Black Card 7



 アルフォンスが東方司令部のすぐ近くでエドワードを見かけたのは、別行動をとって一時間ほど経ってからのことだった。
「兄さん」
 と、声をかけると、エドワードはいつも通り振り返って片手を上げた。が、その横には、見慣れない青年が立っていた。まるで、連れ添うように。
「もう用は済んだの」
「ああ、まぁな」
「この人は?」
「紹介するぜ。デヴィッドってんだ。昨日、ちょっと世話になってな」
 そう言うと、エドワードはデヴィッドにアルフォンスを紹介した。
「話は聞いているよ。君がエドの弟なんだってね。同じ錬金術師だというじゃないか。君の腕もなかなかなんだろう」
「堅実で地味って意味なら、俺より上だぜ」
 褒めているのかけなしているのか、よく判らない言い方で、しかし、エドワードはアルフォンスを評した。実際、妙なアレンジを加えて、時に顰蹙をかってしまう兄に対して、アルフォンスの技術は、教科書の優等生的なものという印象が強い。決して、エドワードに劣っているというわけではなく、個人的な特性のなせる業だった。
「これから、司令部へ戻るの?」
「ああ、大佐のところに顔出さなきゃな。一応、報告もあるし」
 いい加減うんざりだ、との憂鬱な気分を隠しもせず、エドワードは肩を竦めた。それを、デヴィッドは笑いながら見ていた。
「お前はどうするんだ」
「図書館へ行くよ。昨日、司書の人に紹介してもらった本を借りに」
「そうか。俺はまた遅くなりそうだ」
「じゃ、宿には戻らないの」
「何とも言えねーな。後で連絡する。それでいいか」
 軍の関係で行使されるとなると、エドワードの行動は酷く不規則になる。これまで予定通りに動けた試しなど全くなく、明確な約束などできない事情はアルフォンスもよくよく承知していた。
 が、しかし、何故かこの時、アルフォンスは常にない台詞を吐いた。
「じゃあ、一時間後に連絡してくれる? 僕、図書館の第一閲覧室にいるから、呼び出してくれればいいよ」
「……?」
 虚を衝かれたように、エドワードは戸惑ったが、すぐにそれが何らかの暗示だと飲み込み、何でもないように頷いた。
「そうだな、判った。そうする。一時間後だな」
「待ってるから」
 そう言うと、アルフォンスはエドワードに背を向け、とっとと歩き出した。
「君と全然感じが違うね」
「耳にタコができるほど言われてるぜ。年子なんだから、普通はよく似てるはずなのに、とかな」
「親から同じ量の遺伝子を分けてもらっても、組み合わせや乗り換えで、形質がかなり違った人間が生まれ出てしまう。生命ってのは、まさしく非線形だな。予測がつかない終着点を持っている。ラプラスの提唱した、完全に予測された決定なんてものは、どこにも存在しない」
「ああ」
 だからこそ、人体練成は失敗する。いくら構築式が完璧でも、初期値の僅かな狂いが時間の経過とともにとてつもなく増幅し、臨界点を超えた瞬間、破断――もしくは、崩壊という最悪の結末を迎えてしまうのである。エドワードとアルフォンスにとっては、悔やんでも悔やみきれない「計算違い」だった。
「で、俺はあんたの言う通り、司令部へ入るが、あんたはどこで待機してるんだ」
「すぐ近くだ」
 敢えてどことは指定せず、デヴィッドはエドワードの肩から手を離した。
「大佐を丸め込んでデータを手に入れたら、すぐに俺達に連絡しろ。やり方は判ってるな。接触して来た奴にそれを渡せば、万事OKだ」
「それであんたとは縁が切れるってわけだな」
「君が望むのならね」
 脅しをちらつかせ、デヴィッドがエドワードの頬を撫でる。それから身を反らして逃れると、エドワードはせめてもの抵抗で男を睨みつけた。
 ここで、下手にデヴィッドに逆らえば、アルフォンスか、またはロイの周囲にいる誰かが危害を加えられるに違いない。それでなくとも、ソードの名前だけでロイ達は神経質になるだろう。徒に刺激するのは得策ではなかった。
「判ったよ」
 どこか諦めたような口調で、しかし、毅然としてエドワードは踵を返すと昂然と胸を張り、歩き慣れた東方司令部へと足を向けた。ロイはまだ例の執務室にいるはずである。
「どうせ、また仕事の邪魔をしてくれってんだろうな」
 そう勝手に解釈し、エドワードは門を潜ると、エントランスから階段を昇り、真っ直ぐにロイのいる室へと向かった。
「よっ、もうご帰還か。早かったな」
 と、廊下の途中でハボック少尉に声をかけられたエドワードは無言で振り返った。
「おいおい、穏やかな顔じゃないな。何怒ってんだ」
「別に」
 言い捨てるように一瞥を投げ、エドワードはハボックの前を通り過ぎた。やれやれと肩を竦めているのが判ったが、頓着している余裕がなかった。
「大佐、入るぜ」
 乱暴に、それでも一応ノックをすると、エドワードはノブに手をかけるや、蹴りつける勢いで扉を開いた。
「鋼のか」
 と、やはりいつも通り、正面の執務机に座ったロイが顔も上げずに書類整理の仕事に勤しんでいた。つかつかと近寄ると、エドワードはロイの手からペンを取り上げた。
「話、聞けよ」
「どうかしたのか」
 ロイが顔を上げ、ごく間近に立っているエドワードに視線を当てる。
「セシリアとは会えなかったのか」
「いや、ちゃんと会えた。だが、問題はそれじゃない」
「では、報告したまえ、この場で。口頭で構わない。今回のことは私自らが報告書を作成することになっているからな。要するに、情報提供者を君と特定できないように、その証拠となる文書が残るのはまずいのだよ」
「ああ、そうかよ」
 と、エドワードはロイのお気楽とも言うべき台詞に苛々しながら、それでもデヴィッドが会見の場に現われ、拉致同然に引き回され、剰え脅迫めいた威しをかけられたことを不満たらだら訴えた。
 こんなこと聞いてなかったぞ、と殆ど愚痴に近い言いがかりと文句を、しかし、耳をそばだてて聞いていたのは、執務机に座るロイだけではなかった。
 司令部から通りを二本挟んだ路地に停車したバンの中で、デヴィッドとソードの仲間三人が盗聴器の優秀さを賞賛しながら片言隻句聞き漏らさぬようヘッドホンを押さえていた。集音マイクはエドワードの襟の内側部分にピンで刺しておいた。余程乱暴な動きをしない限り、抜け落ちてしまうことはない。
『君の言い分は判るがね』
 と、マスタング大佐の落ち着いた声が聞こえる。それが気に入らないのか、エドワードが机を叩いたような音がした。
『だいたい、何なんだよ。サーモバリックはあんたが何ヶ月も棚晒しにしておいてたってんじゃねーか。尻拭いを俺に押し付けようってハラだったのか』
『君ならできると思った。それだけだ。それとも、私の目が曇っていたのかな』
『開発可能なもんだったらいいけどよ、見当もつかねーもんを渡されてもどうしようもねーだろ。しかも、一週間だなんてムチャ言いやがって……』
『だが、別の切り口で研究者達が思いもつかなかった手法を提示することはできた。それだけでもいい知らせだよ。あと何十年かかるか判らない研究が、数年は縮まったはずだ』
『忌々しい褒め言葉、ありがとうよ』
『サーモバリックの開発に反対なのか』
『気は進まない』
『では、降りるか』
『いいや』
 即座にエドワードは否定した。その受け答えに、ソードのメンバーがにやりとした。
「こいつ、なかなかしぶとい奴だな」
 が、すぐに、静かにしろと制せられ、再び二人の会話に耳をすます。
『サーモバリックが実用化されたらどうするんだ。もちろん、通常兵器として使うってのは判る。戦争の道具ってのは明白だからな。俺が聞きたいのは、市民の暴動なんかにもこれを投げ込むのかってことだ』
『兵士は何人死んでもいいが、一般人が殺されるのは見過ごせない、ということか。つまり、君は人の命を選別するのだな』
『な……っ』
『傲慢だな。暴動が発生した時点で、退避しない、そこに留まっている、というのは、殺されても仕方がないということではないのか。それなりの覚悟があるから、残っているのだろう? ひと昔前なら、戦場をうろついている者は利敵行為をなす者と見做していいという取り決めがあったくらいだ。相手が女子供だからと言って引き金を引くのを躊躇っていたら、こっちが殺される。君だって知っているはずだ。少年兵として戦場に駆り出されるのは、君よりももっと年下の一〇歳になるやならずの子供だ。しかも、場合によっては男女の区別もなく、銃を取らされる』
『だが、サーモバリックは人間のものとも思えない消し炭くらいしか後に残さない』
『残酷だというのかね。それはどうかな。死んでしまえば、皆同じだ。死体になる。どういう死に方をしようが、死体は死体。それ以上でもそれ以下でもない。「死」に優劣や、ましてや差別・区別などあるものか。それとも、高貴な者は高貴な死に方をしなくてはならないとでも言うのか』
 死は誰にでも等しく訪れる。余りにも当然の真理を衝かれ、エドワードがしばらく言葉を詰まらせた。
『君が私をどう見ているのか知らないが、これまで私が手にかけてきたのは兵士ばかりじゃない。確かに、武器を持っていない一般人を撃つことは、軍人としてプライドを砕かれるような思いがあった。しかし、場合によっては、そのプライドをどぶに捨てることも必要だ』
『……』
『君も知っているだろう? バスク・グラン准将がそれを身を持って教えてくれた』
 その時のことを思い出しているのか、ロイの言葉が途切れる。やがて、エドワードが口を開いた。
『つまり、見方を変えれば、そういう意味で尊敬すべき人物だったとでも?』
『得がたい人材だったね。軍の鉄の規律を最も厳しく体現している人だった。あんな形で殺されてしまったのは、実に惜しい』
 エドワードがため息をつく。己れが覚えている限り、いくら足蹴にしてもし足りない、憤然たる人物だった。そんな傲岸不遜さをこれでもかと絵に描いたようなオヤジのどこをどう見たら「尊敬」などという単語が捻り出せるのか。
『判った。よーく判ったぜ。俺とあんたとじゃ相容れない部分が大きすぎる』
『嫌なら、その銀時計を返上すればいい』
『できるかよ』
 いずれはそのつもりであるが、今はまだその時ではない。アルフォンスの体を取り戻すまでは、石にかじりついても国家錬金術師の地位を死守するつもりだった。
『では、今の話は納得してもらえたと解釈していいんだね』
『勝手にしろ』
 今いち釈然とはしないものの、妥協することにしたらしいエドワードの声音は、どこか諦めたような、怒気を孕んだものだった。
『で? 昨日の続きはどうなったんだ。閲覧範囲が広がったんだろ』
『せっつかなくてもここにある。ちょっとここへ来てくれ』
 かつん、とロイの履いている軍靴が独特の甲高い音を立てる。どうやら立ち上がったらしい。そこへエドワードは近付いた。
 と、その時、不意にノイズが入った。
「チッ」
 ヘッドフォンを被っていたソードのメンバーが耳を押さえてスイッチを切る。
「どうした」
「妨害電波だ。というか、どこかのバカが違法電波を流してやがる」
 どうやら、この近くを大出力の無線機を搭載したトラックか何かが通過したらしい。会社やクライアントとの連絡に、これらの車両は違法と承知していながら公共の通信を妨害するような強い電波を使うことがままある。時に取締りの対象になってはニュースシーンを飾るほど、その行為は頻繁だった。
「収まりそうか」
 デヴィッドの問いかけに、盗聴器の感度を調整していた青年が首を振る。
「ダメだな、通過したんじゃなくてこの付近に停車してやがる。そいつがどかない限り、何も傍受できない」
「何てこった……」
 よりにもよってこんなところで、とメンバーが舌打ちする。が、デヴィッドは冷静だった。
「送信機自体が故障したわけじゃないんだろ? 回復するのにどれくらいかかる」
「違法電波が途絶えれば、すぐにでも」
「だったら、そのトラックとやらを探してどかせよう。一人、ついて来い」
 そう言うと、デヴィッドは腰のホルスターを確認し、狭苦しいバンの中から出て行った。



「上手く行ったかな」
 と、エドワードが幾分不安そうにロイの顔を見上げる。手にしたペンをそっと机に置き、先程まで二人が書き殴り合った紙片へ視線をずらした。
「大丈夫だろう。しかし、ストリートギャングにしてはいいものを使っているな。これもパラメダインからの贈り物か」
 エドワードの襟から抜き取ったピンは、なかなか高性能の盗聴器だった。出力範囲は、半径一〇〇m四方といったところか。そう遠くない場所にソードの面々が潜んでいるはずだとのエドワードの意を受けて、先程ハボック達に捜索を命じたところだった。
「それにしても、臨機応変に立ち回れるようになったな、鋼の。いい演技だった」
「俺だって、いつまでも青臭いままじゃねーってこった。これでも、一応あんたらの本分は理解してるつもりだからな」
 少しは見直したか、と得意げに顔を上げるエドワードに、しかし、ロイは唇の端を上げて忍び笑いを見せただけだった。
「で、あんたがやってくれた妨害電波、本当に有効なんだろうな」
「もちろん。しかも、直進性が強い種類のものだから、障害物があればそれをちゃんと探知する。怪しい車両があれば、即座に特定してくれるはずだ」
 つくづく軍というところは技術革新に吝かでないところだ、とエドワードは思う。もっとも、それがなければ、国家錬金術師が大総統の直隷機関などにはされていないだろう。
「それはそれとして、鋼の」
 不意に、ロイがエドワードの腕を取る。ぐいっと引き寄せられ、バランスを崩したエドワードはあっさりとロイの腕の中へ収まった。
「さっきは聞き捨てならないことを言ってくれたね」
 逃がさないよう、ぎゅっと抱き竦められ、エドワードはどきりとした。ロイの低い声がいつもより掠れたような優しい響きを伴って耳朶を刺激する。その声音には、何度も聞き覚えがあった。
「な、何だよ、いきなり……」
「『俺とあんたとじゃ相容れない部分が大きすぎる』。本気でそう思っているのかね」
「思ってちゃ悪いか」
「そういうことを聞いてるんじゃない」
 言うなり、ロイはエドワードを抱き締めたまま来客用のソファにどさりと腰を降ろした。必然的に、エドワードの四肢はロイの膝の上に乗せられてしまった。
「ななっ、何やってんだよっ」
「聞きたいだけだ。質問に答えたまえ」
 これが質問している体勢か、とエドワードは怒鳴りたくなったが、いくら抵抗しても足掻いても、素直にロイが解放してくれた試しなどない、という過去の記憶を逐一思い出し、一気に脱力してしまった。これがロイ特有の戯れであるとは重々承知しているものの、誤解してしまいそうな行為である。
 否、つい最近までしっかり誤解していたエドワードはその先にまで付き合ってしまい、今になって恥ずかしい思いや苦しい思いをしている。ロイのこのようなスキンシップに、これまでどれほどの女が勘違いして来たことだろう。そう思うと、悲しくも虚しくなってくる。
「そうまでして聞きたいことなのか」
 嫌そうに問いかけると、ロイののほほんとした返事が返って来た。
「君を国家錬金術師として推薦した手前、色々とろくでもないところから御注進が来たりするものなのだよ。だから、君と私の間で距離があるのは問題なんだ。しかも、君は相容れないとまで言い切った。見逃せるわけがないだろう?」
 ロイの手がエドワードの顎を捉える。くいっと仰向けられ、ごく間近でエドワードはロイの視線に晒された。
「絡むなよ。ただの方便じゃねーか」
「では、本心ではない、と。しかし、それならそれで、迫真の演技だったな」
「だから、それくらいはできるって言ってんだろ」
 ロイから視線を外し、エドワードは地に付いていない足をばたつかせて苛立たしげに言い捨てた。何でもいいから、ロイの気に入るような受け答えを取り繕ってさっさとここから脱したい。が、しかし、そのようなありあわせの弁解を、当然の如く、ロイは受け入れなかった。
「エド」
 と、呼びかける声が不自然なほど優しげに響く。どきり、とエドワードは身を竦めた。この声は苦手だ、と心底思う。
「こっちを向きなさい。ちゃんと私の目を見て、言うんだ。本当に、君は……」
「だから、フリだって言ってるだろっ。信じろよ」
「そんな自棄になったような台詞が信じられると思っているのかね」
 耳元で吹き込まれるように囁かれ、エドワードの肌がびくりと波打つ。自分では意識しないところで、何かがぞろりと目を覚ましたような、そんな不穏な感じがした。無理矢理抑え込んでいたそれは、戦慄にも似た感覚となってエドワードの躯幹を突き抜けた。
 ぴたりと体を密着させているロイにはそんな変化が判るのか、エドワードがいくら嫌がる素振りを見せても、手を緩めようとはしなかった。
「離せよ、もう……」
「納得のいく答えは得られていないよ」
 これでは拷問じゃないか、とエドワードは思った。こんな方法でも苦痛は与えられる。一番卑怯なやり方だ、とロイにぶつけてやりたかったが、しかし、その前に、二人の耳にノックの音が聞こえた。
「入れ」
 とたん、仕事中の硬い声に戻ったロイがエドワードを解放する。すっと立ち上がると、執務机の方へ向かった。
「失礼します」
 と、入ってきたのは、フュリー曹長だった。
「ハボック少尉から連絡がありました。それらしい車両を発見した、と」
「場所は?」
 もうエドワードなど目に入っていないのか、ロイは壁に広げたままになっている市内の地図へ視線を移した。
「四丁目と五丁目の間だそうですから、この辺りですね。車両は停車したまま動かないそうですが、どうします?」
「引き続き、見張っててくれ。出てくる者、近付く者がいたら、漏れなく写真を撮っておくこと。必要に応じて追跡しろ。それと、私も現場に向かう」
 そのまま身を翻そうとするロイを、エドワードが呼び止める。
「待てよ、あんたが行ってどうするんだ」
「こちらで確認することがある。君はここで昨日の続きをやっていたまえ。ファルマン准尉を寄越すから、詳細は彼に聞いてくれ」
「なっ」
 何だと? と怒鳴る間もあらば、ロイは戸惑うフュリーを促して執務室を出て行ってしまった。
「俺が引っ張って来た連中なんだぞ。それをトンビに油揚げよろしく横から奪っちまう気かよっ」
 締まってしまったドアに怒りをぶつけても木霊も返って来ない。腹立ち紛れに執務机の上の一輪挿しの花瓶を床に落としてやった。が、見かけによらず頑丈な素材でできているのか、ごとんという物音はしたものの、割れたり欠けたりはしなかった。
「くそっ」
 ロイを罵りながらも、どすんと主を失った執務机の椅子に座ってやると、すぐ手前にキーホルダもついていない鍵が、山積みになった書類の下敷きになっているのを見つけた。
「これは……?」
 見覚えがある。先日、ロイが自分の机にレベル二のファイルをしまう時に使っていた鍵だった。何故、こんなところに置きっ放しにしてあるのかとの疑問は、すぐに氷解した。エドワードが来るためポケットから出して準備していたのだろう。が、不測の事態発生で、ついつい忘れてしまった、と。
「ということは、これでここを空けたら大佐のやってる仕事がもろバレってことだよな」
 それは取りも直さず、機密事項に属する書類が見放題ということである。デヴィッドが教えてくれた保管庫も気になるが、ロイの机の中も気になった。
「ちょっとくらいいいよな」
 どうせ手癖が悪いと言われたことでもあるし、と開き直り、エドワードは鍵を手にして記憶にある通り、左の袖の引き出しの鍵穴に鍵を突っ込んで右に回した。
 かちり、といとも簡単にそれは開いた。
「こんなんで機密文書の管理、ちゃんとなってんのかな。これで誰かが目にしたら、立派な情報漏洩だぜ」
 心にもないことを呟きながら、エドワードはかなりずっしりとした重みの封筒を取り出した。まだファルマンが来る気配がないことを確認してから中の書類を捲り、素早く視線を落とす。
 が、しかし、いくら読んでも読んでも、理解できなかった。否、何の書類なのかが判らない。暗号が並んでいるわけでもなく、専門用語が飛び交っているわけでもないのだが、継続的な定期報告書の束だったらしく、前後関係が把握できていないと何についての記述なのかが判らないのである。エドワードが一端でも関わっていた事件ならばともかく、全く知らない事件についての詳細がこれでもかとひけらかされても、何が何やらちんぷんかんぷんだった。
「つまんねー」
 そう言いながら、ぱらぱら捲っていると、やっと見覚えのある単語が垣間見えた。
「『サーモバリックについての中間報告』。って、大佐がやっぱ担当してたのか。しかし、これって日付がひと月前だな……」
 ざっと目を通してみると、サーモバリックそのものの爆発エリアをもっと縮小する形で試作品が作れないか、という提案だった。影響範囲が広がればそれだけ予測不能のエリアが広がり、危険な兵器になってしまう。収束に向かう解が一つでも得られているのなら、それを利用して取り敢えずの弾頭を製作してみて数年おきに改良を加えていけばいいのでは? ということだった。
 早い話、最適な解が得られるまで完成を先延ばしすることになるが、いつかは完璧なものができるはずだから、それを待とう、という内容である。
「成る程。これなら別に開発が打ち切られたって感じはしないよな。研究者にはそれなりの成果があったことにできるし、軍の上層部も近い将来に期待をかけることができる」
 もし、その解がなかなか得られるものではないと判るような事態になっても。現時点では、これが精一杯の結末だろう。
「何だ、結構、頭いいじゃん、大佐」
 科学的な解決ができない場合は、こういう政治的な駆け引きも必要である。それが判らないほど、エドワードも子供ではなかった。
 しかし、これをどうすべきか。デヴィッドに渡すべきだろうか。一応、ここにサーモバリックのデータファイルは揃っている。保管庫にこれ以上のものは多分、収められていないに違いない。
「小規模なものにしろ何にしろ、やっぱできて欲しくないよな、こんなの」
 しばらく考えてそう結論する。それらしき書類とファイルをかき集め、机の上で揃えていると、ノックの音がした。
「はい?」
「ファンルマン准尉であります」
「あ……」
 やっと来たか、と思いつつ椅子から飛び降り、抽斗の鍵をかけておく。
「入ってくれよ、何ぐずぐずしてたんだ」
 ドアを開けてやると、自分より遥かに上背のある准尉が敬礼をして立っていた。
「先程、電話がありまして。アルフォンス君からですが」
「そういや、忘れてた」
 もう一時間経ったのか、と思いつつ、エドワードは廊下に出て電話機を探した。受話器を取り上げ、図書館のナンバーをダイヤルする。
 すぐに交換手が出て繋いでくれた。
「すまん、アルフォンス。うっかりするところだった。で、用は何なんだ」
 電話の向こうでアルフォンスはいつになく声を潜めていた。
「さっき兄さんと一緒にいた人なんだけど、デヴィッドって言ったっけ」
「ああ。あいつがどうしたんだ」
「今朝、ハボック少尉に見せられた写真のリストなんだけど、その中にあったんだよ、デヴィッドの顔」
「何っ」
「声を出さずに聞いて。で、ハボック少尉がデヴィッドの写真の裏の名前を読んでいたんだけど、こう言ってた。……ジェイ・ビーって」
 ――ジェイ・ビー?
 聞いたことのない名前である。しかし、これでデヴィッド・ロウという名前がどうやら偽名であるらしいこと、退役軍人で、しかも、マークされている人物であることは判った。
「唇の動きがそうだったよ。間違いない。それに、もう一つ。昨日、兄さんにブラシ・パスして来た人物と夜訪ねて来た人のうちの一人は同じ人だったよ。もちろん、ジェイ・ビーって人とは違う人物なんだけど」
 どういうことだ? とエドワードは首を捻った。デヴィッドはソードのナンバー二だが、あとの二人はどうも別口の人間らしい。別々の組織が別々の行動をとってエドワードに接触して来たということなのだろうか。
 いったい、何が目的で。
 が、考え込むエドワードの背後で、ファルマン准尉が咳払いする気配がした。
「あ、ああ、判った、そういうことだな、アル。また後で連絡するよ。それじゃあな」
 そう言うと、慌ててエドワードは電話を切った。
「よろしいですか」
 振り返ると、ファイルを脇に抱えたファルマンが立っていた。
「これを。大佐から言い付かっていた資料です」
「サーモバリックの?」
「はい。しかし、これはすでにレベル三に差し込まれた部分ですので、資料室で見てもいいそうです。監視もつきません」
「へ?」
 妙なことを言う。サーモバリックは研究そのものがレベル二ではなかったのか。いくら何でもその一部を閲覧可能にしていいはずがない。変だった。が、すぐにエドワードは怪訝な表情を引っ込めた。
「まぁそういうことなら場所を変えさせてもらうぜ。今日は資料室に篭っててもいいのか」
「ええ。先日のように家捜しの予定はありませんからね」
「それじゃ、遠慮なく」
 と、エドワードはファイルを受け取ると、一度執務室に戻ってコートを取ってから、その足で一階の資料室へと向かった。
 そして、ファイルを開き、つい笑ってしまった。
「まぁ、こういうことだろうとは思ってたけどな」
 ファイルの中身は、東方司令部に勤務する者の勤務日誌のコピーだった。これのどこがサーモバリックの資料なのか。
 が、真新しい付箋のついているページがあるのを見つけ、そこを開いてみた。
 ――デヴィッドにサーモバリックの資料を渡したまえ。
 ロイの字だった。
「いいのかよ。連中、あんたの研究成果、ぱぁにしちまうぜ。いや、その前に大佐自ら敵と通じてどーすんだ」
 こんな勝手をして、そのうちヒューズ中佐が嬉々として乗り込んで来るのではないか、と密かに思う。
 しかし、そうしろと言うのなら、言われた通りにしてやろう。即座に判断すると、エドワードはファイルを閉じ、執務室から持ち出したデータを取り出した。
「こっちを渡せってのか? だとしたら、俺の行動、大佐に読まれてるってことかよ」
 全く面白くない。ムカつきながらも、エドワードは資料室を後にした。取り敢えず、デヴィッドと合流しよう。後のことは、後で考えよう。
 どこか投げやりに算段すると、エドワードはファルマンに声をかけ、さっさと東方司令部を出て行った。デヴィッドのところにはロイが踏み込んでいるかもしれないが、構いはしない。デヴィッドに会えと言うからには、それなりの仕掛けを施しているだろう。自分から罠に嵌るのは癪だが、これもテロリスト対策という治安維持のため……、と大義名分を振りかざしたエドワードは自分で自分がおかしくなった。そんな錦の御旗がどこまで通用するのか。
 デヴィッドとの待ち合わせ場所は、フュリー曹長が示した通り、四丁目の先にある。まっすぐそこを目指しながら、しかし、エドワードはふと誰かが自分をつけているのを感じ取った。的を射るような鋭い視線が己れの背中に当てられているのが、何となく判る。
「またかよ」
 今度は誰だ、と苛立たしく思わなかったわけではなかったが、追い払おうとは思わなかった。
「この際だ、顔を見てやろう」
 と、内心北叟笑む。何食わぬ顔をしながらエドワードはとっとと歩道を歩き、歩調を緩めずに進んだ。人通りはさして多くもない。
 追跡者の足取りは、エドワードの速度に合わせるように一定していた。ならば、ことは簡単である。
 リズムを取るように頭の中で数を数え、適当なところでエドワードは歩きながら、くるりと回れ右をした。
 いきなり体を反転され、明らかに狼狽して視線を外した男が一人いた。何て尾行の下手な奴だ、とエドワードは呆れた。否、そもそもターゲットの背中や後頭部に視線を当てている辺りで失格である。人間の体は結構敏感で、急所ともなる部分を見つめられると、どうしても視線に気付いてしまう。視線は、ターゲットの足元辺りに置くのが尾行の基本である。
「ったくよ……」
 そう呟くが早いか、エドワードは男に向かって走り出した。当然のことながら、慌てて男が身を翻す。
「逃がすかっ」
 身の軽さと足の速さでは定評のあるエドワードである。一気に間合いを詰めると、飛びかかるようにして男の背後を取った。勢いで、二人はそのまま歩道に倒れ込んだ。
 周囲が驚いてどよめき、悲鳴を上げた者もいたが、警官が飛んで来る前に、エドワードは男を路地裏に引きずりこんだ。
「てめっ、何もんだ。何で俺をつける」
 馬乗りになり、襟首を掴み上げると、男が降参するように両手を胸の前で開き、首を振った。抵抗する気はないと見て、エドワードは手を緩めたが、しかし、ここでやっと男の顔を間近で見ることとなった。
「あれ、あんたは……?」
 確かに見覚えがある。それもごくごく最近。が、思い出すまでもなく、エドワードが初めてデヴィッドに接触した時、やり過ごした尾行の二人のうちの一人だったと気付く。頬の上に切りつけられたような傷跡があり、いかに人の顔を覚えるのが苦手なエドワードでも、しっかり記憶に残っていた。
「何だよ、大佐に言われて後をつけてきたのか」
「そ、そうだ」
「今更何なんだよ」
「俺に聞かないでくれ。悪いが、大佐が何をやろうとしているのか、俺には知らされていないんだ。ただ、君の行方を追え、と」
「また秘密主義かよ」
 いい加減にしろとばかりエドワードは吐き捨て、それでも男の上からはどいた。
「別に、ついて来なくてもいいぜ。どうせ、これから大佐と合流するからな」
「そうなのか」
「ああ」
 と、頷いたとたんだった。男の表情が歪に変わった。にやりとした性質の悪い笑み。
 怪訝に思う間もなく、エドワードは後頭部に激しい痛みと衝撃を感じた。すうっと意識が遠のき、四肢から力が抜ける。
「よし、よくやった。さっさと運んじまおう」
 背後から別の男の声が聞こえる。がっくりと地面に倒れ伏しながら、エドワードは己れの不明を悔いた。後を追って来たのは二人だったはず。もう一人はどこかに潜んでいたのだろう。








2004,4,25 To be continued

  
 佳境に入って来ました。自分でもどんどんわけが判らない方向へと向かっております。これ、本当に収集がつくんでしょうか。書きながら、不安です。(-_-;)