなかった。
「変だな」
何か用事ができたのだろうか。監視役も含めて。かと言って、勝手に執務室を出てしまっては、また機密の扱いがどうのこうのと文句を言われて気分の悪い思いをしなくてはならなくなる。やたらとロイは軍界のルールに厳しかった。
仕方なくエドワードは元の位置に戻ると、開いたままのファイルに手を伸ばした。
が、その時、ロイの執務机の上に置かれた未決トレイが視界の端に写った。そして、それとは別のトレイに放り込まれている紙の束があるのにも気付いた。決済済みでもないところを見ると、調査中なのか、考慮中なのか。
ついつい興味を引かれたエドワードは誰も見ていないのをいいことに、ダブルクリップで留めてあるだけの書類の表紙を捲った。
そこに記述されている文字を辿り始め、しかし、すぐにエドワードは目を見張った。
「何だよ、これ……」
次のページを捲り、その次のページを捲った時だった。
「何を見ている」
冷たく通った声がエドワードの動きを止めた。振り返るのが怖かったが、詰めていた息をゆっくり吐くように顔を上げると、声のした方を向いた。
正面の扉ではなく、控え室へのドアの前に、ロイが立っていた。
「しばらく見ないうちにずいぶんと手癖が悪くなったな。そこにあるのは君が見ていいデータじゃない」
暗に軍規違反だ、と言いたいのだろう。ロイの視線がきつかった。なまじ、切れ長な眦であるだけに、憤怒の色が浮かぶと酷く冷酷な雰囲気が纏わりついてくる。こつこつと靴音を立てながらこちらに近づいて来るロイにただならぬ気配を感じながらも、エドワードは虚勢を張った。
「正攻法じゃ手に入らない情報だって多いんだ。こうでもしねーと誰かさんの悪巧みだって知ることができないだろ」
「君らしい意見だが……」
と、ロイはエドワードの前に立つと、無表情に言い放った。
「油断も隙もないな。しかし、それ相当のペナルティは覚悟したまえ」
「国家錬金術師の資格を剥奪するってのか」
「それは軍法会議で決まることだ」
素っ気なく言い抜け、だが、とロイは嘆息した。
「いちいち目くじら立てることでもないな。何ページ、読んだんだ」
「二〜三ページ」
正直に、エドワードは告白した。
「だったら、私はさっきの光景を見なかったことにしよう。君も忘れたまえ。それでご破算だ」
「え……」
拍子抜けしたように、エドワードがロイを見上げる。その口元が皮肉げに歪んだ。
「俺に貸しを作ろうっての」
「そう思いたければそういうことにしたまえ。これ以上、君から何かを取り上げようとは思わないが、提供できるものがあるのかね」
言いながら、ロイはエドワードの背後を回ると鷹揚に己れの椅子に腰を降ろし、組んだ手を机の上に乗せた。
「あるのなら、聞かせてもらおう」
「デヴィッド・ロウって奴に昨日会ったぞ。そこにリストアップされてるソードのメンバーだ。ナンバー二だったとは知らなかったぜ」
「ほう?」
「サンロードの花屋に立ち寄ってた。あんたがあそこが怪しいってのは当たりだ。もしかしたら、連中の溜まり場なのかもな」
「まぁ、そのようなものだろう。デヴィッドは何か言ってなかったか」
「特に何も。また来るってことくらいしか」
「そうか。どういう風体だった」
その質問にエドワードは困惑した。さして目立つ風貌の青年ではなかった。髪の色と目の色は覚えているし、もう一度見れば、それと判るくらいの記憶はあるが、それだけだった。今すぐモンタージュを作れと言われれば難しいだろう。
「あんたと同じくらいの背格好ってことくらいしか言えねーな。特徴らしい特徴はなかったし……。何だ、軍は奴の姿格好も掴んでねーのかよ」
「来たまえ」
ロイが顎をしゃくり、エドワードを側に呼ぶ。
「下手に好奇心で動かれたら困るから、先に言っておこう。セシリアが結婚前に付き合っていたのが、このデヴィッドだ」
「ってことは、そいつがやってるテログループの名前が、『ソード』なんだな」
ロイが椅子を半回転させ、エドと向き合う。すでに怒気は去っていたが、別の要求を訴える笑みがそこには浮かんでいた。それが何なのか、エドワードには見当がついたが、敢えて無視した。
「ソードの何を探っているんだ、軍は。連中はストリートギャングみたいなものだって言ってたじゃねーか」
「そうだ。その認識に変わりはない。しかし、気になることがある。こういう輩は、得てして跳ね上がることがあるのだよ。ある意味、彼らはロマンチストで名誉欲に燃えている。機会があれば、自分達の力を認めてもらおうと危険な賭けにも出る」
「何だよ、それ」
「もっと大規模なテログループの下部組織、または実働部隊として利用される可能性があるということだ。もし、そのような動きがあれば、芽のうちに摘んでおくに限るだろう? かなり有力なグループと接触したという情報も入っている」
「つまり、あんたらにとっちゃソードなんかよりもその背後にいるやばい連中の方が大事だってことだな。目的はそっちで、ソードはいい面の皮だ」
それへ、ロイはくすりと笑った。運がよければ、芋づる式に複数のグループの摘発ができる可能性もなきにしもあらずである。治安上、これほど楽で楽しい検挙はない。無論、東方司令部の手柄であり、それを指揮したロイの名声も上がること請け合いである。
「君の推測通りだ」
褒めているのか、からかっているのか判別のつかないシニカルな表情でロイは報いた。エドワードはそっぽを向き、ダメもとで聞いた。
「その、有力なグループってのは、何だ」
「それは言えない」
ロイはすげなく首を振り、エドワードが何か言い募るのを制した。
「質問はそこまでだ。それより、サーモバリックの方は進んだのか」
「それなりには」
「まぁ、今日一日でそれほどの成果は上がっていないだろう。レポートを読み下すのが精一杯と言ったところか。研究所の錬金術師が三人、数ヶ月かかってやっとここまで漕ぎつけたんだ。あと六日、急がずがんばってくれたまえ」
そう言うと、ロイは椅子から立ち上がり、エドワードが見てしまった書類を引き出しの中へ放り込んで鍵をかけた。ポケットにそれを突っ込み、机の上を片付ける。
「さて、それでは私はこれで帰宅するが、君はどうする」
「アルが待ってる。宿に戻るぜ」
「外に出たところに電話があるから、彼に連絡したまえ。今日は遅くなる、と」
いきなり言い渡され、エドワードはぎょっとした。
「何勝手に決めてんだよ」
「一緒に食事に行こう。積もる話があるからな」
そう言うと、強引にエドワードのコートを取り、自分も脱いだ上衣を肩に羽織って追い立てるように執務室を後にした。
「俺は承諾してねーぞ」
エドワードは廊下に出てからも抵抗したが、しかし、電話機を示されると、渋々ながらも受話器を取った。ここでダイヤルを回すと、そのトーン音は交換機に送信され、交換手が手作業で回線を繋ぎ変えてくれる。エドワードは交換手に投宿先の番号を伝え、アルフォンスを呼び出してもらうよう頼んだ。
「……ってわけで、メシ食って帰るから」
判った、とアルフォンスは物分りよく返答してくれたのだろう、エドワードはすまん、と一言謝ってから、受話器を置いた。
「行こうぜ」
「表に車を待たせてある。……さぁ」
エスコートするようなロイの手を無視し、エドワードはさっさと玄関へと向かった。石造りの階段を駆け下り、前庭を通り過ぎると、門扉の前に送迎用の自動車が停車していた。
中に乗り込むと、ハボックが運転席に座っていた。
「すまなかったな。五丁目のルピナス通りへやってくれ。君はそこで帰っていい」
「了解」
すぐにエンジンがかけられ、発車する。五丁目は司令部から一〇分とかからないところにあった。市内では有数の繁華街の一つではあったが、柄は悪くない。何度かロイに誘われて足を運んだことがあるが、酔っ払いに絡まれたり、因縁をつけれたりするような危うい目に遭ったことは一度もなかった。
車を降り、ハボックに別れを告げると、ロイとエドワードは一軒のレストランへ向かった。時代がかかった花文字で「ラインゴールド」と書かれた看板にちらりと目をやりながら、エドワードはロイに導かれるまま店のドアを潜った。
「個室を取ってあるから、そこへ行こう」
「ああ……」
個室と聞いて、エドワードが複雑な表情を浮かべる。国家錬金術師の資格を取った当初、ロイがご馳走してやるからと言って、夕食に誘ってくれたことがあったのだが、料理を目の前にしていちいちフォークやナイフの使い方から皿の動かし方までこと細かな注意をするのにうんざりさせられたことがあった。いい加減煩がってエドワードは閉口したのであるが、ロイの言い分は正当なものだった。
「これから君は国家資格を持つ者として私のような、いや、もっと上位の高級軍人やその類の者と飲食を共にすることがある。市町村長クラスの者から招待されることもあるだろう。その時、田舎者丸出しの不作法なマナーでは相手の顰蹙を買ってしまう。気分を害するだけならまだしも、それでもらえるはずの情報がもらえなかったりしたら、君にとって多大な損失じゃないのかね」
食事マナーは、気にしない者は全く気にしないが、気にする者はとことん気にするものなのである。箸の上げ下げにまで文句をつけられるのは腹立たしいが、確かに、そんなことでチャンスを逃してしまったら本当に詰まらない。賢者の石を探すという目的以前の問題で躓くなど、エドワードの本意ではない。
お陰で、ヨキやマグワールとの会食で不興を買うことはなく、上手く相手の懐へ飛び込むことができた。少なくとも、ナプキンで顔をごしごしと拭いて失笑を買うような失敗はしなかったし、指先を洗うためのボウルの水を飲んでしまうようなドジもしなかった。
「本来、マナーというものは相手に対する礼儀を形にしたものだ。大人として振る舞うのなら、それくらいは身に着けておくべきじゃないのか」
そう言われては、エドワードに返す言葉はなかった。
「で? 今日は何のお説教なんだ」
用意された席に着いたとたん、挑発的にエドワードは言い放った。それへ、ロイは肩を竦めた。
「そう警戒するものではない。せっかく仕事を離れて君とゆっくり世間話でもしようと言っているんだ。硬くなるな」
「硬くなんかなってねーよ」
「だったら、もっとリラックスしたまえ。別に取って食おうというわけではない」
「前に誘いに乗った時は食われちまったぜ」
憮然としたエドワードがグラスに入ったミネラルウォーターを手にする。が、ロイがそれを見て眉を寄せた。
「鋼の、そういう持ち方をするものではない。グラスを持つ時は柄の部分を三本の指で軽く持つ。でないと、中の水が体温で温まって生ぬるくなってしまう。これがワインだったりしたら、せっかくの香りが飛んでしまう」
「うるせーな」
苦々しくも、それでもエドワードはグラスを持ち直した。
「世間話ってのは何だよ」
「君が先程聞きたがっていたテログループのことだ」
「……?」
グラスの水を一口飲み、エドワードがきょとんとロイの顔を見つめる。
「言っちまっていいのか」
「構わない。今から私が言うことを誰にも話さないと約束できるなら」
これもレベル二か、とエドワードは察しよく納得した。恐らく、司令部を出たのは、勤務外だからという釈明のためだろう。ここで拒否することもできたが、しかし、エドワードはロイを促すように頷いて見せた。
「ソードが接触したというグループの名前は、『パラメダイン』。かなり過激な連中だ。彼らの政治的・思想的信条はともかく、これまで軍の上層部の者や政府の主要人物を狙った爆弾テロを何度も起こして、そのたびに犯行声明を我々東方司令部へ送りつけている。例の青の団の事件を覚えているか。あれもパラメダインが裏で糸を引いて犯行を示唆したとも武器供与をしたとも言われている。確かな物証はなかったがな」
「ハクロ将軍を狙ったからか」
「青の団の要求は仲間の釈放だったが、それが実現する可能性は低いと見ていたはずだ。真の目的は、一般の人々に不安と恐怖を与えることだったに違いない。司令官クラスの軍人があんな形で殺されれば、そのインパクトはかなりのものだ」
「もしかして、最初からハクロ将軍を殺すつもりだった…とか」
「護衛の者がさっさと殺されていただろう? あれは、自分達は捨て身でやっているという意思表示なんだ。君達がいなければ、列車が駅に到着する前に将軍は殺されていた可能性が高いな、家族ともども」
最後に付け足された台詞に、エドワードはぞっとした。テロリストが人質を殺すのは己れの退路を断つに等しい。人質は保険のようなものである。それを自ら切断するのであるから、列車が停車したとたん、突入部隊に力ずくで制圧され、全員射殺される覚悟があったとも言える。そうなった場合、乗客の命は保障されない。道連れにされる可能性が高かった。
改めて、危ない橋を渡ったのだと知れる。幸運だったのは、青の団が三流もいいところのお粗末テロリストだったことである。
だが、パラメダインは違う、とロイは強調する。
「かなりの勢力を張っているのは判っているのだが、全容は今もって謎だ。リーダーも組織の中身もな」
「あんたらとしては、ここで連中の尻尾を掴んでおきたいってわけだ」
「今回、セシリアから端緒を手繰れたのは、本当にラッキーだった。これだけの情報を掴むのに、二人殺された。上がった死体はどちらも酷い有様だったよ」
「……っ」
どきり、とエドワードの心臓が跳ね上がった。どうやら、生半可な情況ではなくなっているらしい。すでに犠牲者が出ているということは、かなり本気でロイ達はパラメダインを追跡し、追い詰めようとしているに違いない。
軍のように死生をともにする組織に属している者にとって、何が最も激怒するかと問われれば、仲間を殺されること以外にはない。時には肉親を殺害されるのと同等の衝撃を受けることもあるという。
特に、ただ殺されたのではなく、拷問された挙げ句に殺されたりすると、その怒りは頂点に達する。殺害そのものは許せても、拷問だけは忘れられない。何年、何十年経とうと加害者をずっと追い続けることもある。決して許すことのできない罪業として。
「ご、ご免……」
「何を謝る」
「俺、言い忘れてたことがあった。どうせ、大佐が呼びに来たんだろうと思って無視してたんだけど、どうも違うみたいだ」
そう言って、エドワードは自分が寝こけている間に訪ねて来たという軍人の話をした。応対したのがアルフォンスであるため、顔は見ていないのだが、よく考えると、緊急という割には翌日、誰も司令部の者はそのことを口にしなかった。もしかしたら、別の指揮系統の者かもしれないと思ったりもしたものの、軍服くらいいくらでも仕立てることができる。予備役や退役軍人から拝借したりすることもできるだろう。
「成る程、妙な連中だな。軍人ではなかったのかもしれない。アルフォンスに聞けば、人相風体は判るか」
「多分」
「では、明日は二人で司令部へ来たまえ。協力してもらおう」
エドワードに異存はない。すでにカウンターテロリズムなどという管轄外の分野に片足を突っ込んでいるのである。嫌とは言えなかった。
「それで、セシリアの方はどうする」
「どうするって? ああ、会えってことか」
「会いに行くかどうか、私の口からは命令できない。君が国家錬金術師である限り、専門以外のことに手を出させるわけにはいかないからな。あくまで、君の自由意志による」
「協力って形にすりゃいいだろ」
「それは承知してくれたと解釈していいのか」
「今更だろ」
そう言うと、エドワードは運ばれて来た前菜に手をつけた。
「ところで、鋼の。ナイフを置く時は刃を内側に向けなさい。外側に向けると、隣に座っている者に敵意を向けていると思われてしまう」
「う、うるせーな、相変わらず。今は横に誰も座ってないんだからいいだろ」
「癖になったら、いざという時、困るよ」
「……」
ぶーっと膨れっ面をするエドワードをロイはただ笑って見ていた。どうやら、ロイはマナーについてとことん気になる性格らしい。
その後は他愛もない、本当の意味での世間話になった。賢者の石を探す過程で出会った人々、出来事、事件等々。情報交換という名の四方山話はそれなりに楽しかった。
食事を済ませて店の外に出ると、まだ宵の口だったが、千鳥足の者もちらほら通りをよたっていた。そろそろ分厚いコートとおさらばしたい季節である。
「宿まで送ろう。ここからなら歩いて帰れる」
「別にいいよ」
「もうちょっと君といたいんだよ」
「……」
気持ちの悪いことを言うな、と言いかけてやめた。言えば、それに倍する甘ったるい言葉を降り注いでくれるだろう。エドワードが嫌がるのを面白がって。
「何で、宿の場所を知ってんだよ」
「さっき君が電話口で喋っていたじゃないか」
「ちゃんと聞いてたんだ」
油断も隙もないのはどっちだ、と悪態をつきながらも、エドワードはロイと並んで石畳の通りを歩き始めた。街灯が等間隔に配置されているお陰で足元は明るく、一人歩きしても問題はないようだったが、ちょっと横道に入れば、もろに怪しげな裏路地もあった。
「ん?」
と、不意にロイが足を止める。
「どうしたんだ」
「いや、何でもない。気にしないでくれたまえ」
無理に笑みを作ったわざとらしい表情に、エドワードは不審を覚えた。
「何だよ。何か隠し事かよ」
「別にそういうわけではないが、見たければ、見ればいい」
これも社会勉強の一環だ、と謎かけのように言うと、ロイは通り過ぎたばかりの路地を指差した。その奥に何かあるらしい。好奇心の赴くまま、エドワードはそっと暗くて狭苦しい空間を覗き込んだ。
が、しかし、すぐに人影を認め、ぎょっと飛びのいた。
「な、な、なんなんだよっ、あれ」
「何と言われても困るが……、見たままだ。年頃の女と男が抱き合って――」
「解説すんな! な、何で、あんなところで……っ」
「別に珍しいことでもないだろう。青姦というヤツだ。こういうところで盛り上がる者もいる。どうしても、と君が言うのなら、憲兵を呼ぼうか。しっかり二人を引き離してくれるだろう」
意地悪く、公衆電話を探し始めたロイに、エドワードは慌てた。
「い、いいっ、放っとけよ」
「公然での猥褻行為は犯罪だ。猥褻物陳列罪にもなる。充分な容疑だろう。それに、男の方は軍服を着用していた。私には報告義務もある」
「いいから、行こうぜ」
「見逃してやるのか」
「いいからっ」
強引にロイの軍服の袖口を掴み、無理矢理エドワードは路地から離れた。
「ずいぶんと君はこの手のことに割り切るようになったんだね」
心境の変化でもあったのか、とロイが元の通りを歩きながら聞いて来る。特別晩熟というわけではないが、さして成熟しているというわけでもない。
明らかに面白がっている風情のロイを、エドワードは睨みつけた。司令部にいる時とは打って変わってロイの態度は砕けている。仕事中とプライベートでは別人のようになる者はいくらでもいるが、目の当たりにするとどうしても腹が立つ。食事中の軽い酒くらいしか口にしてないくせに、もう酔っているのか、と苛立たしく思いながら吐き捨てた。
「昨日、言っただろ。馬に蹴られるって。そういうので恨み買うの、ヤなんだよ」
「何だ、あれは私個人を指して言っていたのかと思っていたのに、全ての者に当てはまる台詞だったのか」
「当たり前だ。誰があんた一人を特別扱いするってんだよ」
「君にはそうして欲しいんだけどね」
「ほざいてろ」
素っ気なく顎を反らし、大股で歩き出すエドワードの腕を、今度はロイの方が掴み上げた。ぐいっといきなり引っ張られ、そのまま街灯の後ろにあるファサードの影に連れ込まれてしまった。
「なん――」
何の真似だ、と抗議する間もあらば、体のバランスを崩してしまったエドワードは倒れ込むようにロイに抱き締められ、唐突に口付けられてしまった。咄嗟に目を瞑ってしまうと、唇を割った暖かな舌先がエドワードの口内へと侵入し、戸惑っている舌に絡みついた。
「う……」
情けないことに、力が抜ける。ジンとした痺れるような感覚が下肢に宿り、動けなくなってしまったのである。優しいとはとても言えない激しさで唇を吸い上げられ、上顎や頬の裏を舐められ、息を継ぐのももどかしく、角度を変えては何度も口付けられた。
誰が見ているかもしれない場所で、と頭の隅に焦りが浮かんだが、すぐにどうでもよくなってしまった。自然と体に熱が篭り、抵抗しようとロイの胸に突っ張っていた腕がだんだんと力を失って、ずるずると下に降りて行く。
まるでそれを予測していたかのように、ロイはエドワードの腰に手を回し、ぐっと己の体に引き寄せた。
「よ、よせ……」
軍服の上から体温が伝わり、逃げられないようしっかりと抱きすくめられているのがはっきりと判るや、酷く恥ずかしくなった。ロイの口付けが唇から頬に移り、項に流れていく。くすぐったいような、どきりとするような快感の先端が何度も背筋を駆け抜け、エドワードは息を呑んだ。
「やめろ……ってば、こんなところでおっぱじめる気かよ」
一応、声を潜め、何とかエドワードが顔を逸らしてロイの愛撫から逃れる。
「別に珍しいことではない、と言ったはずだが。大丈夫、誰も見ていない。見られたとしても、見てないふりをしてくれるよ。さっきの君みたいにね」
「上げ足取るなよ。……って、触るなっ」
ロイの手がエドワードの背中を撫で上げ、上着の中へと侵入する。シャツをたくし上げられ、エドワードは身を捩った。
「マジかよっ」
こんなところで欲情するなんて信じられんねー、とエドワードは心の中で叫んだが、声にはならなかった。大声を出せば誰かが気付いてくれるかもしれないが、こんな格好を見られるのは恥辱以外の何ものでもない。もっとも、ロイはそれも計算に入れているのだろう、更に己れの下肢を押し付けるように足を開かせると、エドワードの体を片膝の上に乗せた。
「な……っ」
片足が地面から浮き上がる。不安定な姿勢を支えるようにロイの手が背中から脇腹へと回された。身長差を見せ付けられた形で抱擁され、エドワードの頬に朱が差したが、暴れれば一緒に石畳の上に転がってしまう。
「じっとしていたまえ」
ロイの低い囁きにエドワードはびくりと肌を波打たせた。どうしてこうこの男は己れをあやすような、慰撫するような声が適材適所で出せるのか、心底不思議だった。
「なんで……」
「今更だろう?」
ロイの掌が、エドワードの上気し始めた肌に吸い付く。耳朶を甘噛みされ、ぞくりと身を竦めると、傾いた体が揺れてバランスを崩しそうになる。見られているかもしれないという不安と相俟って、この体勢は余りにも緊張感を強いた。が、それを忘れられるほど、ロイの愛撫は巧みだった。
「う……」
頭に霞がかかり、陶然とした快楽が疼くように体の奥から這い昇っては次第にエドワードの意識を混濁させる。肩口に噛み付かれたが、それさえもくらくらするような陶酔感にとって変わった。
あの時と同じだ、と茫洋とする頭の片隅で思う。数ヶ月前、この心地よさについつい攫われて、ロイとこのような行為をする仲になってしまった。思えば、人と触れ合うような感覚に飢えていたのかもしれない。余すところなく、ロイはそれを与えて満たしてくれた。
それには感謝している。が、しかし。
「やめ……っ」
ロイの手が腰のベルトにかかったとたん、エドワードはそれまでのたゆたう空気を払いのけ、怒鳴るように制止した。
「そこはダメだ」
「まだ、なのか」
残念そうに、それでいて、しょうがないと言うように、ロイが手を引く。
「あ、当たり前だろ……っ」
「いつまで、待てばいいんだ。そろそろ私を受け入れてくれ」
困ったように、ロイがエドワードのこめかみに口付ける。大人しくそれを受けながら、しかし、これでもう終わりだとばかり、エドワードはロイの胸に手をついた。
「いつまで…なんて、言えるかよ」
そっぽを向き、怒ったように吐き捨てるエドワードに、ついロイはむっとした。
「お預けはいい加減にして欲しいね。いつまでもそうやって取り澄ましていると、無理矢理にでもやってしまいたくなる」
「脅してんのかよ。やれるものなら……」
「試してみようか」
不意に、ロイの声が沈む。ぞっとするような冷淡さにエドワードは動揺した。焦らしているつもりはない。ただ、最後まではやって欲しくない。それだけだった。
「エドワード?」
窺うように、ロイが顔を覗き込む。
「どうしてダメなんだ」
理由を聞くまでは離さない、とロイがエドワードのウェストを引き寄せる。股間が膝の上で擦れてびくりと四肢が跳ね上がった。すでに変化を見せていた己れの熱が恨めしかったが、ぎりっと奥歯を噛み締め、何とかやり過ごすと、エドワードは首を振った。
「どうだって、いいだろ……っ」
「私にとってはどうでもいいことではない。せっかく手に入れた恋人をちゃんと最後まで愛せないなんて蛇の生殺しも同然だ」
「だ、誰が恋人だっ」
真っ赤になって怒鳴り返すと、ロイが首を傾げていた。
「そのつもりじゃなかったのか。恋人でなければ、誰がこんなことをすると言うんだね」
揶揄するように膝を揺らされ、エドワードは喘ぎを漏らした。こっちの方が生殺しではないのか、と反論したかったが、声にならなかった。とくん、と突き上げて来るような挑発に体が勝手に反応していた。ざわりと産毛が逆立ち、ちりちりと肌が焼け付くような痛みを伴って下肢からあらぬ衝動が湧き上がろうとしている。
「ほら、君だって欲しているだろう?」
私を……、と耳元で吹き込まれ、エドワードは意地になったように首を振った。
「嫌なのか」
「違う……」
「では、何故」
納得するまで許さない、という意思はエドワードにも伝わっている。しかし、頑なに口を閉ざし、断続的に襲い来る快楽の波に必死で耐えた。
「鋼の?」
再び促すと、やっとエドワードは顔を上げ、ロイの黒い双眸を見返した。
「い、言ったじゃないか……」
「何を」
「俺からはもう何も奪わねー、って……」
言った。確かに言った。しかし、こういう意味で言ったわけではない。何を勘違いしているのか、とロイは苦虫を噛み潰したが、ここで下手な弁明をすれば、エドワードの不興を買ってしまうのは目に見えていた。
「私が君から何を奪ったというのかね」
「何もかも奪おうとしてる。そうじゃねーのかよ」
弟を盾に取り、行動を制限し、『大衆のためにあれ』という錬金術師としての使命感を無視し、プライドをへし折り、今また体を奪おうとしている。明々白々に過ぎる行為だった。
「心外だな」
やれやれとロイは離れかけたエドワードの体を引き寄せ、たくし上げられたシャツの下から見える乳首に触れた。すでに硬く立ち上がっているそれは、指先に確かな手応えを残し、エドワードの吐息をしゃくり上げるように詰まらせた。
「こんなにも、君の欲してるものを与え続けているというのにね……」
「見返りがあるからだろ」
「そうだな、否定はしない」
普段は小憎らしいだけの悪ガキが、ロイの腕の中で情欲に囚われて行く姿を見るのはぞくぞくするほど楽しい。征服欲も支配欲も充足させてくれる。
もっとも、最後の最後でエドワードはいきなり正気に戻ったようにストップをかけ、ロイにインサートを許さない。ここでいつも不満が残る。手でやる、口でやる、素股でやる、とエドワードは言ってくれるが、肉体が繋げないのでは、フラストレーションが溜まりそうだった。無理強いは好みではないが、強硬手段も考慮に入れてもいいのでは、と最近は不穏なことも意識の端に上る。
「想像するよ、君の中はどうなんだろうってね。きつくて熱くて、吸い付くように私を締め付けて放さないだろうとか、うねるように包み込んでくれるだろうとか、互いの鼓動が合わさって一つになった歓びはどのようだろうとか……」
「ば、バカ野郎っ、言うなっ」
エドワードにとってはかなり刺激的な台詞だったらしい。いきなりロイを殴ろうと掴みかかってくる。それを難なく避けながら、ロイはエドワードにもう一度問いかけた。
「奪ってしまうのかい、私から、その楽しみを」
「へ、屁理屈を捏ねるな」
「駄々を捏ねて逃げ回っているのは君の方だろう」
「逃げてなんかいねー」
「エドワード……」
これでは堂々巡りである。しかし、何を考えているのかは何となく判った。どうやら、エドワードは体内への侵入を最後の砦と思っているらしい。突き崩されるのを戦々恐々と回避しようとしている。それはそれで理解できるが、やはりロイには不満だった。
「判った。これ以上はやらないから安心しなさい」
根負けしたようにロイはエドワードを片膝から降ろしてやり、乱れた服を直してやった。が、ほっと安堵の息をつくエドワードへ、ロイは一言付け足した。
「今日のところはね」
2004,3,16 To be continued
やっとやおいもどきです。しかし、最後まで犯ってなかったんですね、大佐。どこまで我慢できるでしょうか……。(^^ゞ
ちなみに、サーモバリックはトム・クランシーのテロ小説から。どこまで開発が進んでいるのか、私は知りません。念のため。(ノ^^)ノ