積極的方策 6
スタッフルームで無料のコーヒーをいただこうと思っていたヒューズは、その前に監視チームと連絡を取り、キャットことキャサリン・ベイシンガーの昨日までの足取りを報告させた。
「彼女なら、昨日の夕刻から自宅に大人しく軟禁されています。マスタング大佐の意向だと伝えると素直に従ってくれました。これでしばらくは時間稼ぎができるでしょう」
「彼女は自宅にも会社にもいないことになってるが、大丈夫か」
「カーテンはきっちり閉めてますし、電話にも出ないように言っておきました。家政婦も協力を約束してくれました。外から中に人がいるとは確認できませんし、会社は彼女抜きでも営業しています。一週間はきついでしょうが、二、三日なら充分誤魔化せますよ」
「そうか。ハボック少尉はまだそっちと合流してないのか」
「はい、その旨の連絡はありましたが、昨日、挨拶程度に顔を見せて、その後は姿は見せていません」
「だったら、今日はちゃんとそっちへ行くだろう。ぐずぐずするようだったら、俺の方から催促しておく」
小細工するところを見られたわけではない、と知り、ヒューズは胸を撫で下ろした。
「引き続き、監視を頼むぜ」
「了解」
聞くことだけ聞いて、ヒューズは電話を切った。この二、三日のうちに本ボシを検挙しなくてはならない。時間との勝負になるが、一応、キャットの身柄確保はできた。エドワードには悪いが、証拠物件を確実に押さえるためには仕方のないフェイクだった。
証拠がなければ、作り出せばいい。捏造するのはNGだが、容疑者に圧力をかけてミスを誘い出したり、罠を仕掛けて僅かな証拠を補強する材料を見つけたりするのは捜査の一手段として認められている。無論、囮を使うこともある。運がよければ、情況証拠だけでなく、動かぬ物証や言質を入手することもできる。
「因果な仕事だ」
そう心の中で嘯き、ヒューズはスタッフルームのドアを開けた。まだ午前中である。こんな早い時間から屯ろする者は少なく、殆ど独占状態のはずだった。ここ数日で指定席のようになっていた三人掛けのロビーチェアを目指して一歩踏み出したヒューズは、傍らに一人の人物を認めて、口笛を吹きたくなった。
「よう、ホークアイ中尉。珍しいな、もう息抜きか」
「お陰様で」
素っ気なく、ホークアイは応えた。構わずヒューズはカウンターに置かれたパーコレータを手に取ると、使い捨ての紙コップにコーヒーを注いだ。
「そういや、お前さんは執務室に呼ばれなかったのか。今、ロイの奴、エドを締め上げてるぜ」
それがホークアイの神経を逆撫ですると判っていながら、ヒューズは敢えて言ってやった。じろっと睨まれたのが判ったが、気付かない振りをして目的のソファにどっかと腰を下ろすと、更に続けた。
「やっぱああいう汚れ役はハボック少尉の方が適任だな。上手くやってくれるだろ。ロイの野郎もその辺はよく弁えてやがる。エドの奴も気の毒に。さすがに病院に逆戻りなんてことはないと思うが、かなり痛い目には遭うだろうな」
手荒な真似は女には無理。いかに信任の厚い側近でも最初から排除されてしまう。暗にそうほのめかしながら口にしたコーヒーはなかなかいけた。こういう場所の無料飲料は不味いというのが相場だったが、今回は当たりだったらしい。
「余計なことに首を突っ込むからです」
しばらくの沈黙の後、ホークアイが平坦な口調で断じる。ヒューズは肩を竦めた。
「協力してもらっておいて、それはねぇだろ」
「頼んだ覚えはありません」
「手厳しいな」
もしかして、エドワードがロイとキャットの密会を目撃したことを、偶然ではないと察知しているのだろうか。ヒューズはそれとなくやばいものを感じながらも言葉を続けた。
「中尉、中尉には独自の考えがあるようだな。ロイのやり方に反対なのか」
「今回の件に関して、という意味でなら、答えはYesです。このような内部の不祥事に外部の者を引き入れるべきではありませんし、関与させるなどもってのほかです。事情聴取だけすればいい話で、ブリーフィングにまで出席させるのは感心しません」
「おいおい、セクショナリズム発動か」
「情報の漏洩が問題になると言っているのです。それでなくとも、もう証人が一人消されています。これ以上の証拠隠滅はご免ですし、それに伴う騒動は事件の解決に当たってマイナスにしかなりません」
「確かにその通りだ」
いったいどこから情報が漏れて主計大尉が始末されてしまったのか。ヒューズ達には全く見当がつかなかった。「敵」にこちらの動きを把握する手段を与えてしまったのは、不手際と言われても仕方がない。エドワードが関与したから漏れたのだとは全くもって言えないが、それに近いニュアンスで責め立てるような台詞を吐かれては、ヒューズも閉口するしかなかった。
「それじゃ、中尉はどういう方策を取るのが効果的だと思ってるんだ。参考までに聞かせてくれ」
「ベイシンガー嬢を泳がせておいて、例の将軍と接触したところを取り押さえればいいんです。資金の流れは銀行や証券取引所に協力させれば解決します」
「危険だな」
「そうですね、将軍と会ったとたん、口封じされてしまう可能性があります。彼女の会社に電話して口座の残金を移動してしまえば、それで終わりです。そうなる前に強制的に封鎖しておく必要がありますね」
「そりゃ、かなり強引なやり口だ」
残念ながら、そこまで軍は独裁的な手段をとることができない。あくまで銀行や証券会社は私企業であり、個人情報、特に顧客のデータを開示することに恐ろしく消極的だった。それに、民間人を囮に使って何か重大事件が起こったら、指揮を取っていたロイが攻撃の矢面に立たされる。手っ取り早く解決するには申し分のない手だが、現実的ではない。
「しかし、もっといいのは、今すぐベイシンガー嬢を拘束して、会社と自宅を強制捜査することでしょう。証拠となるものを押収すれば、主犯など簡単に捕縛することができますし、そこまでやれば無駄な抵抗もしないでしょう」
「おいおい……」
ヒューズが苦笑する。それは令状がなければできない。現行犯のような確固としたものがあれば別だが、単に参考人程度の容疑では家宅捜索などできるはずもなく、それが判らないホークアイではないはずである。
「時々思いますよ。こんなまどろっこしいことをせずに、容疑者宅に乗り込んでAK四七かウージーを連射することができたら、と。ほんの数分で全て片が付きます」
「あのなぁ、そんなことをやるのはどこかのテロリストかカルテルだ。一応アメストリスは法治国家なんだからもうちょっと穏便にすませる方法を提案してくれよ」
「もちろん、今のは本気ではありません」
にこりともせずにホークアイは言い切った。どうやら、ジョークだったらしい。苦笑しながら残りのコーヒーを飲もうとしたヒューズは、しかし、次の台詞に噎せこんだ。
「やるなら、微塵たりとも痕跡を残さないよう爆破するのが一番ですから」
「ち、中尉……っ」
「言っておきますが、そんな命令は受けておりません」
つまり、命令があれば、それくらいは喜んで実行するということである。冷たく整った美人顔のホークアイが淡々とした口調で語ると、それだけにはったりとも冗談とも思えない空恐ろしさがあった。
「ロイの野郎も物騒な部下を持ってるもんだ」
「任務に忠実なだけです。……それでは、お先に失礼致します」
そう言うと、ホークアイはヒューズに一礼し、手にしていた紙コップをダストボックスに放り込んだ。
「女は血を見ても全然動じないからなぁ……」
肩を竦めながら、ヒューズは呟いた。
戦場では男よりも早く順応し、弾丸飛び交う修羅場に乗り込んで戦友の死体を片付け、着弾の轟音に怯える兵士を殴りつけていたかと思うと、女の武器で敵の将校を酒に酔わせて抵抗を奪い、ベットに誘って暗殺する。そんな逞しくも魅力的な女性士官を、これまでヒューズは何人も見て来た。
しかし、そんな逞しさ、有能さを認める男は少ない。故に、女が軍のようなマッチョさを強調する組織でのし上がろうとすれば、相当な覚悟と忍耐力が強いられる。有能で有能で、どうしようもなく有能で、文句の付けようもないほど有能でなければ女など路傍の石か花瓶に挿した花くらいにしか思われない。しかも、ただ有能であってもダメで、男達の交わす下世話なジョークや猥談に平気で応じ、軽く受け流しながらウィットに富んだ切り返しができなければ、話し相手にもしてくれない。ちょっと先走って進級しようものなら、上司と寝たのだろうと勘繰られる。
あくまで男性士官にとって、女性士官は町で屯ろする女と同じ、可愛がって懐かせ、さんざん弄んで利用し、使い終わった後は捨てていく存在でしかない。まず、同じ軍人として仲間とは思われていないのである。決して、自分より抜きん出た存在であってはならないし、潰しておかなければならない厄介の種だった。
もっとも、その固定観念を逆手に取る女性士官も多い。例えば、諜報活動を担当する部署には女性士官の割合が高く、注視されない存在を隠れ蓑にして情報戦線の最前線を取り仕切っている。家政婦や娼婦に扮してターゲットの自宅や寝室にまで潜り込むなど男にはできないことができるため、その成果には目を見張るものがあった。
「げに恐ろしきは女なり……」
冷め切ったコーヒーを飲み干すと、誰に言うともなく、ヒューズは呟いた。
時計を見ると、執務室を出てから三〇分近くが経過していた。待ち合わせをしていて、相手が来ていなかった場合、待つ限度は三〇分とヒューズは決めている。そろそろ迎えに行った方がいいだろう。ロイがそうそう手荒な行為に及ぶとは思えないが、不確定要素は残る。キャットが無事であることぐらいは耳打ちしておくべきか、いや、やはり黙秘しておこう、と思い直し、また、やめた方がいいか、と迷う。
「くそ、あとは野となれ山となれ、だ」
意外に座り心地のいいロビーチェアから腰を上げると、ヒューズはとっととスタッフルームを出て行った。
が、しかし、執務室のドアを開けたヒューズは、眼前に展開された光景にぎくりとした。
「お前ら、いったい何をやったんだ」
「別に」
平然とハボックが新しい煙草に火をつける。その足元に、ジャケットを剥ぎ取られたエドワードが蹲るように片膝を衝いて、生身の左腕を押さえて呻いていた。しかも、唇の端が切れて血が滲んでいた。昨夜受けた暴行に次いで新たな傷ができており、乱暴に拭った口元は痛々しかった。
「ロイ、お前……」
「怪我はさせていない」
執務机に浅く腰掛け、腕を組んだままロイも平然と言い返す。さっさと吐かない方が悪い、とまでは言わないが、それに近いニュアンスに、ヒューズは苦虫を噛み潰した。
「エドを連れて帰るぜ。これでも一応怪我人なんだ」
「それなら悪いが、医務室へ行くのは遠慮してくれ。軍医に見せたら、治療記録が残ってしまう」
「お前の邪魔はしねぇよ。……エド、立てるか」
「何とか……」
機械鎧の右腕を掴み上げると、エドワードはヒューズの手にすがるようにして立ち上がった。床に放り出されているジャケットを羽織らせてやると、足元がふらついた。どうやら、腕と顔以外にもダメージを受けているらしく、一歩踏み出すと、それだけで脇腹や膝を押さえて、痛みを堪える。
恐らく、骨折しないように、しかし、最大限の苦痛を与えるように、四肢の関節を狙って打撃を加えたのだろう。今更言うまでもなく、ハボックは暴力のプロだった。
「ったく、何てことしやがる」
車両部で軍用車を借り、ヒューズは一番近くにある民間の病院へと向かった。あくまで、エドワードの怪我を気遣うように。
「ちょっと暴漢に絡まれて……」
と、適当に誤魔化し、医者に見てもらうと、ロイの言った通り、大した怪我ではなかった。骨にも内臓にも異常はなし。検査の必要もなし。化膿止めと消炎剤をもらい、顔の傷に絆創膏を貼り直してもらって治療は終わりだった。
「しかし、その顔じゃアルフォンスのところには戻れないだろう。今日は俺のところに泊まってけ。念のため、明日まで大人しくしてろ」
ヒューズにそう提案され、エドワードは素直に頷いた。さすがにアルフォンスに心配をかけるのはまずいし、打撲傷を負ったまま動き回るのも得策ではないと判断したらしい。
「なぁ、特工って何だ」
いったんホテルに戻り、一服して落ち着いたところで、エドワードが気になっていた疑問を口にした。
「聞いてどうする」
「別に。知りたいだけ。あんたらの会話に出て来ただろ」
「そうだな……」
どう説明しようかとしばらく沈黙したヒューズは、しかし、はっきりと言った。
「簡単に言ってしまえば、国家公認の殺し屋だ」
「殺し屋……?」
「要するに、権力者側にとって生きてもらっていては困る人物を闇に葬ってくれる必殺仕事人だな。やり方は、事故死や自殺にカムフラージュしたり、通り魔の仕業に見せかけたり、色々だ。メンバーは軍人と民間人が半々くらいかな」
「何だよ、それ……」
疑問符を浮かべながら、それでもエドワードはそのような殺し屋がいるとの噂を聞いたことを思い出した。あの時は、デマだと思っていたが、ヒューズの口調は架空の物語を騙っているようではなかった。
「元々は内務省の中にあった組織だ。思想犯なんかの危険人物を取り締まる特別秘密警察ってのが昔あっただろ? それの後身みたいなもんだから、言うなれば国家元首の直轄組織だな。もっとも、国家元首ってのを大総統と規定すれば、実質的には軍が牛耳ってることになるわけだが、どこのどういう人物がマネージメントしているのか、特工のメンバーが誰であるのか、一切合財がトップシークレットだ。俺にも判らねぇよ」
「何かの映画みたいだな。プロの暗殺集団か……」
「特工ってのは略称で、正式には特務工作員っていうんだ。頭に『特務』がつくと、暫定的な地位を与えられているって意味になる。特別にそれ相当の任務に就くってことで、アドホックな身分だな。ま、汚れ仕事をさせるために臨時で雇ったって意味もあるが……。そうだ、もっと面白い話をしてやろうか」
悪戯を思いついたような表情で、ヒューズがエドワードを手招く。呼ばれるままエドワードはヒューズの座っているソファに腰を下ろした。
「『生まれながらの殺人者』ってのを聞いたことがあるか」
「いいや」
「まぁそうだろうな。警察官か軍人じゃないと知らないような単語だ。普通、人が人を殺せば、もの凄いストレスを受けて不眠になったり、食欲を失ったり、酷い奴は一時的に耳が聞こえなくなったり、失語症になったりする。殺人ってのは、それだけ人という生き物にとってタブーなんだよ。しかし、ごくまれに殺人を犯しても平気な人間がいる。人を殺しても全くストレスを感じないんだな。これは殺人によって快楽を覚える連続殺人犯や良心のないサイコパスと違って、平時は完全に普通の人間として暮らしてるってのが特徴だ。警察官になったり、徴兵されたりして、命に関わる修羅場に直面して、初めてそれと判る。だから、本人が気付いていない場合も多い。参考までに言うと、全人口の男で約四%、女で一%、平均二%の割合で、『生まれながらの殺人者』が存在する。で、特工の組織は、こういう人物を狙ってスカウトするわけだ」
「軍で訓練して、暗殺者にするわけじゃないのか」
「もちろん、そういう奴もいる。だが、わざわざ人殺しの訓練をしなくてもいい奴がいるんだったら、そっちを徴募した方が手間がかからないだろ。素質のある奴の方が短期間で優秀な暗殺者になるからな。それに、そんなに大勢頭数を揃える必要はない。少数精鋭ってヤツだ」
それで軍の組織ではないのか、とエドワードは納得した。しかし、興奮も高揚も恐怖もなく平然と人殺しができるとは恐ろしい。元々人は人を殺すようにはできていないというのに。
例えば、催眠術をかけて、「××を殺せ」といくら暗示をかけても、普通の人間はいざ実行しようとすると、とてつもない恐怖に襲われて身動きが取れなくなってしまう。人間の脳の中にある、本能を司る扁桃核という箇所が催眠の影響を受けないためだと言われてるが、逆に言えば、人は本能の中核的な部分で殺人を忌避しているということである。
これは厳しい訓練を受けた軍人も同じで、いくら武器の扱い方を仕込まれたからと言って、実戦ですんなりと引き金を引けるわけではない。初めて人を射殺した時の、引き金を引いた時の感触は何十年経っても指先に残る。指が麻痺したように固まり、引き金から離れなくなったりする者も多い。スコープから見える十字線の向こうでターゲットが仰け反り、血を吹き出した光景も目に焼きついて一生忘れられないという。
また初陣で、指揮刀を銃の掃除棒と間違えて揮っていたとか、気がつくとでかいヒキガエルを必死で握り締めていたとか、雲の上を歩いているようで殆ど記憶がないとか、その手の武勇伝は山のようにある。ついでながら、初陣で脱糞・放尿してしまう者が、約一割強。
結構、人間というのは情けないものなのであるが、こういうところがあるからほっとする。しかし、それを裏切る者も、ごく少数存在するのである。また、生まれながらではなくても、幾度もの戦場という殺し合いの経験を経て、有能な殺人マシンが誕生する。
「ぞっとするな」
「ああ。俺が喋ったことは内緒だぞ。まぁ、そういう連中がいるということだけ覚えとけ。間違っても、特工が誰なのかなんて探すなよ」
「すぐ近所にいるみたいな言い方だな」
何気なくエドワードは口にした台詞だったが、内心ヒューズはひやりとした。もっとも、顔には出さず、ただ笑い飛ばした。
「そう聞こえたか。悪いな、怖がらせるつもりはなかったんだ」
「別に怖がってなんかない」
恐らく、特工は公然の秘密なのだろう。これも国家の暗部というヤツか、とエドワードは納得することにした。
「もしかして、中佐はその特工ってのが動いてることも考慮に入れてるのか」
「今回の件か? そりゃ、可能性としては考えられるが、実際はどうだかな。さっきロイにも言ったが、例の将軍様の処置は内部で揉み消すって方向で行くと決まってるからな。下手に手を下したら、却って注目を浴びて逆効果じゃねぇか」
「それもそうだな」
穏当に済ませるものをわざわざ目立たせて人目を引く必要はない。エドワードは納得して、それ以上は聞かなかった。
「しかし、すでに主計大尉は殺されちまったし、キャットは行方不明だ。将軍様に警告を送っておこうかとも思うが……」
「その必要はないんじゃないのか。どっちの情報ももうその将軍って奴の耳には入ってるだろうから、それだけで充分警告になってるぜ。奴がどれだけ肝の座った奴か知らねーけど、余計な刺激を与えて動揺させるのはまずいと思う。予想外の行動をとったら、どう対処するんだ」
「対処の方法があるなら、ちょっと突付いてやってもいいってことか」
「捻るなよ。それとも、何かいい考えがあるのか」
「いや、そういうのもありかと思っただけだ」
ヒューズは顎を撫でるように人差し指を動かすと、今思い出したように付け足した。
「そういや、そういう仕掛けのことを、『積極的方策』って言うんだ。知ってたか」
「積極的方策?」
「そう。こっちから打って出て相手の動きを見る。もしくは、こちらの思い通りにコントロールして、袋小路に追い詰めてやる。そういう策略のことだ」
「今回の件で言えば、将軍って奴を窮地に追いやってみて、その時いったい誰に助けを求めるのか、ってことか」
「泣きつく先がどこか、ということだな」
もう身も世もなく取り縋っている可能性の方が高い、とヒューズは思っている。でなければ主計大尉があれほど呆気なく、かつ性急に始末されるわけがない。
しかし、反対に言えば、馬鹿なことをしたとも言える。これで馬脚を現してくれれば儲けものだ、とヒューズは北叟笑んでいた。もがけばもがくほど己れの立場が悪くなるということを、渦中にいる者は、不思議なほど気付かない。平時ならば、人一倍用心深い人物が、子供の遣いでもやらないようなミスをぽろっとやってくれたりするのである。このミスをいかに上手く拾えるかが、方策の可否を分ける。
「それはそうと、ロイの野郎には何も喋らなかっただろうな」
「当たり前だ」
一度喋らないと言ったら、拷問されても喋らない。それは信用してもいいだろう。いかに相手がロイであろうとも、己れの一言によってどういう事態が発生するかよく判っていれば、エドワードは黙秘を貫き通す。
そのことに、ついヒューズは口元が綻ぶ思いだった。恐らく、ロイは全く筋違いの誤解を深めたことだろう。
何故、そこまでしてヒューズに義理立てするのか、と。
いつの頃からか、エドワードがロイに特別の感情を抱いていることに気付かなかったわけではない。ロイも気付いている。が、完全無視を決め込んでどれくらいになるだろう。全くつれない相手に、いい加減に諦めろと忠告はしたものの、誰に迷惑がかかるわけではない。寧ろ、自分のような目敏い奴が利用できるというメリットもある。
ロイが今どういう心境でいるのか、想像するとなかなか興味深かった。靡いていると思っていた相手が思いのほか頑強に抵抗し、全く己れの言うことを聞かないのである。当てが外れた、見込み違いだったか、こんなはずではない、と色々不愉快な思いが渦巻いていることだろう。己れに自信がある男だけに、むかついているに違いない。
「ロイの野郎に言いたいことがあるなら悪口雑言、罵詈罵倒、何でも預かってやるぜ。しかし、本当にえらい目に遭っちまったな。今日はゆっくり休んでくれていいからな。俺はこれから出かけるが、用があったら憲兵隊本部の方に連絡を入れてくれ。これからは殆どあっちに詰めることになる」
エドワードは、判ったと言ってそのまま力尽きたようにソファに寝転んだ。黙って大人しくしていれば、結構可愛い顔をしている。特に際立っているわけではないが、それなりに整った顔立ちは人目を引く。なのに、口を開けば山猿同然。いたく残念に思いながら、小さな子供にしてやるように軽く金髪の頭を撫でてやると、ヒューズは室を出て行った。
もう少々、キャットの面倒を見てやらなくてはいけない。大人しく監禁されてくれるには、ちゃんと事情を飲み込んで納得してもらう必要があるが、それ以上に事態がどう進んでいるかの状況説明をしてやらなくてはならなかった。金融関連の実業家などという頭の回転がいい上に抜け目のない者なら尚更で、そのお相手をするとなると、なかなか面倒だった。ちょっとしくじれば、己れの権利を主張して憚らない。
ホテルの駐車場に止めておいたクルマを運転して直接キャットのアパートメントへ向かったヒューズは、しかし、エドワードとの会話を密かに聞いている人物が数十m先に潜んでいることに、まだ気付いていなかった。
盗聴器は電話機だけでなく、リビングと寝室にも取り付けられていた。ヒューズの室への侵入はすでに四回。声と物音だけで、二人がどう移動し、何をしているのかが判るようになっていた。
会話が終わった時点で耳に差し込んだイヤホンを抜き取り、男は駐車場に停めたクルマの中で首を振りながら嘆息した。
その目の前を、ホテルの玄関から出て来たヒューズが横切って行く。そして、司令部から乗って来たクルマに乗り込むと、エンジンをかけた。
どこへ出かけるのだろう。後を追うべく、男はヒューズの運転するクルマが駐車場を出て行ってからエンジンキーを回した。
東方司令部へ戻るのかと思われたヒューズは、しかし、途中で公衆電話ボックスに入ると、誰かと連絡を取り、待ち合わせるべく別の場所へと移動した。
辿り着いた先は、憲兵隊本部の分室とも言える、憲兵分隊(民間の警察署に相当)のところだった。私服で一般人に近付き、流言蜚語の収集を行ったり、応召者から反軍思想の人物を聞き出したりする現場向きの憲兵が詰めている関係上、軍服を着用していない者もかなり出入りしている。それに紛れて男はヒューズの後を追い、コンクリート造りの建物の中へと入って行った。
ヒューズが会っていたのは、豪華な金髪も目に鮮やかな、刺繍の入ったビスチェにミニスカートという挑発的な出で立ちの女性だった。情報提供に訪れたコールガールか、と最初は思ったが、どうやら軍の関係者らしかった。
残念ながら、声までは聞こえて来ない。唇の動きもよく見えない。しかし、お互いの用件は見て取れた。
「成る程……」
大体の内容が判れば、それでいい。長居は無用とばかり、男は未練もなくその場を離れるとクルマに戻り、すぐさま発進した。
それから約一時間の後、ヒューズはキャットのアパートメントへと向かっていた。思ったより時間を食ってしまった、と思わなかったわけではないが、今のところ異常を知らせる緊急のコールはない。
「大丈夫。順調だ」
そう己れに言い聞かせ、ヒューズはアパートから一ブロック離れた路肩にクルマを停め、サイドブレーキを引いた。降りようとドアを開けたヒューズの目に、ふと意外な人物が映ったのは、その時だった。
「ありゃ、ハボック少尉?」
監視チームと一緒にいるはずが何をしているのだろう。ヒューズは首を捻ったが、黙って様子を窺っていると、ハボックは出入り口を入ったすぐ脇にある管理人室の窓口に声をかけ、中にいた中年男から差し出されたノートに己れの名前を書いて、エレベータの方へと向かって行った。
このアパートメントには管理人が常駐しており、訪問者があれば、例外なく入出ノートに名前を記入し、住人と連絡を取ってその許可を得ないと中へ通してくれないシステムになっている。住居スペースに通じる階段もエレベータも管理人室の奥のドア――つまり、二重ドアの向こうにあり、開閉は管理人しか操作できないようになっているのである。
セキュリティは万全というのが、このアパートメントの売りであり、それを証明するが如く、この数年重大なトラブルは起きていなかった。
「キャットに用か」
ヒューズは首を捻った。キャット本人がここに潜んでいることはロイにも知らせていないはずである。いったいどういうことなのか、ヒューズはハボックが出て来るのを待って事情を聞くことにしてクルマを降りると、数m離れた空き地に何気なく屯っている青年二人に声をかけた。どちらもダウンタウンから歩いて来て、ひと休みしている風情を装っていた。
「よう、調子はどうだ」
はっとしたように二人は振り返ったが、ボロは出さなかった。さすがに監視と尾行の訓練はしっかり受けているだけのことはある。
「悪いが、火を貸してくれ」
「ああ、いいぜ」
一人の青年がポケットからライターを取り出し、ヒューズが咥えた煙草に火をつけてやる。火をつけるために顔を近づけた瞬間を狙って、青年が囁いた。
「異常はありません」
「さっきハボック少尉が入って行ったぞ。マスタング大佐から何か言って来たか」
「ええ。しかし、用件は知らされておりません」
ロイからの指示でここへ来たということか。ヒューズは久しぶりに吸い込むニコチンの刺激に、機嫌よく紫煙を吐いた。
「他に、誰か来たか」
「いいえ」
ロイに確認した方がよさそうだ、とヒューズは思った。いや、こちらの事情を説明する方が先か。
「盗聴の方はどうだ」
「問題ありません。彼女は誰とも連絡を取っていません。かかってきた電話は全て家政婦が取って留守だと告げています」
「そうか」
ならば、ルールはきちんと守られているということである。
「邪魔して悪かったな」
そう言うとヒューズは身を翻し、その場を離れた。
クルマに戻って待機していると、ハボックはすぐに出て来た。時間にして、一〇分か二〇分ほどだろう。単にキャットが本当に自宅にいないのか確認しろとロイに言われて見に来ただけなのかもしれない。
クルマの中からフロントガラスを通して見ていると、そうとしか思えなかった。
ハボックが来客用の駐車場から軍用車を出し、通りに出て姿が見えなくなってから、今度はヒューズがアパートメントへ入って行った。
管理人に声をかけると、つっけんどんにノートを突き出された。それを見た限り、ハボックはきちんと己れの名前を記帳しており、家政婦の許可を得てキャットの室に向かったらしかった。
がたん、と管理人室の脇で何かがぶつかる音がして、ふとヒューズはそちらを見遣った。住人用のエレベータとは別に設置された、ビル清掃などの管理業務を行う専用エレベータから作業員がごみ収集のワゴンを引きずり出しているところだった。
このアパートメントの、各個室のプライバシーは完全に守られているものの、廊下や階段などの共用部分は委託された業者が管理しているらしい。
余計なことを考えながら管理人に来訪の意を伝えると、決められたルールに従い、キャットの室へ電話をかけてくれた。
が、しかし、出たのは留守番電話だった。
「ただいま電話に出ることができません。改めてこちらから連絡させていただきますので、お名前、ご用件と電話番号をお願いします」
まるで台詞を棒読みするようなキャットの声が聞こえ、ヒューズはがっかりした。
「家政婦がいるはずだが、出かけちまったのか」
「さっきまではいたんですがね……。こちらから出て来た姿は見ておりませんから、トイレにでも入ってるんじゃないですか」
それならば、と五分待ってまた電話を入れてもらってみたが、結果は同じだった。平坦な、自動的に再生される声を聞いていると、非人間的な拒絶をされている気分になってくる。留守番電話に応対されるのが嫌、また相手に対して失礼だと考える者も少なくない。
「本当に中にいるのか……」
不意に、嫌な予感がした。まさか、と青褪めるヒューズに対して、管理人はいたく暢気だった。
「風呂にでも入っているのかも」
「こんな真昼間にか」
「朝昼晩と一日に三回入る人もいますよ。とにかく、住人の許可が得られませんので、ここはお引き取り下さい」
傲然と、中年の管理人は言ってのけた。
「おいおい、俺を追い返すつもりか」
この俺を誰だと思ってるんだ、と言いかけて、ヒューズは思いとどまった。いくら軍法機関の者で、捜査権を持っていると言っても、ここはセントラルではない。東部である。下手に強権発動すれば、東部を管轄する憲兵隊本部の面子を潰すことになってしまい、後々面倒なことになる。
「判った。ちょっと待ってろ」
そう言い捨てると、先程声をかけた青年二人に頼んで憲兵隊本部の副官に連絡をとってもらい、参考人の室に踏み込む許可を取った。
「仕方ありませんね」
一時間以上ロスしてしまったが、渋々ながらも管理人はマスターキーを手に取ると、管理人室から出て来た。
「この鍵はいかなる場合もお渡しできません。店子の室までは私も同行致します」
セキュリティをあくまで優先させる態度に、ある意味ヒューズは畏敬の念を覚えた。これだけ厳重ならば、己れの懸念も取り越し苦労に終わるだろう。
もっとも、その希望的観測は、キャットの室のドアを開けるまでの僅か数分の間だけだった。
何度ノックしても応答はない。普通、四回以上ノックを繰り返せば、押し売りや勧誘ではなく、本当に用事のある人物が訪問してきたのだと悟って病気で寝込んでいる者でも出て来るものである。それに応えてくれないということは、応じられる情況にないということである。
「おい、まさか」
ヒューズがせっつき、慌てて管理人がマスターキーでドアを開ける。幸い、チェーンは掛けられていなかった。
が、その開け放たれたドアの向こうに広がる光景に、ヒューズは息を呑んだ。
むっとする濃厚な血の臭いと生臭さに、ヒューズは己れの目論見が挫かれてしまったことを悟った。そこは、まさに血の海だった。
「なんてこった……」
が、ここで怯んではいられない。
「すぐに憲兵隊本部に連絡をとってくれ。ここには誰も入れるな。……行けっ」
いきなり殺戮の現場を目の当たりにした管理人が腰を抜かしたようにドアに縋って口をぱくぱくさせていたが、それを叱咤し、怒鳴りつけるように喝を入れて追い出すと、ヒューズは即座に現場保護に努めた。
室に転がっていたのは、女性の射殺体二体。玄関口に家政婦の女性、リヴィングへ繋がるパーテーションの前にキャットことベイシンガー嬢の遺体が俯せになって倒れていた。二人とも即死だったらしい。頭部に二発、胸に一発の弾丸を受け、絨毯の敷かれた床は文字通り鮮血に染まっていた。
「くそ、先を越されちまったか。しかし、こりゃプロの仕業だ」
殺害だけが目的の、専門の訓練を受けた者の仕事だとすぐにヒューズは見抜いた。軍人はこのような方法はとらない。軍人にとって敵戦力は、あくまでも戦意喪失させる対象であって、殺戮の対象ではない。抵抗を奪い、沈黙させるという戦略目標が達成できればそれで終わりなのである。ターゲットが死んでいようがいまいが関係ない。動かなくなってしまえばそれでいい。しかし、暗殺者は確実を期して急所である頭と心臓を狙って二発づつ撃つ。
恐らく、応対に出た家政婦を射殺し、物音に驚いて出て来たキャットを更に射殺。すぐにその場を離れたのだろう。ヒューズが見た限り、痕跡らしい痕跡は殆どなかった。銃の発射音はサイレンサーで消されていたらしく、隣近所の住人は誰一人として廊下に出て来て様子を窺うようなことをしておらず、無論、不審者の姿もない。室内に踏み入った足跡が見当たらなければ、もちろん、凶器となった銃器もない。出入り口は自動ドアであるため、暗殺者が立ち去った後、勝手に閉じてしまい、必然的に室は密室となっていた。
「くそっ」
殺されてから大して時間が経っていなかったのだろう、絨毯に沁み込んだ流血はまだ乾いてはおらず、触れば手についた。
歯軋りしながらヒューズはロイに電話をかけたが、しかし、外出中だった。
「どこ行きやがった、こんな時に」
『野暮用だそうです』
と、応対してくれたブレダがこともなげに言う。
「いつ戻る」
『判りません。二時間経って戻らなければ、ヒューズを呼び出せ、と言われていますが、そちらで何かありましたか』
「何かあったじゃない。ベイシンガー嬢が殺されちまった。すぐ誰かこっちへ寄越してくれ」
大事な証人がまた消されてしまったとの台詞に、ブレダが戸惑う。その様子に周囲が気付いたのだろう、ざわっとざわつく気配が受話器の向こうから伝わってきた。
「現場はキャットの自宅だ。ロイの野郎が捕まったら、真っ先にこのことを伝えてくれ。こっちへ来る必要はないが、来たけりゃ来てもいい」
『判りました』
キャットは行方不明ではなかったのか、何故そんなところにいるのか、という質問は敢えて発せられなかった。俺は現場検証が済むまでここにいる、と言い置き、ヒューズは電話を切ろうとして、しかし、待ったをかけた。
「そこに、ハボック少尉はいるか」
『いますよ』
反射的にブレダがハボックの方へ視線をやったのだろう、声が間延びした感じになる。
『自分の机に足投げ出して煙草吸ってますけど、代わりましょうか』
「いや、いい。邪魔したな」
どうかしたのか? とブレダが疑問を浮かべる。行儀の悪いことだと思いながら、ヒューズは何でもないと言って電話を切った。
「それにしてもロイの野郎、どこへ雲隠れしやがった」
こんなところでサボタージュモードに入ってしまったのだろうか。悪い癖だと詰りながら、ヒューズは心当たりに片っ端から電話をかけた。ロイの命令でこの付近一帯の封鎖をしなければ、犯人を逃がしてしまう。
しかし、ロイはどこにもいなかった。いくら電話をかけても空振りに終わり、次第にヒューズは苛立ちを強めて行った。
念のため、エドワードが休んでいるホテルにもかけてみたが、やはりダメだった。しっかり寝入ってしまっているのか、それとも、受話器を取るのが億劫なのか、いくら直通番号からベルを鳴らしても応答はなく、虚しく呼び出し音が聞こえるばかりだった。
「くそっ」
口汚く罵ると、ヒューズは受話器をフックに叩きつけ、電話を切った。
2006,11,5 To be continued
ああ〜〜〜、ロイエドのHシーンまで辿り着けなかった〜〜〜。もうプロットは立ててあるのに〜〜〜〜。残念無念。(T^T)
次こそは!