積極的方策 9
思ったよりロイの釈放は手間取ったらしい。東方司令部の執務室に主が戻って来たのは、予定を大幅に遅れて、その日の夕方となってしまった。待ちくたびれたのか、エドワードはさっさとどこかへ行ってしまい、別荘帰りのロイを迎えたのは、いつものメンバーだった。
「まったく、少しもじっとしてないな」
と、ロイは不満げに漏らすと、従卒が入れてくれたコーヒーを口にした。正直、どういう顔をして会えばいいのか判らなかったのであるが、それなりに優しい言葉の一つでもかけてやろうと思っていた。エドワードの証言がなければ、あと数日はあの鬱陶しい留置場で慇懃無礼で尊大な憲兵と顔をつき合わせなくてはならなかっただろう。
「本当にどこへ行ったのか判らないのか、鋼のは」
「書類倉庫にはいなかったんスよね」
と、ハボックが応える。その横に立っていたブレダも首を傾げていた。
「そういや、ホテルにも戻ってないってアルフォンスがぼやいてましたよ。行き先を知らないかって、反対に俺の方が聞かれました」
「ヒューズのところにもいないのか」
「いないようですよ。中佐もエドを探してましたから」
「そのうち戻って来るでしょう」
と、ホークアイが口を挟んだ。反射的にハボックは苛立たしげな視線を送ったが、ホークアイは平然としていた。
「まだこちらには滞在していると言っていましたから。明日にはけろっとして顔を出すのではないでしょうか」
そう言って、ホークアイはいつもと変わらない動作で執務室を横切って行き、さっさと廊下に出て行ってしまった。ばたんと閉まるドアを見遣り、ハボックはロイに囁いた。
「放っておくんですか」
「別にミスをしたわけではない。中尉は己れの責任と義務において私を憲兵隊に告発した。それだけだ」
ロイは全く意に介さない口調で言い放ったが、ハボック達にしこりの残らないはずがない。憮然としてブレダやファルマンと顔を見合わせ、舌打ちでもしそうな不機嫌さでドアの向こうを睨みつけた。
「とにかく今回のことは誤認逮捕ということで、憲兵隊本部も捜査をやり直すと言っていた。ベイシンガー嬢の殺害事件は振り出しに戻ったと思ってくれ」
「了解」
もう上がっていい、と言おうとしたその側から、ロイの執務机の電話のベルが鳴った。
「私だ」
『俺だ』
受話器の向こうから聞こえて来るヒューズの声に、ロイは心ならずもほっとした。今回ばかりは親友の働きかけに感謝している。が、相応の台詞を口にしようとする前に、ヒューズが息せき切って言った。
『アイロス将軍が行方不明だ。市街地の視察に出たまま連絡が取れないんだとよ』
「いつ、いなくなった」
『今日の昼過ぎだ。一時間かそこらで戻って来るはずだったんだが、もう四時間経つ。配下の連中が将軍様を探して右往左往してるぜ』
「こっちに来れるか」
『そのつもりでそっちに向かってる。あと三〇分くらいで着くから、待っててくれよ』
言うだけ言うと、ヒューズはロイの返事も聞かずに電話を切ってしまった。いつもながらのせっかちさだ、と思いながらやれやれと肩を竦めて受話器を置くと、ハボックがこちらを見ているのに気付いた。
「どうした」
「中佐がここへ来るんスか」
「何か都合の悪いことでもあるのか。それとも、奴に用事があるのか」
「いえ、別に。俺は上がっちまってもいいスか」
「構わない。残業したくてたまらないと言うのなら、別だが」
「んなわけないスよ。それで、明日なんスけど、午前中休みをもらえますか」
「休み?」
「これスよ、これ」
と、ハボックは軍帽を脱ぎ、三針縫った頭の傷を指差した。
「抜糸するから来いってお呼びがかかってんスよ。明日、朝一番で軍病院へ行って、さっさと済ませてきちまいます」
「そうか。すっかり忘れていた。経過はどうなんだ」
「良好だそうです。ついでながら、記憶の方もそれなりに順調ってか、どうでもいいようスよ」
「どうでもいいというのは、どういう意味だ」
「現在の時点で、もう忘れて困るような記憶はないだろうってことです。仕事にも日常生活にも支障はないようだし、俺の行動ならファルマン准尉の方が詳しいくらいで……。事故の前後一時間がどうしても思い出せないってのはムカつきますがね」
「そればかりは仕方がないだろう。お前に当て逃げしたドライバーを捕まえたいのは判るが、憲兵隊に任せておけ」
捜査が進んでいるとは聞いていないが、サボっているわけでもないらしい。ハボックは渋い顔をしたが、肩を竦めるとブレダ達の後を追った。
三〇分、と時間を切っていたヒューズは、しかし、思ったより早くロイの前に姿を現わし、将軍失踪の経過を教えてくれた。
「朝はちゃんと司令部に顔を出して、お仕事していたそうだ。特に変わった様子もなく、いつも通りの精勤振りだったとか。市街地の視察に出るのは、まぁ日課の散歩みたいなもんだな。従卒を運転手代わりに連れて、午後から出たそうだ。いつもならすぐ戻って来るんだが、さっき言ったように四時間経っても戻ってこない。どこかで油でも売ってるんじゃないかって副官が将軍様の立ち寄りそうな店や駐屯地に片っ端から連絡を入れてみたんだが、今のところ全部スカ。全く足取りが掴めないそうだ」
「従卒も一緒に失踪したのか」
それへ、ヒューズは微妙な顔をした。
「それなんだよな……。途中で、お前は帰ってもいいって将軍様が戻しちまったってんだ。つまり、司令部を出てすぐ一人になっちまったわけだ。もしかしたら、誰かと会うつもりだったのかもな」
「とすれば、誰と会ったかが判れば、何があったか判るな」
「簡単に言ってくれるなよ」
そんな手掛かりは今のところ出て来ていない。私的な用件なら記録には残らないし、会っているところを見られたくないならば、足跡はできるだけ隠蔽していることだろう。キャットに金を預けたように簡単に尻尾を掴まれるようなドジを踏む男ではない。
「戻って来ないのは、その相手との話し合いが拗れてしまって監禁状態にあるのか、もしくは……」
と、ここでヒューズはひと息入れるように言葉を切った。その後を、ロイが受ける。
「すでに殺されているのか」
「そういうことだ」
「まずいな。先方に警告を発しようと思っていた矢先に……」
「先を越されちまったってわけだ。嬉しくて泣けてくるぜ」
そう言うと、ヒューズは来客用のソファにどっかりと腰を降ろした。疲労が深く滲み出ている、とまでは言わないが、次々と証人が消されていく事態に、少なからずの動揺と焦燥が見て取れる。
主計大尉が告発をして来た当初は、こんな横領事件などさっさと片付くだろうと目論んでいたのだが、今となってはそう思っていたこと自体が懐かしい。
「それにしても、ずいぶんと手回しのいい連中が動いているな。まるでこっちの先読みをしているみたいだぜ」
「そうだな」
ロイは敢えて反論せずに頷いたが、ヒューズの台詞に引っ掛かるものを感じて眉を寄せた。
「よほど目端のきくチームリーダーがいるのか、それとも、スパイがいるか。そう言いたいのか」
スパイなどというどぎつい台詞をぶつけられ、ムキになって反駁するかと思われたヒューズは、しかし、全く驚かなかった。
「俺は後者の方をとるぜ。つーか、最初からそう思ってた。だが、情報を流す者がいたとしたら、容疑者が次々殺された経緯からして、かなりお前に近い地位にいる者の仕業だろう。心当たりはあるか」
「いいや」
真っ先に疑うならば、ロイの側近だが、しかし、二人ともその説はあり得ないと思っていた。ホークアイにしろハボックやブレダにしろ、単なる上司と部下というドライな関係ではない。ある意味、特殊で強固な情で結び付いている。それは一言で言い表せるような生半可なものではなかった。
イシュバールの内戦以来、ロイは人が人を信用するという、人間として最も基本的な感情を壊してしまったのである。
戦場で過酷な極限状態を経験すると、たまにこのような心的麻痺に陥る者がいる。殺さなければ殺される、または部下を死なせるために命令を下す、という人が人であるための禁忌を犯す期間が長く続けば、致命的なまでに人格を破壊するようなダメージを受けてしまうのである。
動員が解除されても復員しても戦時下の緊張が解けず、友人と話をすることさえ困難になるばかりか、生まれた時から一緒に暮らしている親兄弟とすら生活をともにすることができなくなる。肉親ですら信用できなくなるのであるから、赤の他人と生活をするなど到底不可能で、結婚などもってのほか、という強い拒絶状態にも陥る。唯一信用できるのは、同じ戦場にいて生死をともにした戦友だけ。
しかも、このダメージはいったん受ければ回復することはないと言われている。文学的な言い方をすれば、一度死んだ純真は、二度と蘇らない、ということである。
イシュバールの内戦で受けたその傷が表面的には薄らぎ、日常を日常として難なくこなせるようになってさえも、漠然とした不信感や不安、悔悟の念は一〇年や二〇年で消えることはなく、ロイは未だに誰かと生活をともにすることもできないでいる。
キャットのように夜の相手には困らなかったが、己れの自宅に他人を上げるというそれだけの作業ができず、私生活では孤立したままだった。二人っきりになると何をされるか、何をしでかすか判らないという恐怖が未だに拭えず、肩の力を抜くことができないのである。一対一で向き合えば、そこには支配と服従というシビアな関係しか存在しえなかった。
その関門をクリアしてロイが側に置いている側近なのである。実は「敵」のもぐらでした、という説は取り難い。特にホークアイとは同じ戦場にいたという同志的な信頼感がある。これは何があっても揺るがない。
「だが、いくらお前さんが信用してても、向こうが同じ気持ちでいるかどうかは判んねぇだろ。ちょろっと足を踏み外すことだってあるかもしれない」
「だったら、ホークアイ中尉は候補から外してくれ」
「お前さんを憲兵に売った奴をか」
「それなんだが……」
と、ロイは苦笑とも微笑ともとれる微妙な笑顔を見せた。
「考えようによっては、危機回避をしてくれたとも言える。憲兵隊に拘束されていれば、俺は手も脚も出ない。その間に残った関係者が始末されれば、少なくとも容疑者リストからは外される」
「ずいぶんとアクロバット的なアリバイ作りだな」
「キャットのダイイングメッセージを見つけたのは中尉だ。事前に仕込んでおいたものだったかもしれない」
「中尉が自作自演したってのか、筆跡まで真似て。そりゃご苦労さんなことで」
ヒューズは驚き呆れたが、言われてみれば確かにロイは身の潔白を晴らした。アイロス将軍がこの先、無事保護されようとも死体で見つかろうとも、その捜査対象にはならない。憲兵隊本部に収容されていた、という歴然としたアリバイがあるからである。
「そうなると、もうちょっと詳しくダイイングメッセージ発見時の模様を、中尉に聞く必要があるな」
「それは許可しよう」
ごく当然のように、ロイは頷いた。もっとも、いくら尋問されようとも、ホークアイは誰の指示も受けていないし、己れが意図していたことでもないと言い張るだろうが。
「ちょっと待てよ。ということは、ホークアイはお前が容疑者扱いされることを知ってたってことか」
「読んでいた、と言った方がいいだろう」
ロイは言い直した。もし、事前に知り得ていたとしたら、それは立派にホークアイがもぐらだったと告白しているようなものである。が、主計大尉の時もキャットの時も、殺害現場には足を踏み入れていない。東方司令部という衆人環視の真っ只中にいたのである。
「それはそうと、エドの奴を知らないか。誰に聞いても知らないって言うし、ずっと連絡が取れないんだが……」
「それは私の方が聞きたい。昼前までここで待っていたらしいが、その後はどこへ言ってしまったのか、皆目見当もつかん。完全な雲隠れだ」
まさに糸の切れた凧である。アルフォンスが市内にいるということは、エドワードがイーストシティから出ていないということであるが、それ以上の絞り込みができない。
「ま、腹が減ったら帰って来るだろ」
「外飼いの猫みたいだな」
「甘えたい時にしか甘えて来ないって勝手気ままを許す度量がなけりゃ、猫は飼えねぇぜ。犬みたいにいつだって尻尾振って飼い主に擦り寄って来る無節操な奴とは違う」
「覚えておこう」
「もっとも、奴が戻って来ても、お前と会わせる気はないがな」
「何故だ」
ヒューズの腹に一物あるのを承知の上で、ロイは取り澄ました顔で聞いて来た。
「昨日、風呂から上がった時に見たんだがな、あいつの胸元と内股にいくつも痣があった。鼠蹊部は傷だらけ。あそこの中までは調べてないが、五時の方向に擦過傷がいっぱいあっただったんじゃないか」
反論することがあるか、と言うようにヒューズは言葉を切った。憎らしいことに、ロイは顔色一つ変えなかった。
「俺が無体なことをやったとでもいうのか」
「昨日、ホテルの室でエドと会ってたんだろ、何時間もかけて。もっとも、俺が戻って来た時には寝室なんかきれいに片付けられていたがな」
「フロア係が掃除したのだろう」
「ドアに『起こさないで下さい』って札がかけられてる室にスタッフは入らねぇよ」
「……」
「無理矢理やったのか」
その追及に、しかし、ロイは応えなかった。もっとも、強姦だったか和姦だったかはちょっとした痕跡で判定できる。そこまで確認して証拠を突きつけようとは思っていないが、情況から察して、間違いなくエドワードは襲われたのだとヒューズは確信していた。
「まぁいい。このことは黙っておいてやる。だが、エドと話がしたいってのなら、俺を通してくれ」
「立ち会う気か」
「奴の身の安全のためだ。お前だって周囲の不審は招きたくねぇだろ」
「俺と鋼のがこそこそ談合でもしないか見張る気だ、としか思えない言いようだがな」
「もちろんそれもある」
悪びれることもなく、ヒューズは下心を認めた。そのストレートな物言いに、ロイは失笑した。
「いいだろう。どうせはっきりさせなくてはならないことだ。今日はもう鋼のはここへは来ないだろうから、見かけることがあったら、また明日出直すように言ってくれ」
「そうさせてもらう」
と、ヒューズは身を翻した。が、すぐに何かを思い出したように足を止めると振り返った。
「監視チームの奴から頼まれたんだがな、キャットの見張りは解除するから、ハボック少尉の指揮権をお前に返すよう手続きしてくれってよ」
「判った。しかし、監視チームはまだ解散しないんだな」
「もちろんだ。そのままそっくりアイロス将軍の方へ移動させた。これからのことを連中と相談するが、お前も来るか」
「そうだな」
司令部に居残っていても仕方がない。ハボックはまだ司令部内にいるだろう。探し出して呼び戻し、三人で出かけることにした。
「メシぐらい奢って下さいよ」
ぶつぶつ言いながらもハボックはロッカー室で脱いだばかりの軍服を着直すと、車両部へクルマのキーを借りに行き、数分後には司令部の門を出ていた。
「で、どこへ行くんですか」
「ヒューズが投宿しているホテルのレストランだ」
「了解」
お前も顔を出せ、という暗黙の要請を受け、ハボックはハンドルを切った。軍が接収しているだけあって、目的地のホテルのレストランや喫茶店はテロリストに襲撃されやすい地階には設置されてはおらず、人の集まるバーもラウンジも最上階にあった。
その、スカイレストランへの直通エレベータホールで、ロイとハボックはヒューズと落ち合った。
「行こうぜ」
降りて来たエレベータに揃って乗ろうとして、不意にヒューズは側背から声をかけられた。
「中佐」
振り返ると、一人の女性が立っていた。かっちりとしたブランドスーツを着込んではいたが、きびきびした物腰から、すぐに軍人だと三人とも察した。
「これからご夕食ですか」
「ああ、そうなんだ。ロイ、少尉、紹介するぜ、中央のレティシア・コール少佐だ。少佐、こちらは東方司令部のロイ・マスタング大佐、それとジャン・ハボック少尉」
「よろしく」
三人が三様に手を出し、それぞれが握手する。中央の軍人ということは、軍司令部ではなく、大総統府に近い機関の者だろう。が、それにしては美人で派手な顔つきだった。髪はきちんとアップにまとめてあったが、下ろせば豪奢な金髪が背中の中ほどまで広がるだろう。どこか貴婦人然とした風格すら漂わせたコール少佐は、しかし、気取ったところのない親しみやすい口調で話しかけてきた。
「これから私も最上階へ行くんですが、ご一緒してもよろしいかしら」
「そりゃもう願ってもない」
いいよな、とヒューズがロイとハボックに了承を得る。二人とも異存はなかった。こんな場所でのわざとらしい出会いは偶然ではない。故意に引き合わせたに違いなかった。
「中央の、どちらの所属ですか」
レストランに入り、ウェイターに案内されて席に着いたとたん、ロイが口火を切った。それへ、コールはにっこりと微笑った。
「G2です。どうぞお見知りおきを」
その一言に、ハボックがぎょっとしたようにロイを見た。
「情報部……?」
「ええ、でも、声は抑えて」
お互い言いたいことは判っているだろう、とコールは藍色の瞳をロイに向けた。恐らく、いくら待ってもヒューズが派遣した監視チームはここへは現れないに違いない。
「用件は?」
「例の将軍が泣きついた先ですが、だいたいの見当がつきました。どうやら軍人ではなく、別の組織の者のようです。特定でき次第、我々の手で始末させていただきます」
「別の組織とは?」
「それはお答えできません」
「東方司令部の手は借りない、いや、余計なことはするな、ということか」
「そうとって下さって結構です。この問題は、すでに東方司令部の管轄を離れました。司令部の中だけで収めるわけにはいかないのです」
「そんな……っ」
気色ばんで身を乗り出そうとするハボックを片手で制し、ロイは問いかけた。
「では、こちらが掴んだ情報を全て吐き出せ、後はそっちでやる、ということか」
「いいえ、それはありません。あくまで例の将軍は東方司令部の所属ですから、そちらで適切に処断されることを望みます。ただ、それ以上の背後関係を探るのはご無用ということです」
つまり、中央が動かざるを得ない重大な事態がバックで蠢いている、ということである。G2の部員がわざわざこのような通告をしに現れたのならば、アイロス将軍の動向は早くから内偵の対象になっていたのかもしれない。その場合、東部からロイ達が独自に動くのは、中央にとって目障りでしかない。
抑えにかかったか、と肩を竦めたロイは、ふと主犯は別にいるのでは、と思った。アイロスはただの手駒なのかもしれない。とすれば、東方司令部には小物を掴ませてさっさと撤収してもらいたいのだろう。
その可能性は高い、とロイは思った。元より、この横領にはもっと多くの者が関わっていたのでは、と考えていた矢先である。組織だった複数のグループが複数の地域で複数のルートをもって複雑に関与しているのだとしたら、東方司令部だけでは手に余る。寧ろ、協力者として中央の意思に従順なところをアピールした方が後々の高評価に繋がる。
「いいだろう。お互いの縄張り……、いや、ルールを守ることに、私も異議はない」
ロイが頷き、ヒューズが幾分ほっとした表情をする。タイミングのいいことに、ウェイターがオーダーを取りに来た。適当にコースメニューを頼むと、今度はヒューズが口を開いた。
「調査担当官が明日か明後日、こっちに到着するそうだ。それまでに将軍様を探しておこうぜ。そいつを突き出せば、この件は終わりだ」
「ずいぶんとゆっくりだったんだな」
「他の事件で手間取ってたらしい。しかし、これでやっと先が見えてきたな」
「主計大尉とキャットを殺害した犯人も見つけられなかった上に物証となる書類も破棄されてしまった。それで解決と言えるのか」
「噛み付くなよ。将軍様を捕縛して自白させりゃいいだけだ。審問の段階で罪を認めりゃ退役に追い込める。最初の予定通りだ。横領の実行犯がいなくなるわけだから、少なくとも軍からの資金流出は止まる。キャットの会社の資産も軍法会議所の権限で差し押さえる用意はできてるからな。損失の多くは回収できるだろうよ」
「だが、他の者が真似をして同じことをやり始めたらどうする。元の木阿弥だぞ。それでなくとも、あの将軍は一つのパターンを提示してしまった」
「そうならないよう予防策をとってくれ。こいつは東方司令部の仕事だろ」
抜け抜けとヒューズは言い切った。さすがにロイがむっとする。
「リスクマネージメントとして、大いに問題ありだな」
「そう尖るなって。俺だって不本意だったんだ。しかし、ここは聞き分けてくれよ」
「クレタの陰謀説はどうなった」
「それは忘れてくれ。ガセだ、完全な。コール少佐直々に疑惑の人物の周辺を洗ったそうだが、クレタとの接点は全くと言っていいほどないそうだ。もちろん、キャットも」
「カットアウトがいた可能性は」
「それもなさそうだ」
「デッドドロップかライブドロップはどうだ」
「それもない」
「見落としの可能性は」
「おい、ロイ」
うんざりとヒューズがぼやく。
「いい加減にしてくれよ。そんな粗探しやってたら収集がつかなくなっちまう。下手に藪を突ついて余計な警戒をクレタの連中に抱かせたら、それこそこれまでのお仕事がご破算だ」
これ以上、話をややこしくしないでくれ、と懇願するような口調に、さすがにロイの口元が緩む。
「別にお前を困らせようと思って言ってるんじゃない。取りこぼしがあったらまたそこから同じ事件になりかねないと思っただけだ」
「それは否定できないが、さっきも言っただろ。東方司令部の管轄は、例の将軍様に横領の事実を突きつけてとっととご退場願うことだ」
それ以上は首を突っ込むな、と明確にヒューズは言い切った。国際的な謀略を仕掛けるのは中央の諜報機関に任せて、司令部付きの軍人は軍管区内における任務を遂行していればいい。当然と言えば当然の言い分だった。
「判った。私とて心配の種を増やしたいわけではない」
「だったら、後は楽しもうぜ」
ボックスに近付いて来たウェイターが人数分のワイングラスをテーブルに置き、食前酒を注ぐ。それを手に取り、ロイはコール少佐の前で掲げて見せた。
「ここへはいつまでご滞在ですか」
「調査担当官と入れ替わりになりますから、あと一両日ですね」
と、レティシアの肉厚の唇が魅力的に動く。ロイは魅了された。もっとも、口説くのは次の機会を待つしかないようだった。できれば、セントラルへ戻る前に是非もう一度個人的にお会いしたい、と思う。
その後は四人での忌憚のない会食となり、約二時間後、現場で解散となった。
「埋め合わせはちゃんとさせていただきますから」
という意味ありげな言葉をロイの耳に残して、コール少佐は片手を上げた。
「じゃあ、また明日」
と、ほろ酔い気分でロイとハボックに挨拶して別れた後、ヒューズはコール少佐を伴ってバーへと足を向けた。時間的にまだ早いせいか、ブラック&レッドの壁を張り巡らせた室内に客はまばらで、話し声も低かった。
「どうだ、お前さんの見立ては」
「そうね」
カウンターのスツールに腰を下ろしたレティシアは気怠げにほつれて落ちて来た前髪を掻き上げ、難しげに言った。
「第一印象はクロってとこかしら。でも、はっきりとは断言できないわ。あなたの推測は尊重するけど、やっぱり確たる証拠が欲しいところね。一番いいのは、アイロス将軍を殺してくれることよ」
「物騒なことをさらっと言ってくれるな。そんなことやったら、俺がロイに殺されちまう」
大仰に肩を竦めるヒューズに、しかし、レティシアは更に追い討ちをかけるような台詞を吐いた。
「将軍の身柄は、明日には戻って来るでしょう。無事かどうかは判らないけど」
「おいおい勘弁してくれよ」
飲みかけていたバーボンのグラスをカウンターに置き、ヒューズは口元に手をやった。
「死体で返却ってのだけはご免だぜ。自白が取れなくなっちまう。それとも、原稿用紙一〇〇枚くらいの遺書でも残しておいてくれるか」
「大丈夫、鉄の扉をパイプ椅子で殴ってへこませてしまうくらい元気よ、今のところは」
「お前さんが将軍様を隔離したなんて知ったら、ロイの野郎、マジでブチ切れるだろうな」
「その瞬間を、是非拝見したいわね」
「冗談。鼻を折られるのは一度で結構だ」
「そういえば、あなたを襲って盗聴テープを奪って行った人物、まだ特定できないの。いえ、しようとは思ってないみたいね」
「だいたいの見当はついてるからな。エドを襲ったのもそいつだろうし、動機も理由もはっきりしてる」
「どういうこと?」
「ロイの時と同じだ。怪我をさせて病院という施設に保護させたんだ、俺とエドを。もし、あの襲撃がなかったら、命があったかどうか判らない」
「凶悪ね。でも、その説には賛成するわ。彼がやらなかったら他の者がやった。他の者がやったとしたら、容赦なく殺害した上でテープを奪って行ったかもしれない。その可能性を潰すために、自ら出向いて手を下した。連中はテープさえ消滅させられればそれで目的が達せられるわけだから、ターゲットが生きていようが死んでいようが関係ない。そういうことかしら」
「それで合ってるだろ。だが、そういう考えは、やっぱ軍人の思考回路だよな」
「今回のミッションは軍人上がりの人材が幅を利かせているということでしょう。普通、連中はチーム単位で動くわ。セル(細胞)とも呼ばれているけど、構成員によってそれぞれ独特の行動規範があるの。それに、関わっているセルが二つ以上だとすれば、どこかで競合したり交錯したりすることも考えられる」
「それは考えてなかったな」
今気付いたように、ヒューズが顎を撫でる。実行班は一つだと思っていたが、しかし、考えてみれば、バックアップを務めた連中がいるのである。巧みにターゲットとターゲットの間をすり抜けながら目的を達し、身を翻して立ち去って行く、という芸当を見事に成し遂げてくれた。
もっとも、ちょっとした手違いから、別のセルのメンバーが現場で鉢合わせてしまったという事態もあり得ただろう。テープの強奪に付随する暴行は、そういう事故だったのではないか、とヒューズは漠然と思った。
「もし、例の将軍様がやられちまうとしたら、第三のセルがご登場ってことか」
「どういう手を使うかは判らないけど。ヒットマン役が使い回しされている可能性もあるわね。ターゲットによって役割分担を変えるわけよ。バックアップになったり、フリーランサーになったり。以前の事件では、監視役がヒットマンと入れ替わったりしていたわ。資料が欲しいなら、後で送ってあげる」
「そいつはありがたい。ロイの野郎にも渡してやってくれ」
「ただし、個別の詳細な事件の内容は明かせないの、悪いけど」
「そこまでは期待しちゃいねぇよ。連中の行動様式が読み取れればそれでいい。首根っこを押さえようってんじゃねぇから安心してくれ」
「OK。じゃあ、そういうことにしておきましょう」
ここでもやはり縄張りの確認が優先される。レティシアはホワイトレディの注がれたグラスを手に取ると、そっと唇をつけた。ジンベースの、爽やかな口当たりのそのカクテルは、清楚な外見に反して結構アルコール度が高い。が、それを優雅に飲み干し、レティシアはそっと席を立った。
その後ろ姿を見送り、ヒューズは一五分ほど時間を潰してから店を出た。
いい気分だった。このままシャワーを浴びてベットに転がり込んだら、明日までゆっくり眠れる。
が、しかし、そうは問屋が卸さなかった。エレベータで下の階に降り、己れの室の前に立ったとたん、ドアの向こうで電話が鳴っているのに気付いた。すぐさま居間に入って受話器を取ると、フロントの声で東方軍司令部からの連絡だと言われて回線が切り替わった。
『すみません、中佐、お休みのところを』
「ファルマン准尉か。どうした、何かあったか」
『六番街で銃声がしたという通報がありました。憲兵が今現場に向かっていますが、どうやら例の将軍様が撃たれて倒れている模様です』
「何だと?」
寝耳に水とはこのことだろう。先程、レティシアは明日解放すると言ったはずである。何故、こんな時間にアイロスが外をうろついているのか不可解だった。が、その疑問は後で問い質すとして、取り敢えずヒューズは現場の詳細な所在地を聞いた。
「判った。俺もそっちへ急行する。ところで、ロイにはもう連絡したのか」
『はい、ハボック少尉と一緒にいたので、今現場に向かっているはずです』
恐らくは、クルマで司令部に戻る途中か、戻ってすぐ急報を受けたのだろう。休む暇もないとはこのことである。
『ああ、それと、エドワード君がこちらに来て、中佐に用があると言っています。現場に行かせますか』
「いや、そこで待ってろと言っておいてくれ。用なら戻ってから聞く」
『判りました』
ヒューズは電話を切ると、そのまま室を飛び出し、ホテルの目の前を横切るストリートでタクシーを捕まえた。現場までは三〇分近くかかったが、その手前からかなり賑やかな騒ぎになっているのが見て取れた。ヒューズが視認しただけで救急車が二台、警察のクルマが四台、憲兵隊のサイドカーが五台。そして、東方司令部のクルマが一台。言うまでもなく、周囲は野次馬で溢れ返り、ざわついてごった返していた。繁華街の脇道で起こった突然の銃声に、通りすがりの人々は多いに興味をそそられたらしい。
「おい、どいてくれ。ロイ、ロイはいるか」
鉄筋コンクリートの如く堅牢で猥雑な野次馬の喧騒に負けじと声を張り上げ、タクシーから降りたヒューズは先程別れたばかりのロイの姿を探した。
「中佐、こっちです」
と、不意にハボックの呼ぶ声がする。咄嗟にそちらを向くと、ひときわ目立つ長身の男が手を振っていた。
「すまん、遅くなった」
「いえ、それより、大佐ならあそこにいますから」
と、ハボックが左手の方向を指差す。黄色いテープで速成のバリケードが設置されており、アイロス将軍が倒れていたという場所がぽつんとした空き地になって憲兵や救急隊が忙しく歩き回っていた。その中で、ロイは白衣を着た衛生兵らしき青年と何か話していた。
「ロイ」
声をかけると、ロイは顔を上げてヒューズを手招いた。
野次馬を押し返そうとしている警察官に言ってバリケードをどかしてもらい、ヒューズはやっとロイの側に近づけた。
「アイロス少将はどうなったんだ」
「背後から撃たれたそうだ。さっき救命処置をしたから、すぐ軍の病院へ運ぶ。しかし、安心しろ、致命傷ではない」
「何ヶ所、撃たれた」
「血の跡から言えば、二発だ。だが、銃声は三回、四回と聞こえたそうだから、病院でちゃんと調べてもらわなければ、正確には判らない」
そう言うと、ロイは一台の救急車へ顎をしゃくった。恐らく、そこにアイロスは収容され、担架に固定されているのだろう。
「意識は?」
「ない。通行人が見つけた時にはすでに気絶していた。汗びっしょりだったそうだ。かなり激しい運動をした後だったらしい」
「逃げようとして、全力疾走したってことか」
「多分な」
ということは、監禁場所から自力で脱走したということである、この初老のお偉いさんは。なかなか見上げた根性だ、とヒューズは思わず感心した。どういう隙を突いたのは判らないが、いきなり獲物に逃げられ、焦った連中が追いかけるついでに発砲したのだろう。
これはG2のミスだ、とヒューズは心の中で悪態を衝いた。
「発車します。いいですか」
不意に救急車に乗っている看護師がロイに声をかける。病院の受け入れ準備が整ったらしい。
「後から我々も行く。尋問できるかどうか、軍医に聞いておいてくれ」
「了解。それでは」
と、救急車の後部ハッチが閉じ、エンジンがかかる。そのまま発車した救急車はけたたましくサイレンを鳴らして野次馬の見守る中、夜の市街地を疾走して行った。
「俺達も行こうぜ。現場検証は憲兵に任せて」
「そうだな」
ハボックの運転するクルマに乗り、三人は勇躍して軍病院へと向かったのであるが、数時間後、アイロス将軍からは何の情報も引き出せないまま引き上げることとなった。銃弾の摘出手術に思いの外時間がかかり、麻酔が醒めるのが早くて明日の昼頃だと言われて虚しく立ち去らざるを得なかったのである。
「もうすぐ午前三時……。このまま病院で日の出を待つか。それとも、出直すか」
ヒューズの提案に、ロイもハボックも後者を選択した。医者の様子からして、しばらくは絶対安静だろう。
警護の兵を残し、睡眠不足の目を擦りながら三人は司令部に戻り、それぞれ仮眠室へと潜り込んだ。
「なーんか忘れているような気がするが……」
と、ヒューズが首を捻ったのは、その六時間後、眠気覚ましにスタッフルームのコーヒを飲んでいる時だった。
「何だっけ?」
が、欠伸の連発するボケた頭では思い出せない。しばらくうつうつと考えた後、やはり思い出せず、無理に記憶を手繰るのを中断した。
「ま、そのうち思い出すだろ」
ヒューズは簡単に諦めてしまったが、しかし、その数時間前、ロイの執務室ではただならぬ騒ぎが起こっていた。
2006,12,21 To be continued
使い回しキャラ登場です。このコール少佐、「そう言ってお前は笑う」で白骨死体で発見されるヒューズの情婦です。ロイ、口説いてみたら、ヒューズの手つきだった! なんて目に遭っていたら傑作かも☆
次はエロに行けるはず♪ 最近、何故か妙に書きたいです☆